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2010年10月

北海道3日目:エスカロップを食す

  6月19日(土)

 北海道の旅 3日目。
 無事に根室の街に戻る。
 で、根室を訪れた最後の目的である「エスカロップ」を味わうことにした。
 「エスカロップ」とは、根室で食べることが出来る名物料理の一つ。
 
 レンタカーを借りることを計算しつつ、店の場所を事前調査しておいた。
 で、駅近くの店に向かったが、残念ながら臨時休業だった。
 ただ、今回は根室市観光協会HPにあった地図を持参していたのが救いだった。
 ということで、次に目星を付けておいたボスフール近くの「どりあん」という喫茶店へ。

C1006a182
(喫茶どりあん)


 借りた車を返す時間も必要あるので、あまりのんびりしていられない。
 メニューを見つつ、さっそく「エスカロップ」を注文する。
 ところで、この「エスカロップ」とは、細かく刻んだタケノコの炊き込み御飯にカツが乗る。
 そこにデミグラスソースが掛けられている料理。(なんとなく端折り過ぎ...orz)
 注文する人が多いのか、あまり時間が掛からず出てくる。
 
C1006a183
(エスカロップ・普通盛り)
 
 
 この日は、おにぎり、少し高い駅弁と冷たいめしが続いたこともあり、あっさり完食。
 なかなか出会えない料理を、このように食べてしまったのは、もったいない気もしたが...
 
 ということで、根室ですべきことは、東根室駅訪問というオマケも付いたがすべて終了。
 車をガソリンスタンドに返し、根室駅に戻る。

C1006a184
(根室駅駅舎)
  
 で、ここで入場券とか買っていなかったことに気付くが、窓口はすでに閉鎖されていた。
 貼り紙をよく見ると、今年4月から窓口の営業時間が、5時30分~17時になっていた。
 これは次回にとっておこう。って、次回はいつなんだか?

C1006a185
(その貼り紙は...)
 
 
 釧路からの列車が到着し、車内整備が終わると、ようやくホームへの入場が始まる。
 窓口の係員はいなくても、運転を担当する助役さんは滞在しているようだった。
 降車する乗客が改札を出た後、ドアを閉めたり、車内を点検したりと...

 ホームに入り、まず記念撮影用のボードなどを撮影してみる。
 ここも観光地という認識でいいのかな?と...

C1006a186
(記念撮影用ボード)
 

 そして、乗車した釧路行普通列車。
 帰りも車両はキハ54の単行。
 ただし、帯色は通常のキハ54が纏う朱色の帯だった。
 
C1006a187
(根室から乗車した釧路行普通列車)
 
 
 すでに陽が暮れかかっており、外を楽しむことは出来ない。
 ということで、帰りは暖房が効いた車内で、ウトウトしつつ釧路に戻ることになった。
 
 
(つづく)

北海道3日目:納沙布岬にて

  6月19日(土)

 北海道の旅 3日目。
 寄り道しつつ到着したのは、納沙布岬。
 日本の実効支配下では、一番東にある岬。
 
 その岬に到着したのは、17時近く。
 夏至が近いこともあり、まだ明るかったが、帰りもあるので、足早に見学する。

C1006a177
(納沙布岬の標柱)
 
 
 ここには、「四島(しま)のかけはし」という大きな構造物が。
 北方領土の早期返還を願い、1980年に設置されている。
 構造物の下では、火も焚かれていた。

C1006a179
(四島(しま)のかけはし)
 
 
 また、その近くには、北方館という資料館が建っていた。
 しかし、ここの開館時間は17時まで。到着した時には、すでに閉館していた。
 なんともタイミングが悪いなぁと思いつつ、岬近くの灯台にも行ってみることにした。
 
C1006a178
(北方館) 


 ということで、納沙布岬で最後に訪れたのは、納沙布岬灯台。
 すでに1998年に無人化されていることもあり、周囲に人の姿はない。
 岬に続いて、ここもまた静寂に包まれていた。
 この奥の崖下には、座礁したロシアの船が未だに残されていたりする。
 
C1006a180
(納沙布岬灯台と今回利用したレンタカー)
 
 
 納沙布岬への旅はこれで終了。
 そして、根室市内を目指し、来た道をひたすら戻ることになる。
 
 
(つづく)

北海道3日目:「ふらり」というバス停

  6月19日(土)

 北海道の旅 3日目。
 東根室駅を出て、今度はひたすら東を目指す。
 次に目指したのは、納沙布岬。
 前日の朝、ノシャップ岬、宗谷岬と訪れたことを考えれば、必然だったのかもしれない。
 そうでなくても、北海道では、襟裳岬に訪れた、バスの車中から白神岬を見ていれば...
 
 
 ということで、根室半島の先端にある納沙布岬を目指す。
 土曜日の午後だったが、納沙布岬への道は、車もなく空いていた。
 前の記事の東根室駅は、今回のレンタカーの副産物だったりする。
 というのも、当初は宗谷岬と同様に路線バスの利用を検討していた。
 しかし、訪れる土休日はどういうわけか観光客には少し冷たいダイヤだった。

 ◆ダイヤ
  (列車)
   根室着 15時28分
  (バス:根室交通)
   根室駅 15時55分発 → 納沙布岬 16時30分着
   納沙布岬 16時40分発 → 根室駅 17時15分着
   納沙布岬 17時10分発 → 根室駅 17時45分着 ※土休日運休
   納沙布岬 18時35分発 → 根室駅 19時10分着
  (列車)
   根室発 19時10分

 と、路線バスを利用すると、納沙布岬で到着してすぐ帰ることになってしまう。
 さらに、2時間見学した場合は、帰りの列車に間に合わなくなる。
 (ただし、最終の釧路行快速「ノサップ」にはいちおう間に合うが...)
 もっとも、納沙布岬にバスで訪れようという観光客が、あまりいないのかもしれない。
 このことが、レンタカーを利用しようと判断させた。
 ちなみに、この路線を運行する根室交通では、10月にダイヤ改正が行われている。
 この改正で土休日には、納沙布岬17時55分発のバスが運行されている。
 
 
 納沙布岬への途中、「フラリ」と書かれたバス停が。 
 一体何のことだろうと思い、”ふらり”と引き返してみる。
 そのバス停には、確かに「フラリ」と書かれており、待合室も完備されていた。

C1006a174
(待合室が完備されたふらりバス停)
 
 
 で、その「フラリ」もしく「ふらり」は、フラッと名付けたわけじゃあるまい。
 と思いつつ、再び車を走らせようとすると、道路脇に「婦羅理岬道路」と看板が。

C1006a175
(婦羅理岬道路の看板)
 
 その「ふらり」。
 この記事を書くにあたり、色々と調べてみたところ、根室拓殖鉄道に同名の駅が。
 おそらくこの辺りに、婦羅理駅があったのだろう。
 で、地名の方は、アイヌ語が発端となっている地名なのだろう。
 
 
 そして、東根室を出て30分程で納沙布岬に到着する。 
 
 
(つづく)

北海道3日目:日本で一番東にある駅・東根室

  6月19日(土)

 北海道の旅 3日目。
 根室駅の改札を通り、駅前へ。
 日本で一番東にある都市の中心駅としては、少し小さい気がした。

C1006a168
(根室駅駅舎)
 
 
 駅前も同じ道内の稚内と比較しても、なんとなく寂しげ。
 稚内はロシアとの門戸を開いていることも影響しているのかもしれない。
 そして、根室は北方領土と接してはいるものの、ニュースを見ていれば...
 そんな緊張感も影響しているのかなと感じつつ、駅近くのガソリンスタンドを目指す。
 
 この日の宿は釧路。
 このまま釧路に戻れば、行程は終了となるが、帰るには早すぎる。
 ならばと、レンタカーを借りて、少しばかりではあるが散策することにした。
 それにしても、この天候はどうにかならないのだろうかという感じの霧。
 そんなこともあり、視界はあまり良くなかった。
 
 
 そのレンタカーでまず目指したのは、東根室駅。
 少し前に列車で停車したが、車内からの観察となった。
 根室駅からそう遠くないことを考えれば、是非とも訪れてみたいなと。
  
 ということで、東根室。
 列車の中から見たとおり、根室市の中心地に近いこともあり、住宅街の駅という感じ。
 ただし駅舎はなく、築堤上にあるホームに階段で上がっていく構造になっていた。
 その階段近くに、この駅が日本で一番東にある駅であることを示す標柱と駅名標が並ぶ。
 途中下車では訪れにくいダイヤゆえ、逆にもったいない気もしたのだが...
 もっとも、この駅で数分停車しても、用がなければ意味がないのかもしれない。

C1006a169
(東根室駅の駅前広場にあった標柱と駅名標)
 
 
 そんな標柱などを撮影し、ホームに上がってみる。
 すると、まもなく釧路行の列車がやってくるため、地元の学生の姿が。
 
C1006a170
(釧路方から根室方を見る)
 
 
 と、撮影をしているうちに、釧路行の列車がやってくる。
 車両は、根室まで乗車してきたキハ54 516。

C1006a171
(東根室駅に停車する、釧路行普通列車)
 
 
 待っていた学生が吸い込まれ、あっと言う間に発車していった。
 列車が発車すれば、住宅地の中にあるにもかかわらず、再び静寂に包まれる。
 霧が濃いことも影響しているのだろう。そんなことを考えつつ、東根室駅を後にした。
 
C1006a172
(東根室駅を後にする釧路行普通列車) 
 
 
(つづく)

北海道3日目:釧路からさらに東へ

  6月19日(土)

 北海道の旅 3日目。
 釧路に戻り、次に目指すのは根室。
 くしろ湿原ノロッコ1号が到着すると、向かい側にはすでに根室行が入線していた。
 札幌からのスーパーおおぞらが到着する前だったので、何とか座席を確保できた。
 車両は、ここもキハ54の単行。で、花咲線仕様のピンク色の帯を巻いていた。
 
C1006a161
(釧路から乗車した根室行普通列車)
 
 
 
 釧路を発車し、昼食の駅弁を食べることにしたのだが...
 購入したのは釧路駅で売られていた「たらば寿司」。
 最近、近所のスーパーなどの駅弁市でも売られ、人気になっているらしい商品。
 ただ、思いの外軽いなぁと観察すると、上げ底構造の器になっていて量が少なかった。
 これで1480円だと、材料がいいものを使っているにしても、少し高い気がした。
 確かに、味は悪くは無かったのだが、次回は手を出さないだろう。

C1006a162
(釧路駅で購入した「たらば寿司」)
 
 
 そして列車は、東を目指しひたすら走る。
 緩急車駅舎の尾幌を出ると牧場が点在する。
 日本有数の酪農地帯だけあるなと。

C1006a163
(尾幌駅駅舎は緩急車)

 門静。ホームの向かい側では昆布干し。
 そしてこの辺りから海岸沿いを走る。
 
 この後、お昼寝タイムに...
 乗りつぶしだって言うのに、気持ちよく寝てしまう。 

  
 目が覚めたのは、茶内~浜中間。
 まだ、旧釧路支庁エリアだったが、携帯電話を操作してみた。
 すると、国盗りの方は当然ながら「釧路」だったが、コロプラは「根室」拾い成功。
 釧網本線・川湯温泉駅付近での出来事とは、まったく逆の展開になった。
 ただ、成功というよりは、対岸盗り状態のような気が...
 そして、周囲は段々もやってくる。
 
 旧根室支庁エリアに入り、厚床。
 上り列車の待ち合わせのため、少し停車する。
 ここで携帯を操作すると、ようやく国盗りも「根室」盗りに成功する。
 これで国盗り北海道はあと一つ。長かった...
 
 
 さらに東に進み、別当賀を出ると、人家が全くない丘陵地帯をしばらく走り海岸線へ。
 久しぶりに太平洋沿いを走ることになるが、もやっていて何も見えない。
 大丈夫かなぁ?と思いつつ、先が思いやられる状態に。
 
 海岸沿いを走り、落石付近から根室を目指し、やや北を目指していく。
 そして数駅走り、東根室。
 日本で一番東にある駅として有名な駅。
 1面1線の小さい駅だったが、根室市中心部に近いようで、アパートのような住宅も見えた。
 ただ、さすがに停車時間が短いので、車内から駅名標を撮影するのが精一杯。

C1006a164
(東根室駅の駅名標)
 
 
 そして、東根室から一駅で終点の根室に到着。
 釧路から135.4Kmの距離を、2時間17分掛けて到達。
 ということで、表定速度を算出すると、60km/h弱と比較的足が速い列車だった。
 おそらく高速運行を妨げるような、カーブや勾配があまりないことも影響しているのだろう。
 
C1006a166
(根室駅に到着したキハ54)
 
 
 このあと、とある場所を目指すことにした。
 
 
(つづく)

北海道3日目:釧路湿原・細岡展望台へ

  6月19日(土)

 北海道の旅 3日目。

 くしろ湿原ノロッコ2号で下車したのは釧路湿原駅。
 木造でロッジ風の駅舎だった。

C1006a150
(釧路湿原駅駅舎)
 
 ただ、この釧路湿原駅自体は、湿原の真ん前というわけではなかった。
 ホーム自体は木々に囲まれているところだった。

C1006a151
(ホームから東釧路方を望む) 
 
 
 帰りの列車が発車するまでの約1時間。
 あまりのんびりしている間はない。早速周辺を探索することにした。
 で、今回目指したのは、釧路湿原駅から徒歩10分ほどの細岡展望台。
 ここは2007年、SL冬の湿原号撮影の際、K先輩と訪れたことがあった。
 ということで約3年ぶりとなる再訪。
 
 ただ、前回は車で直づけしたが、今回は徒歩。
 釧路湿原駅は、目指す細岡展望台のほぼ真下にあり、まずは階段を上る。

C1006a153
(階段を登っていく)
 
 さらに獣道のようなところを少し通り、ビジターズラウンジ前の車道に出て数分。
 お目当ての細岡展望台に到着する。
 前回は雪が積もる冬景色で、全体が白かったことが印象に残っていたのだが...
 
C1006a155
(細岡展望台からの眺め)
 
 
 そして、さすがに前回の積雪時とは異なり、観光客の姿も多かった。 

C1006a156
(ということで、もう1枚)
 
 
 早歩きで展望台に到着したため、まだ少し余裕があった。
 ならばと、途中にあったビジターズラウンジにも立ち寄ってみることにした。

C1006a157
(細岡ビジターズラウンジ)
 
 
 ビジターズラウンジ内では、釧路湿原のことについての展示などがあった。
 そんな展示を見たり、売られていたおみやげ物を見たりして時間をつぶす。
 
 ここまで見学したところで、駅に戻る時間に。
 もう一度だけ駅舎を撮影し、釧路湿原を後にした。
 
C1006a159
(釧路湿原駅をもう一度...)
 
 
(つづく)

北海道3日目:くしろ湿原ノロッコ号

  6月19日(土)

 北海道の旅 3日目。

 国盗り北海道完結の旅、3日目。
 網走から3時間半かけてたどり着いたのは釧路。

C1006a142
(釧路駅駅舎)
 
 
 このあと、ケータイ国盗り合戦で盗る必要があるのは、「根室」と「帯広」。
 釧路にいる以上、当然のことながら、「根室」を先に盗りに行くことになる。
 しかも、網走からの始発列車で来ると、根室行の快速「ノサップ」に接続していた。
 ということで、当初はこのまま根室に向かおうと考えていたのだが...
 ただ、どうも根室1往復では時間を持て余す可能性が高い。
 さて、どうしたものかと時刻表をめくると...
 「くしろ湿原ノロッコ号」が運転していると判明。
 ということで出発直前、塘路まで1往復分の指定券を購入しておいた。
 
 
 早速、発車するホームへ向かうことに。
 ホーム別の発車案内標には、これから乗車するノロッコ号と快速「ノサップ」が並ぶ。

C1006a143
(地下通路の発車案内標)
 
 
 そのノロッコ号は、けん引は支線区や入換用を主として製造されたDE10。
 そして、51系客車から改造されたトロッコタイプの510系という客車が連なる。
 なお、終点・塘路での機回しが不要なようにと、510系客車側にも運転台を設置。
 形式は、オクハテ510。重量+制御車+種別+展望車を一度に表現しているようだ。
 その運転台から、DE10を遠隔操作できるようになっていた。
 
C1006a144
(最後部から)
 
 
 最後部は、反対側のホームから撮影することが出来た。
 しかし、機関車側にはホームが無く、あえなく停車しているホームにて撮影した。
 けん引するのはDE10 1660。客車とおそろいのカラーを纏っていた。

C1006a145
(先頭から)
 
 そしてホームには、観光客用にと「湿原の鐘」なる鐘も設置されていた。

C1006a146
(湿原の鐘)
 
 
 
 と、撮影しているうちに発車時刻に。
 指定券に記された席に行くと、ツアー客と思しき中年女性がすでに陣取っていた。
 指定券を提示していたが、色々と文句を言われる。
 「添乗員に座っていいって言われたから、座っていたのに...」と。
 それは添乗員に言ってくれよ...
 このところ、イベント列車に大手旅行会社がツアーとして組み込むことが多いようだ。
 特にプラチナチケットになるようなイベント列車でもこういったことが多いようだ。
 団体として事前に押さえれば、売れ残ることがないからいいのかもしれないが...
 おそらく、この中年女性もツアーで乗車したんだろうなと思いつつ、自分の席に着いた。
 
 そんなやりとりをしているうちに、列車は東釧路を発車し釧網本線へ。
 遠矢駅を発車すると、岩保木山を迂回すべく、山の麓を沿って走る。
 この辺りで、釧路湿原側には、岩保木(いわぼっき)水門が見えてくる。
 この岩保木水門は、釧路川の氾濫に対応すべく新釧路川を引く際に分岐点に作られた。
 奥に見えるのが旧水門で、1931年に設置され、上部構造物は木造とのこと。
 ちなみに現在は、1990年に設置された手前のコンクリート製の水門が現役に。
 なお、往路は標準レンズを装着していたため、水門自体が小さい画像になってしまった。
 
C1006a148
(岩保木水門。奥に見えるのが、旧水門)
 
 ということで、帰りの列車では望遠レンズに付け替え、もう少し判りやすく撮影してみた。

C1006a160
(岩保木水門。左が現在の水門。右が旧水門)
 
 
 そして、目的地の釧路湿原駅へ。
 乗車した列車が折り返してくる約1時間で、観光してみることにした。
 
 
(つづく)

北海道3日目:釧網本線を南下する(2)

  6月19日(土)

 北海道の旅 3日目。
 乗車した列車は、峠を越え旧釧路国エリア(現:釧路総合振興局エリア)へ。
  
 ということで、旧支庁エリアが変わったこともあり、携帯電話を操作してみたが...
 国盗り合戦の方は「釧路」盗りに成功した。
 しかし、コロプラの方はどういう訳か、釧路側の弟子屈町の電波を拾っても「網走」。
 峠を越えたので、拾えるはずなんだがどうなっているんだろう?
 結局、コロプラの「釧路」が拾えたのは、数駅進んだ美留和駅を発車後だった。 
 
  
 峠を越えて最初の停車駅は、川湯温泉。
 ここは、屈斜路湖と摩周湖の最寄り駅ということもあり、まとまった乗車が。
 ちなみに、屈斜路湖の先にある美幌峠を越えれば、美幌に抜けることもできるようだ。
 現実的ではないが、美幌~美留和間でショートカットすることも不可能ではなさそうだ。
 ただ、旅客流動が全く見込めないだろうから、そんな路線は必要なさそうだ。
 
 この辺りは、美留和、摩周と駅間が長い。
 その摩周は、昔は弟子屈を名乗っていた。
 観光振興を目当てに、平成2年の改称されている。
 国鉄からJRになり、それまでの地名を由来に名付けていた駅名から、観光を意識し、
地元の要望も受け入れて駅名を改称していた時期でもあり、同じく釧網本線の川湯駅が
平成元年に「温泉」付き駅名に改称されている。(川湯→川湯温泉)
 
 
 そして、摩周まで照っていた天気も曇りがちに。釧路側は天候はあまりよくないようだ。
 それにしても、今回の旅は天候に恵まれない。
 数日の旅となると、半分ぐらいは天気がよかったのだが。
 5月の三陸方面乗りつぶしの旅といい、ついていない気が。
 
  
 茅沼を発車するといよいよ釧路湿原が進行右側に広がりだす。
 そして、進行左側はシラルトロ湖や塘路湖が。
 
C1006a138
(進行左側の車窓には湖が...) 
 
 
 塘路。
 列車交換待ちのため、8分停車。
 この時間を利用して駅舎の撮影など。
 駅舎前には、いい雰囲気を醸し出している樹も。
 そして、駅舎内には喫茶店があったが、まだ時間が早いせいか閑散としていた。
 
C1006a140
(塘路駅駅舎)
 
 
 そして、8分あれば、列車を撮影する時間も...
 
C1006a139
(塘路駅に停車中の釧路行)
 
 
 このあと、釧路湿原沿いをさらに南下し、東釧路へ。
 ここで根室方面からの線路と合流し、根室本線を西に向かい釧路川を渡る。
 3年前、この橋を渡るSLを撮影したなぁと思い出す。
 朝から3時間半の長旅だったが、この日はまだ始まったばかり。
 まだ先は長い...
 
 
(つづく)

北海道3日目:釧網本線を南下する(1)

  6月19日(土)

 北海道の旅 3日目。
 乗車した列車は、知床斜里を発車し、右に90度カーブを切る。
 ここからは釧路を目指しひたすら南へ向かっていくことになる。
 なお、廃止された根北線は、ここから根室標津を目指していたそうだ。
 知床半島の中央にそびえる山を越えてゆく路線になるようだった。
 実際には、山を貫くことなく、越川まで開通したところで、建設は中断されてしまう。
 なお、未開通区間で完成していた越川橋梁(正式名称は、「第一幾品川橋梁」)は、
国の登録有形文化財に登録されているとのこと。
 
 
 そして今度は南を目指す。
 中斜里、南斜里と小刻みに停車していく。
 中斜里付近では進行左側に斜里岳が。
 このあたりの酪農地帯。車窓の両側に畑が広がる。

C1006a131
(車窓に畑が...)
 
 
 網走を出て1時間過ぎ、停車したのは清里町。
 昨日は佐久で、今日は清里と、なんとなく小海線だなぁと。
 もっとも、佐久はアイヌ語の「サク・コタン・ナイ(夏の・村・川)」から。
 そして、清里町は小清水町と斜里町から分かれたことを名前としたことが由来。
 ということで、小海線の方面の地名とは何ら関係ないようだ...
 
 
 緑。
 網走方面から来た列車は、ここで折り返す列車も数本ある。
 ちょうど、この先に釧北トンネルがあり、列車としての分水嶺になっているようだ。
 ここで、交換待ちのため4分停車する。短い時間だったが、駅舎や構内などを撮影。
 まず、駅舎から。

C1006a132
(緑駅駅舎)

 構内は、典型的な北海道の交換駅スタイル。
 中央に反対側のホームに向かう踏切が設けられている。
 タブレットの交換がしやすいように作られたと聞いた記憶があるのだが...
 そして、この駅は、近隣の山間部から切り出した木材を運び出す拠点だったとのこと。
 その木材を運び出すための森林鉄道(上札弦森林鉄道)も存在していたそうだ。
 しかしながら、現在はその頃の姿を思い起こさせるような感じは全くなかった。
 
C1006a133
(構内を見渡す)
 
 
 その緑駅にやって来た網走行普通列車は、キハ54 507。
 元々は旭川運転所に所属していた車両だった。
 しかし、2007年3月に発生した踏切事故のために釧路運輸車両所に貸し出される。
 その後、正式に釧路に転属した、曰く付きの車両だった。
 ちなみに、踏切事故に遭遇し、その後廃車となったのは、キハ54 520。
 実は、その数日前、釧網本線のSL撮影で訪れた塘路駅で撮影していた。
 
C1006a135
(緑駅に進入する、釧路所属のキハ54 507)
 
 
 
 緑を発車し、徐々に山間に。
 徐々に勾配を登っていく。そして釧北トンネルへ。
 旧国名の「釧路国」と「北見国」を分かつ峠のようだ。
 ただ、トンネルに入るまでに、いくらか高いところに上がる。
 そのため、トンネルは比較的短い600m弱。
 このトンネルを抜けると、今度は下り勾配が続く。
 
 ということで、「釧路国」エリアに入り、なおも南下し続ける。
 
 
(つづく)

北海道3日目:網走から釧網本線へ

 再び北海道の話へ...
~~~~~~~~~~~~~~~
  6月19日(土)

 北海道の旅 3日目。
 夜行都市間バスから下車した2日目の朝に比べ、動かぬ寝床は快適だった。
 ということで、この日は網走駅からスタートする。
 
 網走駅というと、カニ系の駅弁が売られていると知っていたが、6時台で営業しておらず。
 仕方がないので、駅前のローソンで朝食用のおにぎりなどを調達する。
 最近の旅は、朝食というとコンビニ調達が多いように感じる。
 時代の流れということなのかもしれないが...
 
 ということで、網走駅。
 前の晩も駅舎の撮影していたが、この日は快晴。もう一度撮影することにした。
 ちなみに駅名は、「出所した人が横道に逸れないように」と願って、縦書きに。
 
C1006a121
(網走駅駅舎)
  
 
 入場し、まず撮影したのは、上り特急「オホーツク2号」。
 前の晩、網走まで乗車したのとは違う編成のようだった。
 編成はキハ183系5両編成で、網走/札幌方先頭車は非貫通の初期車。
 
C1006a122
(網走駅で発車を待つ「オホーツク2号」。跨線橋から)
 
 そして、遠軽方先頭車は、国鉄末期~JR化後に登場した後期車で貫通型。
 以前は、両端ともにオリジナルタイプの先頭車だったが、他線区で新形式の気動車に
置換が進んでおり、そこで捻出された貫通型先頭車が組み込まれているようだった。
 ただ、貫通型先頭車ではあるが、多客期の増結には何ら関係ないとのこと。
 (Wikipediaによれば、3~4号車間に増結車を組み込むそうだ。)
 
C1006a123
(遠軽方先頭車)
 
  
 少しして、特急「オホーツク2号」が札幌を目指し発車していく。
 そのホームに、今度は金華行の普通列車が入線する。
 金華までの初列車で、北見付近の通勤通学輸送用列車のようだった。
 こちらの車両は、キハ40とキハ54が組んだ2両編成。
 キハ54は、釧路所属の車両で、金華までが運用範囲とのこと。(キハ40は旭川所属)
 
C1006a124
(金華行の普通列車)
 
 
 
 そして、網走から乗車した釧路行の普通列車。
 網走から釧網本線で南下して、ますは釧路を目指すことに。
 車両は、キハ54の単行で、ワンマン運転だった。
 
 キハ54は、道北地域だけでなく道東地域でも幅を利かせてるんだなと。
 今回の旅では、留萌本線や宗谷本線でもキハ54にお世話になっている。
 そんなキハ54 500番台は、国鉄時代末期に三島対策として投入された車両。
 製造に当たっては、廃車発生品などを再使用してコストを下げつつも、小回りが効くように、
ワンマン運転に対応できる両運転台車として製造し、さらに車体には、この頃流行りだした
ステンレス製の車体を用いたことで、車体の塗装が不要になり、整備面でもコストダウンに。
 
 ただ、この日は土曜日ということで、通勤通学輸送が無いこともあり、比較的空いていた。
 こうなると、21m級の車体を有するキハ54では、輸送力を持て余している感じに。
 
C1006a125
(乗車した釧路行普通列車。網走駅にて)
 
 
 
 網走を発車し、しばらく東南東方向に進み、知床半島の入口・知床斜里を目指す。
 隣の桂台駅を発車し、短いトンネルを抜けると、海沿いへ。
 太陽が高くなってくる時間帯ということで、なんともまぶしかった。
 初日は日本海、2日目は宗谷海峡と来て、3日目はいよいよオホーツク海側。
 北浜駅の辺りまで海沿いを走るが、その後は海岸と線路の間に丘陵が...
 流石に海は見えなかったが、進行右側に濤沸湖が。浜小清水付近まで続く。
 この付近の線路は、しばし直線。ワンマン列車だったので最後部から...
 
C1006a126
(最後部から網走方面を見る。左手に濤沸湖、右手にオホーツク海が...)
 
 
 浜小清水駅というと、線路も道路も走れるDMVの切換駅だった。
 以前は、DMVの試乗を兼ねた列車&バスが運行されていたが...
 ここ2年ほど、その試験的な営業運転は行われていない。
 ただし、線路と道路の切換部は現存し、最後部から見ることが出来た。
 
C1006a128
(浜小清水駅の線路と道路の切換部)
 
 
 
 そして、士別を発車し、右側に牧場が見えたりしつつ、知床斜里へ。
 ここで、網走行の待ち合わせを行うため、5分停車する。
 停車時間があるのならばと、いつも通り駅舎の撮影など。
 その駅舎は、沿線の他の駅と比較し、綺麗で立派な佇まいだった。
 駅名の通り、知床半島の入口ということで、駅舎もリニューアルされたのだろう。

C1006a129
(知床斜里駅駅舎)
  
 駅舎の撮影後、記念入場券などを購入したところで時間切れ。
 列車に戻り、再び釧網本線の旅へ...
 またまた先が長い一日に。
 
 
(つづく)

元気甲斐を食す

 10月16日(土)

 小海線の旅。
 「レトロ小海線」の撮影を終え、徒歩で小淵沢駅へ向かった。
 いい陽気だったので、15分ぐらい掛かったが、いい散歩になった。

C1010a073
(小淵沢駅駅舎)
 
 
 小淵沢から乗車したのは特急「あずさ20号」。
 車両は、257系11両編成。都心に戻る車中、遅い昼食をとることにした。
 
 小淵沢というと、個性的な弁当を製造・販売する「丸政」のお膝元。
 ロングセラー商品の「高原野菜とカツの弁当」でもよかったが、今回は「元気甲斐」をチョイス。
 その「元気甲斐」とは、昭和60年秋にテレビ朝日の「愛川欣也の探検レストラン」という番組で、
出演者を始め、東西の割烹(京都・菊乃井と東京・吉左右)が弁当の中身を考案するだけでなく、
安西水丸が包み紙をデザインしたりと、お弁当のコンセプトから発売までのすべてを放映した。
 そして、その時の番組の数回分がビデオに残っていて、つい最近見たばかりだった。
 ちなみに、この時の「吉左右」のソムリエは、田崎真也氏だったりする。
 そんなことを思い出し、看板弁当を選ぶことにした。
 
 ところで、この「元気甲斐」は、1300円で売られていた。
 発売当時が、1200円程度だったと記憶しており、このようなイベント要素がかなり高い駅弁が、
25年経っても、たいした値上げすることなく存続できていると言うことは、しっかりしたコンセプトで
作られていると言うことなのだろう。
 
 
 ということで、早速包みを開く。

C1010a074
(駅弁「元気甲斐」)
 
 上の写真で、左が一の重。
 京都の料亭「菊乃井」が考案。胡桃御飯など。御飯とおかずが別に。
 京都の伝統といった感じの、しっかりと整えられた盛りつけという感じ。
 胡桃御飯とはいっても、胡桃のそぼろといった感じで、比較的柔らかい。
 全体的に薄味な味付けもちょうどよかった。
 
 そして、右が二の重。
 東京の料亭「吉左右」が考案。栗としめじのおこわなど。こちらは御飯の上におかずが。
 東京らしい型にはまらない自由?な盛りつけといった感じ。
 一の重と比較し、こちらの方が少しだけ味が濃いように感じた。
 この辺が関東と関西の違いなのかなと思いつつ味わった。

 と、一の重と二の重で、考案者が違うことで、2つの弁当を同時に味わうことができる。
 そして、盛りつけ方にも変化があり、どちらもぎっしり詰まった弁当だった。
 どちらも、しっかりと味わせてもらった。
 
 
 食べ終わればお休みタイム。
 このまま、あずさ号を新宿まで乗り通し、帰途についた。
 
 

レトロ小海線号などを撮影

 10月16日(土)

 ガッカリ「レトロ小海線号」で小淵沢に到着し、改札を抜け駅前へ。
 同行のFさん、Mさんとともに、客待ちしていたタクシーで沿線へ。
 
 せっかくここまで来たし、帰りは中央本線経由で帰るので、沿線に撮影に向かう。
 今回向かったのは、小淵沢を発車し小海線が一気にカーブを切る辺り。
 駅から歩くと20分近く掛かるようだし、上り坂が多そうなのでタクシーに乗車した。
 
 
 到着したのは、小淵沢~甲斐小泉間の大カーブの外側。
 ここから先は歩いて移動することになる。
 当初は大カーブの内側で撮影しようと考えていたが、光線状況が芳しくない。
 ということで、少し歩いて小淵沢駅方面に戻った踏切の脇で撮影することにした。

 まず、やって来たのは、ハイブリッド気動車・キハE200。
 どうやら、美里から乗車してきた編成のようだった。

C1010a067
(小淵沢に向かって勾配を下ってゆくキハE200)
 
 
 その後、キハ110やキハE200が勾配を登っていった。

C1010a068
(小淵沢を発車し、勾配を登っていくキハ110)
 
 
 
 そして、お目当ての「レトロ小海線号」。
 乗車の方は、ガッカリ感すら喪失させてくれたが、撮影の方はいい感じに。
 先客が多かったことも納得できるポイントだった。
 
C1010a070
(小淵沢を発車し、勾配を登っていく「レトロ小海線号」)
  
 
 カメラを振ると、踏切脇に柿の木が。
 ちょうどいい感じに、秋らしい写真に。
 欲を言えば、柿ノ木の右側の枯れ木がなければなぁ...
 って、そこまで贅沢は言えないが。
 
C1010a071
(柿の木とDD16)
  
 
 と、ここまで撮影したところで、撤収することに。
 
 
(つづく)

レトロ小海線号で小淵沢へ

 10月16日(土)
 
 乗車した臨時快速「レトロ小海線号」は、小海駅を発車し、さらに南を目指す。
 小海を発車すると、上り勾配の区間が多くなる。
 小海線といえば、日本一標高が高い野辺山駅など、ベスト10のうちの9駅を有する。
 (ちなみに10位は中央本線の富士見駅。ということで、小海線の近隣だったりする)
 
 そんな上り勾配をどんどん登ってゆく。
 車内では、記念乗車証などの配布が行われた。
 
 
 そして、標高が一番高い駅。野辺山。
 ここで少しは停車があるのかなと思っていたのだが...
 少し遅れていたこともあり、あっと言う間に発車する。
 せめて5分ぐらい停車すれば、ホームの駅名標ぐらい撮影できたのだが...
 これでは、通常の列車とは、窓が開く開かないぐらいしか変わらない気がした。
 仕方がないので、ホーム上にあった標柱を撮影するにとどめた。

C1010a064
(野辺山駅のホームにあった標柱)
 
 
 こうなると、イベント列車なのか、それともただ単に旧型客車に乗せてもらっているのか。
 今回は長野県で実施されている、デスティネーションキャンペーンの一環らしいのだが。
 これだと、観光とは全くかけ離れている気が。いったい何のための列車か判らない状態。
 
 と、ちょっと、ガッカリ感を味わいつつ、野辺山駅をさっさと発車する。
 少し行くと進行左側には、大きなパラボラアンテナが遠くに見える。
 車内での案内放送によれば「国立天文台野辺山宇宙電波観測所」のアンテナのとのこと。
 
C1010a065
(進行左側に大きなパラボラアンテナが...)
 
 
 そして、小海線の見せ場である、JR鉄道最高地点の標柱。
 当然、見せ場なんだから、速度を落として見せてくれるんだろう...
 
 

 
  
 と、思っていたら、何故かここで速度を上げ始める。
 おいおい...orz
 
 
 確かに下り勾配に変わるから仕方がないのかもしれないが、これでは見せ場がないような。
 流石にこれは残念な展開になってしまう、確かに遅れているから仕方がないのかもしれない。
 にしても、小海駅、野辺山駅、最高地点と3度続けて、ガッカリポイントを作ってくれた。
 
 ということで、2009年の夏に撮影した画像を変わりに...
 
C0908a028
(JR鉄道最高地点の標柱。2009年8月撮影)
 
 
 もう、ここまでガッカリ感を醸し出してくれると、どうでもいいやという気にすら...
 
 やがて県境を越え、山梨県に入る。
 山梨県で最初の駅・清里駅に停車する。
 清里駅は、上の写真の標柱がある区間にある駅ということで、標高が第2位の駅だった。
 せっかく停車するのだから、少し長く停車してくれれば、駅舎ぐらい撮影できるのだが。
 
 と、停車したものの、なんとなく様子がおかしい。
 開いていた窓からホームを見ると、少し手前に停車していた。
 その後、停車位置を直したりして、乗客がホームに下りられたのは、その7~8分後。
 ガッカリ感すら喪失させてしまうイベント列車に、もう何の言葉も出ない。
 
 そして、ここまでトイレを我慢していた乗客がトイレに20人近く駆け込む。
 小海でトイレに行けず、野辺山もすぐ発車すれば、我慢も限界だったのだろう。
 こんなことなら、もっと手前の駅でトイレタイムを兼ねた停車にすればよかったのに。
 結局、清里駅を発車したのは、所定の発車時刻を15分近く過ぎていた。
  
 
 そんな、ガッカリ「レトロ小海線号」で、小淵沢へ。
 確かに旧型客車に乗車することは出来たが、こんなことならキハ110でも...
 と、思ったのは、自分だけなのかなぁと思いつつ、列車を後にした。
 
 
(つづく)

レトロ小海線号に揺られて...

 10月16日(土)
 
 臨時快速「レトロ小海線号」に乗車するため、中込駅へ。
 ただ、列車はまだホームに入線しておらず、いったん改札を出ることにした。

C1010a058
(中込駅駅舎)
 
 
 駅前ではグッズ売り場が設けられていたが、肝心の売店はなかった。
 しかも、列車に車内販売が乗車しないようだったので、駅近くのコンビニへ。
 
 そして、食料などを調達し駅に戻ってくると、列車が入線していたので、早速撮影を。
 ただ、ホーム上なので、編成全体を見渡せる写真を撮ることは出来なかった。
 ということで、けん引するDD16 11をメインに。

C1010a059
(中込駅に停車中の「レトロ小海線号」)
 
 
 ちなみに、この日の編成は、以下の通りだった。
   (↑小淵沢方)
   機 DD16 11
   1  スハフ42 2234
   2  オハ47 2266
   3  オハニ36 11

 で、乗車したのは1号車。
 オハニに乗車してみたい気もしたが...
 
 そして、サボも特製のモノがしっかりはめられていた。
 イベント列車ゆえ、こういったところは抜け目なく手配されているのだろう。

C1010a060
(側面にはサボも...)
 
 なんて撮影をしているうちに発車時刻に。
 ただ、発車に当たってのセレモニーとかは特になく、旧客の旅があっさりスタート。
 
 中込駅を発車すると、沿線にはカメラを構える鉄道ファンの姿が多く見られた。
 また、車窓から浅間山を望むことが出来た。まもなく、山頂が雪化粧するのだろう。

C1010a061
(車窓から浅間山) 
 
 
 途中、臼田、羽黒下と運転停車し、八千穂に停車後、小海駅に到着する。
 なお、今回は旧型客車で、しきりに「車内のトイレが使用停止」と案内していた。
 別に使用停止でも、途中駅で停車時間を確保していれば、問題なかったりする。
 ということで、小海駅に到着する際、停車時間中に駅のトイレを利用するよう車内放送が。
 
 乗客にトイレを促すんだから停車時間があるのだろうと。
 ならば、その時間で写真は撮れるかなと下車してみたが、駅の放送の様子がおかしい。
 「レトロ小海線号のお客さま。すぐ列車は発車いたしますので、列車にお戻りください」と...
 
 おいおい...
 話が違うんじゃ?
 って感じで、実際に停車したのは3分程度と、トイレに行けた人は何人いたのだろう?
 もっとも、中込駅を発車する時点で少し遅れていたから仕方がないのかもしれないが...
 とりあえず、ホームと駅舎を結ぶ構内踏切でヘッドマークを撮影することは出来たが。

C1010a062
(DD16に取り付けられたヘッドマーク。小海駅にて)
 
 
 
 と、少々先が思いやられそうな展開になりつつ、さらに南を目指すことに...
 
 
(つづく)

キハE200で中込へ

 10月16日(土)
 
 10月も半分が過ぎた16日。
 先輩のMさん達に誘われて出掛けたのは長野県。
 今回の目的は、小海線で運転された「レトロ小海線号」への乗車。
 久しぶりのネタ列車ということもあり、張り切って出掛ける予定だった。
 しかし、前日の飲み会で飲み過ぎてしまい、調子が上がらないままスタートした。
 
 ということで、長野新幹線で向かったのは、佐久平。
 ここから、小海線の旅がスタートする。
 小海線というと2009年の夏、国盗り合戦の100城巡りで乗車して以来。
 ただ、始発駅の中込にそのまま向かっても時間が余るため、一旦小諸方面へ向かった。
 
 下車したのは、中込から2つ目の美里駅。
 この美里駅は、JRになってから開業した駅。
 駅舎を兼ねた待合室がある1面1線のこぢんまりとした駅。
 乗車してきた列車は、一つ先の三岡駅で中込行と交換してくる。
 その列車を待つ時間で、駅舎を撮影したりホームを観察したりする。
 
C1010a051
(美里駅駅舎)
 
 
 
 そして、ここから乗車したのは中込行。
 やって来たのは、キハE200。
 昨年の夏、中込駅に停車中の列車を撮影したが、乗車は初めてだった。
 
C1010a052
(美里駅に進入するキハE200)
 
 
 キハE200形というと、ディーゼルエンジンと蓄電池のハイブリット動力車。
 エンジン側がディーゼルということもあり、形式は「キハ」を名乗っていた。
 しかし、その後登場した「リゾートビューふるさと」は、「HB」を名乗っている。
 ということで、今後登場するハイブリッド車では、「キハ」と名乗らなくなるのだろう。
 確かに、ディーゼルエンジンは搭載していても、蓄電池でも走れてしまえば...
 走行音は静かなのかなと思っていたが、キハ110より若干賑やかな感じだった。
 とはいえ、振動はあまりなく、乗り心地自体は悪くはなかった。
 
 なお、キハE200形は鉄道友の会の2008年度「ローレル賞」を受賞していた。
 で、乗車した車両が、キハE200-1だったことから、車内上部にプレートが。

C1010a053
(ローレル賞受賞のプレート)
 
 
 なんてことを観察しているうちに、終点の中込に到着する。
 で、乗車するときは気付かなかったが、車体にはイラストが描かれていた。
 小海線のマスコットイメージのようだった。

C1010a054
(車体にイラストが...)
 
 そして、小淵沢方に一旦引き上げ、入区していった。
 
C1010a055
(小淵沢方に引き上げていくキハE200)
 
 
 
 と、キハE200の旅はここまで。
 このあと、レトロな旅が...
 
 
(つづく)

SLみなかみ号などを撮影する

 10月11日(月)

 10月の3連休 最終日。
 秋の臨時列車として運転を開始したSLみなかみ号を撮影すべく、岩本へ向かった。
 すでに前週の「SL信越線125周年号」でD51 498のナンバープレートは黒に戻っていた。
 ということで、久しぶりに黒ナンバーを取り付けた「SLみなかみ号」を撮影することにした。
 
 
 まず撮影したのは、SLみなかみ号の前を行く、水上行普通列車。
 115系4両編成で、「ググっとぐんま」のラッピング車だった。

C1010a046
(SLの前に、「ググっとぐんま」ラッピング車)
 
 
 そして、黒ナンバーのSLみなかみ号。
 秋の列車はヘッドマークの取り付けが無いようだった。
 これはこれで、新鮮な感じだった。
 ただ、煙が多く後ろの客車がいまいち判りづらい写真に。
 リベンジが必要な気が...orz

C1010a047
(岩本駅付近を走る「SLみなかみ号」)
 
 
 なお、けん引するD51 498は、後藤デフ+集煙装置が取り付けられ、現在の姿になり半年。
 しばらくこのスタイルが続くのかなぁ?なんてことを思いつつ、今度は振り返って上り列車を。
 
 このポイントは、SLみなかみ号が通過して数分後に、特急「水上2号」が通過する。
 すでに前にも書いているが、12月のダイヤ改正で、定期列車としては姿を消す。
 そんな特急「水上」を撮影した。

C1010a048
(岩本駅を通過する特急「水上2号」)
 
 
 ここまで撮影したところで岩本を後にする。
 
C1010a049
(岩本駅駅舎) 
 
 
 そして、SLみなかみ号を撮影後、次に向かったのは井野駅。
 臨時特急「草津51・52号」に湘南色の185系が充当され、9、10日と撮影していたが下りのみ。
 営業運転を行う上りの臨時特急「草津52号」は11日のみの運転だった。
 ヘッドマークはまだ取り付けられているのだろうと、撮影することにした。

C1010a050
(井野駅に進入する「草津52号」)
 
 
 ここまで撮影したところで、3連休の撮影は終了。
 少し早い時間帯だったが、帰途についた。
 
 

ダムに沈む駅・川原湯温泉駅にて

 10月10日(日)
 
 10月の3連休 2日目。
 臨時特急「草津51号」で到着したのは長野原草津口
 改札外の待合室から、湘南色編成を撮影したり...

C1010a038
(待合室から湘南色編成を撮影してみる)
 
 
 そして、同じ列車に乗車してきたOくんと合流し、帰途につくことにした。
 まず、乗車した普通列車でお隣の川原湯温泉へ向かった。
 
 川原湯温泉駅というと、現在建設中の八ッ場ダムに沈む駅として有名な駅。
 その川原湯温泉駅に後続となる、185系湘南色の回送列車が運転停車する。
 ここで、下りの特急「草津5号」の交換を待ちを行うためだった。
 回送列車とはいえ、特製ヘッドマークが取り付けられているので、回送でも同じ姿。
 この時間を利用して、特製マーク付編成の姿を撮影することにした。
 なお、せっかくなので、沈む駅「川原湯温泉」の駅名標とともに...

C1010a039
(川原湯温泉駅に進入中の185系湘南色編成。駅名標とともに)
 

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湘南色の草津号で長野原へ

 10月10日(日)

 10月の3連休2日目。
 前日からの3日間、臨時特急「草津51・52号」に185系湘南色編成が充当されていた。
 連休初日は雨に降られながらも、井野、新前橋で撮影していた。
 そして2日目のこの日。今度は後輩のOくんに誘われ、乗車することにした。
 なお、連絡をもらった時、すでにOくんは始発の新宿に向かっていた。
 しかし、こちらは新宿の発車時刻に間に合わないので、熊谷から乗車することにした。
 
 
 ということで、熊谷駅。
 列車が到着する少し前にホームへ。
 すでに、到着を待ち三脚にコンデジをセットして列車の到着待つ少年がいた。
 邪魔をしちゃあいかんなぁと言うことで、ここはLEDの案内標を撮影することに。

C1010a028
(熊谷駅のLED案内標。まもなく草津51号が到着する)


 もっとも、この熊谷駅は新幹線の停車駅。在来線は新幹線の高架下と条件が悪い。
 わざわざ乗車前に撮影することもないかなぁと...
 
 早速乗車したところで、車内販売のお姉さんが。
 ワゴンを見ると、記念サボが売られていたので早速購入するが...
 イラストは、通常の185系だったりする。
 「あれ?」と思いつつ裏を見ると、湘南色を模した橙と緑を使った文字が書かれていた。
 ただ、その文字が、どうにも「読売ジャイアンツ」をイメージしてしまうようなカラーリング。
 ということで、写真の掲載は省略ということで...
 
 
 そんな湘南色編成の臨時特急「草津51号」は、北を目指して快調に飛ばしていく。
 しかも、前日に比べ、いい天気になったので、沿線にはカメラを構えるファンの姿も。
 と、沿線の風景を眺めているうちに、高崎駅に到着する。
 その高崎駅で待ちかまえていたのは、上信電鉄ホームに停車中の「銀河鉄道999号」。
 偶然ながら、こういう遭遇もいいなぁなんて思ってみたりする。

C1010a029
(車窓から。上信電鉄ホームのホームを撮影してみたら...)
 
 
 
 高崎を発車したところで、スーツ姿のJRの方やハッピ姿の観光協会の方が乗車してくる。
 ここで、「草津号50周年記念」の記念乗車証や観光パンフレットが配布される。
 記念乗車証は、ビニールに入ったうちわタイプのもので湘南色の185系のイラストが。
 また、「草津号」の歴史や、「草津51・52号」の停車駅についても書かれていた。
 ちなみに裏面は、パンフレットと同じ文字・イラストが同じ色で描かれていた。
 このところ記念乗車証というと、カードサイズぐらいの小さいモノが多かったが珍しいなと。

C1010a030
(記念乗車証と駅に合ったパンフレットを)
 
 
 ただ、この記念乗車証。数列後ろのファンと思しき乗客が何度も受け取っていたりする。
 このところ、1人1枚にもかかわらず、何度も受け取ろうとするファンの姿を見受ける。
 何枚ももらって帰ったところでどうするんだろうと。
 そういえば、SLとかによく乗る知り合いの「乗り鉄さん」からも同じような話を聞いたなぁと。
 車内配布される記念乗車証を一人で何枚も受け取ろうとして、トラブる常連客がいるって。
 まさか同じ人じゃないよなぁ....

 
 そうこうしているうちに、列車は渋川駅を発車し左にカーブを切って吾妻線へ。
 ここからは単線区間。そして進行方向は西へ。山間を進んでいくことになる。
 
 と、すでに時刻はお昼を回っており、車内販売で購入した駅弁を食べることにした。
 今回購入したのは、「こだわり弁当 女将の極うま!」。価格は1100円と若干高め。
 高崎駅の駅弁業者「たかべん」の弁当で、草津温泉《女将》湯の華会監修の文字が。
 さらに各旅館の女将の写真が載っており、包み紙の「特急草津号50周年」の文字も...
 それにしても、商品名の文字がなんとなく「どうでしょう」な感じなのは気のせいか? 

C1010a032
(購入した「こだわり弁当 女将の極うま!」)
 
 開けてみると、服が汚れぬ(食べこぼさぬ)よう膝掛けが入れられていた。
 あぁ、これが女将の心遣いってコトなんだろうなぁ。お品書きにも添えられていた。
 
 で、弁当の中身は...
 ほぼ正方形の折りに9つの小鉢で仕切られていた。
 ここに、9種類の上州の素材を主体に使用したご飯やおかずなどが盛りつけられていた。
 なお、「たかべん」製ということで、定番の紅玉こんにゃくも入っていた。

C1010a034
(ということで、その中身は...)
 
 中身の撮影を終えたところで、箸を進めていく。
 群馬県も椎茸の主な産地にピックアップされているようで、舞茸姿煮、椎茸煮が。
 どちらも味が染みており美味しくいただいた。
 ただ、不思議だったのが天むすびのエビ天。
 「たかべん」の弁当で有名なのは「だるま弁当」。その「だるま弁当」もやはりエビが。
 以前、「だるま弁当」は地産地消を掲げ、中身がリニューアルされたが、その頃からなぜか...
 さらに、他の「たかべん」の弁当でも、エビが入っているものが。
 確か、記憶が正しければ、群馬県って海無し県のはずだが...
 山奥の温泉旅館でも、マグロの刺身が出てくるのと同じ構図とでいいのかなぁ?
 と、この記事を書いて上のリンクを付けていたら、別の駅の弁当でも同じ記載を... 


 なんて、くだらないことを思っているうちに列車は、さらに西へ進んでゆく。
 そして、岩島駅の先の新線との切換部や日本一短い樽沢トンネルを抜けていく。
 この辺りは、吾妻渓谷沿いを進んでいく。ただ、遅れているのか紅葉には早かった。
 
 
 川原湯温泉。
 到着直前に、「歓迎 なつかし あたらし 川原湯温泉」という看板が。
 八ッ場ダムの工事の中心地で、完成後はダムに沈む川原湯温泉。
 そして、駅付近もダムに沈むため、吾妻線や並走する国道は付け替えられる。
 しかし、ダム本体の建設がとまっており、吾妻線や国道の工事はどうなっているだろう...
 
 C1010a036
(進行左側に見える看板。実は2月の記事にも掲載してたりする)
 
 
 終点の長野原草津口。
 今回は、列車に乗ることが目的だったため、ここで素直に引き返すことにした。

C1010a037
(長野原草津口に到着した「草津51号」)
 
 
(つづく)

3連休初日の撮影。午後の部...

 10月 9日(土)

 あまり気の利いた「タイトル」にならないなぁ...orz

 10月3連休の初日。
 翌日、東新潟機関区でのイベントに展示する機関車が送り込まれることに。
 調べてみると、通常は貨物列車の6789列車の時刻で運行されるとのこと。
 ということで、所用を終え再び井野駅に向かった。
 
 流石に少し早めに到着したため、先客はいなかった。
 しかし、列車の通過時刻が近づくと、数人がカメラを構える状態に。
  
 まず、先行する高速貨物の2071列車。
 EH200-7号機がけん引するコンテナ列車で、隅田川発富山貨物行。
 昼間の列車にシフトされたことにより、撮影機会が増えた気がする。
 そのため先日も、沼田~後閑間で撮影している。

C1010a023
(井野駅に進入する2071列車)
 
 
 そして、お目当ての回送列車。
 EH200-6号機がけん引し、その後ろにEF65 535とDD51 822が連結されていた。
 普段は見掛けない編成ということもあり、なんとなく違和感が...
 
 それにしても、このところEF65 535のイベント出現率が高くなりつつあるような...
 EF65の500番台は、定期使用されることが無くなり、残存機はかなり少ない。
 というのも、鉄道車両は用途が無くなれば廃車されてしまう。
 そう考えれば、現状で保存しているJR貨物に感謝すべきなのかもしれない。
 そんな機関車について、一部では署名運動をして残そうという動きもあるようだ。
 おそらく、「残存機が少ない」=「貴重」という図式なのかもしれないが...
 確かに世界遺産や産業遺産のように、残すことが大事なこともあるかもしれない。
 しかし「残すこと」は、そのモノの維持に莫大な金が掛かり、途中で止められない。
 で、その車両を所有しているのは、あくまでも一企業であるJR貨物。
 しかも、JRの本州三社と比較すれば、まだまだ経営が順調とは言えない。
 ということで、あくまでも成り行きに任せ、静かに見守りたいと感じた。
 
C1010a024
(ということで、送り込み列車)
 
 
 その送り込み列車。
 せっかくなので、後追いでも撮影しておく。

C1010a025
(送り込み列車の後追い)
 
  
 
 この後、185系湘南色編成を撮影するため、お隣の新前橋へ向かった。
 昼頃、臨時特急「草津51号」として長野原草津口に向かったが、帰りは回送列車。
 このまま井野駅でも撮影することは出来たが、雨が降っており通過の撮影は辛い。
 となれば、停車する新前橋駅で撮影する方がいいのかなと、移動することにした。
  
 ということで、新前橋。
 すでに雨は本降りに。
 雨に濡れつつ、なんとか記録してみた...
 
C1010a026
(新前橋駅に停車中の185系湘南色編成)
 
 
 この日の撮影はここまで。
 湘南色編成の晴れ舞台となるべく日だったが、残念ながら雨。
 翌日以降に賭けてみることにして、新前橋駅を後にした...
 
 

新宿から草津温泉へ~草津号50周年記念列車運転

 10月 9日(土)

 「体育の日」3連休初日の9日。
 秋の臨時列車として、臨時特急「草津51・52号」が運転されることとなった。
 この列車というと、前身である「あがつま草津」から続く新宿発着の特急列車。
 そして、吾妻線の特急列車「草津号」が運行を開始してから50周年を迎えた。
 これを記念して、工場に入場していた185系が湘南色を纏って出場していた。
 その湘南色編成が、3連休の間、「草津51・52号」に充当されるとのことだった。
 ならばと、撮影に出掛けることにした。


 なお、草津号の運行開始は、1960年(昭和35年)。種別は準急だった。
 当時は、吾妻線ではなく長野原線と名乗っており、電化はされていなかった。
 にもかかわらず、運行開始時には、湘南電車こと80系電車を使用していた。
 ということで、当時は長野原線内はSL・C11などがけん引して運行していた。
 
 その後、列車名がかなや漢字だったり、気動車化され電車に戻ったりする。
 さらには、157系を使用した臨時特急「白根」の運行開始し、後に定期化される。
 その「白根」も新幹線の上野開業に伴い、「草津」に改称されてしまう。
 特急「草津」の誕生後は、新特急化などを経て、現在の「草津号」に落ち着く。
 

 そんな、湘南色をまとった「草津号」の記念列車を撮影すべく向かったのは、井野。
 このところ、SL撮影には訪れていないため、下り列車の撮影では久しぶりだった。
 しかし、この日は朝から天候が悪く、列車がやってくる頃には、雨が降り出す。
 濡れながらの撮影も考えたが、結局屋根の下で撮影することにした。

 ということで、撮影したのは下の写真。
 通常の絵入りマークと思いきや、特製のヘッドマークが取り付けられていた。
 矢羽根が付いたヘッドマークは、80系電車をイメージしたのかなと...

C1010a021
(井野駅に進入する臨時特急「草津51号」)
 
 
 と、ここでの撮影は、この1本のみ。
 このあと所用があり、井野駅を後にした。
 
 
(つづく)

EF66がけん引する4078列車

 10月 9日(土)
 
 倉賀野駅で団臨「旅のプレゼント号」を撮影後、次に訪れたのは、お隣の新町駅。
 倉賀野駅で撮影していた時、上りの側線にEF66がけん引する貨物列車が発車を待っていた。
 貨物時刻表によれば、4078列車は土休日運休とあったが、この日は運転があるようだった。

C1010a015
(倉賀野駅で発車を待つ4078列車)


 午後の運転となる下りの貨物列車は、TOMO氏と先日撮影していた。
 しかし、上りの貨物列車を撮影する機会に恵まれていなかった。
 ただ、この日は、タイミングよく上りの貨物列車を撮影できる行程になった。


 ということで、列車を待つ。
 まず、新宿行の特急「ウィークエンドあかぎ8号」。
 踊り子号に使用されている田町車の7両編成が使用されている。

C1010a016
(新町駅に進入する「ウィークエンドあかぎ8号」)
 
 
 続いて、上り高速貨物の2092列車。
 秋田貨物発東京貨物ターミナル行。
 岩本などでも撮影したことがある列車。
 午前中の撮影しやすい時間帯に高崎線内を運転する列車。
 
C1010a017
(新町駅に進入する2092列車)
 
 
 この後やって来たのは、上野行普通列車。
 デビュー当時は珍しかったE231系も、今ではすっかりメインになりつつある。
 もっとも、数年後に211系が運用離脱すれば、こちらが古株になってしまうが...

C1010a018
(E231系の上野行普通列車)
 
 
 
 そして、4078列車。倉賀野発根岸行の石油返空列車。
 最初の写真の通り、けん引機は100番台の113号機。後ろにはタキ1000が連なる。
 コンテナ車以外の貨車としては、比較的見掛けることが多い形式かもしれない。
 ワムなどの有蓋貨車は、コンテナに置き換わり、ISOタンクコンテナも登場した。
 しかし、石油関連製品の輸送には、まだまだタキが幅を利かせていくのだろう。
 
C1010a019
(新町駅を通過する4078列車)
 
 
 ここまでで、撮影は一旦終了。
 次の撮影は、お昼。
 この日は、なんとも変則的なスケジュールになった。
 
 
(つづく)

団臨「旅のプレゼント号」を撮影

 北海道の話はいったんお休み。
~~~~~~~~~~~~~~~
 10月 9日(土)

 10月の3連休初日。
 183系の団体列車が運転されるので、この列車を撮影するため、倉賀野駅へ向かった。
 ただ、天候はあまり良くなかったりする。
 
 撮影準備をしていると、上り列車の接近放送が掛かる。
 やって来たのは、レール輸送の列車だった。
 レールはどこかに置いてきたのか、積み荷は無かった。
 ちなみに、けん引する機関車は田端のEF65 1115。
 それにしても、なんともタイミングがいいなぁと

C1010a011
(倉賀野駅を通過するレール輸送車)
 
 
 目当ての団体列車「旅のプレゼント号」。
 こちらは、大宮車両センターの183系6両編成。
 絵入りのヘッドマークだった。

C1010a012
(倉賀野駅を通過する「旅のプレゼント号」)
 
 
 そして、このあとやって来た、特急「あかぎ」。
 14両編成で運転する特急列車。流石に長いなぁと。
 すでに発表されている12月のダイヤ改正で、「水上」系統が臨時列車化される。
 しかし、この「あかぎ」系統は、「草津」系統とともに残存するとのこと。
 ただ、経年を考えると、185系の長編成が行き交うのは、おそらく数年だろう...

C1010a013
(倉賀野駅を通過する特急「あかぎ」) 
 
 と、ここまで撮影したところで、次のポイントへ向かうことにした。
 
 
(つづく)

北海道2日目:網走へ...

  6月18日(金)

 北海道の旅 2日目。
 前日、羽田を発ってから30時間以上経過し、網走に到着する。
 しかも、旭川から乗車した特急「オホーツク5号」で、3時間弱。
 
  
C1006a116
(網走に到着した「オホーツク5号」)
 
 
 そして、駅舎を撮影したところで、この日の行程は無事終了。
 流石に、乗りっぱなしの旅で疲れたこともあり、このまま駅前の宿へ。
 長い旅はもう少し続く...
 
C1006a117
(たどり着いた網走駅の駅舎)
 
 

北海道2日目:進行方向が変わる駅・遠軽

  6月18日(金)

 北海道の旅 2日目。
 乗車した特急「オホーツク5号」は、網走を目指し走り続ける。
 なお、走行する石北本線は、札幌から網走に向かう路線としては、最後に開業した路線。
 というのも、当初は富良野線・帯広・池北線・北見経由で網走を目指していた。
 その後、名寄本線・興部・紋別・湧別経由で遠軽に出て、網走を目指すルートに代わる。
 そして、最後に開業したのが、現在の石北本線。
 前の記事にちょっと書いた石北トンネルの開通で、ショートカットできるようになった。
 
 
 その旧名寄本線回りと石北トンネル回りの石北本線が出会う駅が遠軽。
 開業当初は、名寄本線回りでスルー運転していたが石北本線は逆方向から接続。
 さらに、その名寄本線が廃止され、現在は単純にスイッチバックを要する駅に。
 ということで、乗車した「オホーツク5号」も例外なく、進行方向が変わるため2分停車。
 遠軽も一度は途中下車したい駅の一つではあったが。
 今回は後の行程を考慮し素通りに。とりあえず、ホームに下りてみるのが精一杯だった。 
 
C1006a114
(遠軽駅に停車中...)
 

 進行方向が変わり、遠軽を発車する。
 発車する際、乗車した車両から旧名寄本線側の方向を撮影してみた。
 以前は、あの方向にも列車が走っていたんだなぁと。

C1006a115
(遠軽駅の湧別方)
 
 
 このあと、生田原を発車し常紋峠へ。
 言わずとしれた常紋トンネルで峠を越えていく。
 その常紋トンネルを抜けたところが、常紋信号場。
 スイッチバック式の信号場として有名な信号場の一つ。
 外は暗くなりつつあったが、夏至近くだったため、車中から観察することが出来た。
 副本線への信号機や待避線からの出発信号機には白い×印がつけられていた。
 すでに使用を停止しているようだった。
 気動車のみの運行で、列車密度が薄いこともあり、役割を終えたということなのだろう。
 
 ちなみに、この辺りで携帯電話を操作したところ、コロプラは「北見」拾いが成功する。
 しかし、国盗り合戦の方は、「紋別・網走」となり、かなりエリアは広い。
 違うゲームだから仕方がないとはいえ、エリア分けも随分違うんだなぁと..
 
 
 北見。
 駅手前の市街地をトンネルで抜ける、少し変わった構造。
 これも連続立体交差化ということなのだろうか
 そして、北見を発車すると今度は高架区間。
 なんだか贅沢な路線のような気がするのは気のせい?


 そして、列車は終点の網走を目指し、なおも走り続ける...
 
 
(つづく)

北海道2日目:特急オホーツクで道東へ

  6月18日(金)

 北海道の旅 2日目。
 稚内を11時前に発ち、比布に寄ったりして、ようやく到着した旭川。
 既に16時を回っており、陽も暮れかかる時間帯。
 ただ、訪れたのが夏至に近いため、まだ明るかった。
 
 
 その旭川駅は、高架工事の真っ直中だったが、まだ地上のホームだった。
 高架線の使用開始は、平成22年10月とまもなく開業を迎えようとしていた。
 そして、旭川から乗車するのは、特急「オホーツク5号」。
 ここも乗り換え時間は20分ほどと余裕はなかったが、駅舎の撮影など。
 次回、旭川を訪れるのは、高架開業後となるだろうから見納めに。

C1006a108
(旭川駅駅舎)
 
 
 駅舎の入口脇には、木彫りの人形も。
 前回訪れた時は、全く気付かなかったなぁと思いつつカメラを向けた。

C1006a109
(木彫りの人形)
 
 
 ホームに戻ると、DF200がけん引する貨物列車がやって来たのでカメラを構える。
 貨物時刻表などから推測すると、前日深川で撮影したのと同じ列車のようだった。

C1006a111
(DF200-104がけん引する1085列車)


 そして、旭川から乗車した、特急「オホーツク5号」網走行。
 この列車で網走を目指すことにした。
 なお、列車はキハ183系5両編成。席は半分ぐらい埋まっていた。

C1006a112
(旭川駅に到着する特急「オホーツク5号」)
 
 
 旭川を発車し、新旭川で右に折れて石北線に入っていく。
 徐々に山間に向けて進んでいく。そして陽も暮れかかる。

 次の停車駅の上川。
 旭川から上川までは、普通列車の設定があるが、思っていたよりも山の中のように感じた。
 その上川を発車すると、時刻表上の次の駅は上白滝。
 なお、この区間は駅間距離が34.0Kmと異様に長い区間。
 以前は駅だった、中越、上越、奥白滝が利用客がないため信号場に降格されている。
 さらには廃止された天幕駅も。そんなことが理由で、駅間の距離が長くなっていた。
 もっとも、この区間は山間部で、人家もほぼ見あたらなかったりする。
 そんな利用客も見込めない駅をいくつも設置しておいても、維持費が掛かるだけだからなぁ...
 
 上越信号場で上り列車と交換すると、列車は北見峠を貫く石北トンネルへ。
 このトンネルを抜ければ、いよいよオホーツク総合振興局エリア(旧網走支庁)に入る。
 と、気がつけば、ウトウトする時間が長くなっていた。
 都市間夜行バスで稚内に到着してから、すでに12時間以上。
 ほぼ移動し続けているんだから眠くもなるか...
 
 
(つづく)

北海道2日目:ピップという名の駅

  6月18日(金)

 北海道の旅 2日目。
 名寄から快速「なよろ8号」に乗車し旭川を目指す。
 その車中、北海道版時刻表を見ていてあることに気付いた。
 途中の駅で、後続列車に乗り継いでも、旭川から乗車する列車に間に合うなと。
 その途中の駅とは、タイトルの「比布(ぴっぷ)駅」。
 以前、医薬品メーカー「ピップ」がこの地で撮影したCMを流していたこともあった。
 そんな有名な駅なんだし、せっかくなので下車してみることに... 

 
 ということで、比布駅。
 次に乗車する列車はこの比布始発。
 その列車に充当される普通列車の到着を待つため、快速なよろが数分停車する。

C1006a101
(比布駅に停車中の快速なよろ)
 
 
 そして、このあと乗車する旭川行の普通列車が到着する。
 区間列車として運転する列車ゆえ、快速なよろより1両多い、キハ40の2両編成。
 どうやら、上り列車がメインで、その送り込みなのかガラガラだった。

C1006a102
(比布止まりの普通列車)
 
 
 
 乗車予定の旭川行普通列車の発車時刻まで12分と、あまり余裕はなかった。
 ということで、途中下車して駅舎などを撮影することに。
 その駅舎は、ピンク色。おそらくこの地がイチゴの産地ということからなのだろう。
 ちなみに駅舎にも、その事を示す看板が取り付けられていた。
 
C1006a104
(比布駅は明るいピンク色の駅舎)
 
 
 駅前にはレンガ積みの農業倉庫も。
 やはり農業が盛んなようだ。

C1006a105
(比布駅前の農業倉庫)
 
 
 駅舎やその周囲を撮影し終えたところでタイムアップ。
 跨線橋をあがり、比布始発の列車で旭川を目指すことにした。
 その旭川行普通列車は、2両ではもったいないぐらいガラガラだった。
 このあとの運用の都合とかで、2両なのかなとも思ったりする。
 
  
 比布のお隣は、南比布。
 仮乗降場のような簡易ホームだった。
 あとで調べたら、開業時は仮乗降場としてスタートしているとのこと。納得...
 
C1006a106
(南比布駅のホーム) 
 
 
 北永山。
 ここで、近隣の高校の下校時間と重なったため、車内は立ち客が出る賑わいぶり。
 先行列車は通過だから単行でもいいが、こちらは停車だから2両編成になるわなと。
 そんなことを納得しつつ、賑やかな列車で旭川を目指した。
 
 
(つづく)

北海道2日目:名寄へ

  6月18日(金)

 北海道の旅 2日目。
 宗谷本線を南下し続ける。
 
 
 稚内~旭川間のほぼ中間となる音威子府。
 赤い「青春18きっぷ」が売られていることで有名な駅。
 ここで列車番号が変わる列車もあり、長時間停車する列車もある。
 が、残念ながら乗車した列車は、1分ほどの停車で発車する。
 次回は、途中下車出来るように行程を組んでみようと思ったのは言うまでもない。
 
 
 
 豊清水。
 稚内行普通列車の待ち合わせで5分停車。
 この時間を利用して駅舎などを撮影する。
 ただ、足場が悪かったりして、ホーム側からしか撮影できなかったが...

C1006a091
(豊清水駅駅舎)
 
 そして、停車中のキハ54も。

C1006a092
(豊清水駅停車中...)
 
 
 
 この後も、南下を続ける。
 途中、紋穂内(もんぽない)や智恵文(ちえぶん)は、車掌車を改造した駅舎だった。
 道内では、日高本線の節婦駅や、前の記事の筬島駅などいくつかの駅で見ることが出来る。
 で、紋穂内駅は錆が浮いており、そろそろ手入れが必要のようにも感じられた。

C1006a093
(紋穂内駅駅舎)
 
 
 一方で、智恵文駅のように、外板をリニューアルしているものもあった。
 しかしながら、車掌車利用の駅舎が多く、手を入れる余裕がないのかもしれない。
 ただ、北海道という気候を考慮すると、このような待合室は必要なのかなと...

C1006a094
(智恵文駅駅舎)
 
 
 
 そして、終点の名寄へ。
 到着すると同時に、向かい側に停車していた稚内行の普通列車が発車していった。
 ちなみに、この列車が幌延以北に向かう、この日の終列車。随分早いんだなぁと。

C1006a095
(名寄駅を発車を待つ稚内行の終列車。やはりキハ54)
 
 
 そんな光景を見ているうちに、乗車してきたキハ54はすぐさま旭川方面へ。
 そのまま、構内にある検修庫の方に入区していった。
 
 そして、名寄から乗車したのは、快速「なよろ8号」旭川行。
 車両は、キハ40単行のワンマン。すでに駅舎側のホームに停車していた。
 キハ54と比較して、どちらが格上なのかちと迷うところ。
 ちなみにこの日は、曇ったり晴れたりと忙しかったが、名寄付近は快晴だった。
 内陸の気候ということなのか、少し蒸すような暑さだった。
 しかし残念ながら、キハ54に引き続きこちらも非冷房車だった。
 
C1006a096
(名寄から乗車したのはキハ40の快速「なよろ8号」)
 
 
 なお、発車まで15分近くあったので、場所取りしたところで駅舎などを撮影する。
 ちなみにこの名寄駅、現在は宗谷本線の主要駅の一つになってしまっているが、
以前は東に深名線が、西に名寄本線がそれぞれ分岐していた。
 そんなターミナル駅だったこともあり、立派な駅舎だった。

C1006a097
(名寄駅駅舎)
 
 
 
 先述の通り、名寄駅停車中は蒸し暑かったが、動き出せば風が入ってきて心地いい。
 これが出来るのが、キハ40系列なのかなと。最近の車両は窓が開かないからなぁ。
 ちなみに「快速」と名乗るだけあって、名寄を発車すると、士別まで停車しない。
 それ故、快調に飛ばしていく。
  
 士別。
 下り特急「サロベツ」の待ち合わせで3分停車。
 宗谷本線を走る唯一の非振り子形気動車使用の特急列車。
 到達時間を考えると、遅かれ早かれ置き換えられてしまいそうな気もするのだが...

C1006a098
(士別駅に進入する特急「サロベツ」)
 
 
 そして下り線側の側線には、DE15がけん引する砕石工臨も。
 とりあえず「サロベツ」は上の通り撮影できたが、工臨の方は発車後の車内から。

C1006a099
(士別駅に停車中の工臨)
 
 
 
 和寒を出て、しばらく走ると塩狩峠に差しかかる。
 峠ということで、エンジンを唸らせながらゆっくり勾配を登る。
 名寄付近の軽やかな足取りが気のせいだったかのように。
 勾配を登り切ったところで塩狩を通過する。
 どうやら、塩狩駅自体が峠の頂上にあるようだ。
 ちなみに、記事を書くに辺りWikipediaを見ると、確かに頂上とのこと。
 しかもこの峠が、石狩と天塩を分かつ峠で分水嶺とのことだった。
 
 その塩狩駅を通過すれば、今度は旭川方面に向かって下っていく。
 そして、旅はまだ続く...
 
 
(つづく)

北海道2日目:幌延駅にて

  6月18日(金)

 北海道の旅 2日目。
 稚内から乗車した列車は、1時間ほどで幌延に到着する。
 まだ3分の1しか来ていないが、特急「スーパー宗谷1号」の交換待ちのため、10分停車。
 なお、幌延というと、留萌から日本海沿いを走っていた羽幌線の終着駅だった。
 その羽幌線は、国鉄の分割民営化(JR化)を前に廃止になっている。
 既に廃止されてから、20年以上経つため、構内は整理されてしまっているようだった。
 それでも奥の方に、木造の建築物が。何かの痕跡なのかなぁ?なんて思ってみたりする。 

C1006a080
(到着したホームから、構内側を。)
 
 
 ということで、駅舎などを撮影して回ることに。
 到着したのは、駅舎とは反対側のホームだったため、跨線橋を渡ることに。
 その跨線橋の登り口などに書かれていたのは、「トナカイ」の絵。

C1006a081
(跨線橋に取り付けられていた「トナカイ」の絵)
 
 
 「トナカイ」というと、クリスマスのサンタクロースのそりを引く動物だったなぁ...
 なんだろうと思いつつ、駅舎側のホームに行くと、「トナカイの里」という案内板が。
 「なるほど」と納得する。ということで、この幌延駅がある幌延町のシンボルらしい。
 その幌延町は、役場のHPなどによると、以前は北海道は支庁制をとっていた。
 その支庁が平成22年に総合振興局に看板を掛け替え、留萌から宗谷に移管されるそうだ。
 Wikipediaによれば、豊富村も以前(1948年)、同様に移管になっているとのこと。
 幌延町の所在地から想像すると、宗谷エリアって感じもするのだが...
 
C1006a082
(その幌延町は「トナカイ」の里。そして北緯45度の町)


 駅舎内には、沿岸バスの営業所も設置されていた。
 廃止された羽幌線が転換した際、沿岸バスに移管したことが理由なのだろう。

C1006a084
(幌延駅駅舎)
  
 
 そして、ホームに戻ると、スーパー宗谷1号が到着するところだった。
 「スーパー宗谷」というと、振り子式気動車のキハ261系を使用している。
 振り子式の特性を活かし、札幌を発車し、幌延までは約4時間で到達する。
 ちなみに、キハ183を使用した「サロベツ」は、幌延まで4時間40分掛かる。

C1006a085
(幌延駅に停車中の「スーパー宗谷」と名寄行) 
 
 
 スーパー宗谷1号が稚内に向かっていったのを見送り、名寄行の列車に戻った。
 
 
 
 幌延を発車すると、上幌延、南幌延、安牛を通過して、一気に雄信内(おのっぷない)へ。
 南幌延付近は牧場が数軒あったが、通学でもなければそれほど利用はないのだろう。
 その雄信内駅の駅舎脇にヘビが絡まっているのを見つけ撮影したものの...
 後でその画像を見たらホースみたいだったりする。ということで、画像省略。
 まぁ、それだけ自然が残っていると言うことなのだろう。
 
 
 佐久。
 駅舎は地元の「ふるさと伝承館」を兼ねているようで、かなり立派な建物だった。
 前後の駅の駅舎と比較すると、かなり立派な建物だった。
 
 その駅舎と反対側(上り線側)に、保守作業用とおぼしきトリプルキャブの車を発見する。
 ダブルキャブでもあまり見ないが、あんなごついものもあるのねと...

C1006a088
(トリプルキャブのトラック。思わず撮ってしまった...)
 
 
 佐久を発車すると軽い峠越えなのか、エンジンを唸らせながら勾配を登っていく。
 とはいっても、キハ54の単行なので、加速が悪いわけではないが...
 そしてこの区間は18.0Km。以前は、この区間に「神路駅」という駅があったようだ。
 この駅について、調べてみると信号場に降格後、国鉄時代に廃止となっているそうだ。
 信号場を含まない一つの駅間としては、比較的距離が長い区間に入るのかもしれない。
  
 そんな長い区間を走りつつ、まだまだ南下し続ける。
 
C1006a089
(佐久のお隣、筬島駅は車掌車改造の駅舎だった)
 
 
(つづく)

北海道2日目:宗谷本線を南下

  6月18日(金)

 北海道の旅 2日目。
 稚内駅に戻り、宗谷本線乗りつぶしの旅へ。
 
 稚内から乗車したのは、名寄行のワンマン列車。
 車両はキハ54の単行(キハ54 510)。
 車内は、リクライニング機能はあるものの回転しない椅子だった。

C1006a071
(乗車した名寄行は1両編成)
 
 
 車両の側面には、宗谷北線運輸営業所のシンボルマークが取り付けられていた。

C1006a072
(側面のマーク) 
 
 
 
 稚内を発車し、南稚内付近までは、比較的住宅が見えたりして、市街地なのかなと感じた。
 その南稚内駅の手前にコンパクトながら、車両基地が。
 冬季対策なのだろう、しっかりとした検修庫が建っていた。
 
 南稚内を発車すると、熊笹が生い茂る山間を登っていく。
 晴れていれば利尻富士が見えるようだが、何も見えなかった。
 天気がよければなぁと悔やんでも仕方がないが...
 もっとも、牧場が広がっているところはよく見えたので、これで我慢することに。

C1006a073
(車窓から牧場が...)
 
 
 広大な丘陵地ということで、牧場には適しているのだろう。
 そういえば、稚内で牛乳を買ったなと思いだす。
 稚内のKIOSKで売られていた牛乳で、「稚内牛乳」と書かれていたので、つい...
 ということで、よく振ってから飲んでみたが、なんとも濃厚な牛乳だった。

C1006a074
(稚内で購入した「稚内牛乳」)
 
 
 
 兜沼。
 稚内行普通列車と交換する。
 旭川を6時05分に発車し、名寄と音威子府で列車番号が変わる列車だった。
 やはり車両はキハ54の単行。パワーや旅客流動を考慮するとちょうどいいのだろう。 
 
C1006a075
(兜沼で交換した稚内行)
 
 
 その兜沼を発車し、少しすると木立の中を進んでいく。
 そして、その先にはサロベツ原野が広がる。
 原野と言うだけあって、あまり人の手が入っていないように感じられた。
 それにしても、よくもそのど真ん中に鉄路を切り拓いたなぁと。
 なお、兜沼から次の徳満までは10Kmと、比較的駅間が長い。
 ただ、それでも線路状態がよく運転速度が高い分、あまり時間は掛からないように感じた。
 
 
 
 ここで、少し早めではあったが、昼食にと稚内で仕入れた駅弁を食べることに。
 稚内のKIOSKで調達したのは、「さいほくかにめし」(940円)。
 販売者は「稚内駅立売商会」となっていたが、製造元は何処なんだろう?と。
 ただ、稚内駅を利用する旅客数を考えると商売が成り立つ気もしない。
 確かに、地元の料亭などが手広く営業しているケースもなくはないが...
 
 ということで、この記事を書くため、色々と調べてみると公式HPが。
 そのHPをさらに見ていくと、どうやら旭川駅立売の系列のようだった。
 本社の所在地が一緒だし、社長も旭川駅立売の社長が兼務していたりする。
 ということで、旭川の駅弁業者が稚内の支店で作った商品という感じなのかなと。 
 
  
 そんな、少し微妙な稚内駅の駅弁を味わってみることにした。
 まず、パッケージから。
 福井駅の駅弁などで見られる「かに」をかたどったもの。
 初めて見たときは、北海道で他に扱っている業者があれば、共同購入したのかなと思ったが...
 上の事情を考えると、おそらく一括発注されたものなんだろう。
 中小の駅弁業者ではコストを考慮し、こういった容器はあまり使用しないだろうし...

C1006a076
(さいほくかにめし)
 
 
 早速、包みを開いてみた。
 ちなみに中身は、可もなく不可もなくといった感じ。
 あぁ、確かに「かにめし」ですねといった感じだった。
 もっとも、旭川駅立売のような業者が絡んでいる分、「ハズレ」はないのかもしれない。
 内容量はあり満腹感は得られた。費用対効果はある程度は満たしているのかなと...

C1006a077
(さいほくかにめし)
 
 
 微妙な「かにめし」を平らげる間も、列車は南下し続ける...
 
 
(つづく)

湘南色の水上5号を撮影する

 10月 2日(土)

 安中~磯部間で「SL信越線125周年号」を撮影し終え、再び移動を開始。
 次に向かったのは、八木原~渋川間の関越道と立体交差するところにある踏切。
 既にレールマガジンのお立ち台通信などでも取り上げられている有名な撮影地。
 ここで撮影するのは、185系の湘南色車。
 この日の朝、井野駅で撮影したが、今度は下り列車(特急水上5号)として戻ってくる。


 まず、先行の特急「草津5号」。
 こちらは主流となっているEXPRESS 185色。

C1010a007
(吾妻線に向かう特急「草津5号」)
 
 
 
 そして、特急「水上5号」。
 朝、あかぎ6号として撮影した編成の折り返し。

C1010a008
(水上を目指す特急「水上5号」。予定通り湘南色がやってくる)
 
 
 なお、湘南色に塗られた185系。
 水上方から2両目に連結されたサロ185系は、窓下の部分にグリーン車を表す緑色の帯が。
 思わず、寄せて撮影してしまう。

C1010a009
(緑の帯を纏ったサロ185)
 
 
 
 このあと用事があり、この日の撮影はここまで。
  
 

SL信越線125周年号を撮影

 10月 2日(土)

 井野駅での撮影を終え、次に向かったのは、信越線の磯部駅付近。
 夏に運転された「SL碓氷号」を撮影した際にも訪れたポイント。
 約3か月ぶりの訪問となった。
 
 
 と、訪れたまではよかったが...
 線路脇に草が生い茂り、足回りが隠れそうな状況。
 ということで、少し移動し、SLが走ると賑わうポイントへ。
 すでに賑わっていたが、先客の後ろで場所を確保でき、この場所で撮影することにした。

 ということで、今回撮影したのは「SL信越線125周年号」。
 まず、腕慣らしにと、先行する横川行きの普通列車を。
 車両は107系2両編成だった。

C1010a004
(横川を目指す107系の普通列車)
 
 
 
 そして、お目当ての「SL信越線125周年号」。
 上越線での運転とは異なり、後ろに繋がる客車は少し短い4両編成。
 さらに、横川で機回しが出来ないため、その後ろにEF64 1001が連結されていた。
 そのどちらにもヘッドマークが取り付けられていた。
 
 なお、列車通過直前、雲が切れたり陽に掛かったりと、忙しい天気だった。
 それ故、カメラの設定に迷いがあったが、一か八かで撮影した。
 
C1010a005
(横川を目指す「SL信越線125周年号」) 
 
 
 ということで、後追いも。
 草が被ってしまい、あまりうまく写せなかったが、雰囲気ぐらいは...
 
C1010a006
(後ろに連結されていたのは、EF64 1001)
 
 
 と、信越線の撮影はここまで。
 再び、上越線沿線を目指すことにした。  
 
 
(つづく)

湘南色の185系を撮影する

 10月 2日(土)
 
 10月に入り、最初の週末。
 信越線でSLの運転があり、撮影に出掛けることにした。
 が、この日は185系湘南色編成が、特急「あかぎ4号」に入るらしいとの情報も。
 せっかくだし、空振りしてもいいか思いつつ、寄り道してみることにした。
 
 
 ということで、向かったのは定番の井野。
 しかし、この日は上越線内でのSLの運転がないことも影響してか、先客はなし。
 まず、慣らし運転で、普通列車など。
 115系と107系が行き交う光景がいつまで見られるのかななんて思ってみたりする。

C1010a001
(井野駅に停車する107系と115系) 
 
 
 
 そして、お目当ての湘南色。
 塗り替えられたのは、大宮総合車両センターのOM03編成。
 80系を模して、金太郎の前掛けのような塗り分けになっていた。
 今回は、草津号50周年を記念しての塗り替えということが理由のようだ。
 そんな湘南色のお初の撮影は、EXPRESS色との併結運転。
 上野方7両が湘南色。あぁ、確かに湘南色だなぁと。
 
C1010a002
(井野駅に進入する特急「あかぎ4号」)
 
 
 せっかくなので、後追いも。

C1010a003
(後追いで...)
 
 
 撮影を終え、新色なのかリバイバルなのか、いまいちわからない電車のような気が。
 新鮮な気がした反面、なんとなく懐かしい様な気もする電車だった。
 しばらくは走り続けるようなので、また撮影したいなと思いつつ、井野を後にした。
 
 
(つづく)

北海道2日目:宗谷岬へ

  6月18日(金)
 
 腹を満たしたところで、駅前で宗谷岬に向かうバスを待つことに。
 ただ、バスを待つ人の姿は全くなかった。
 やはり訪れたのは、6月の金曜日ということも影響しているのかもしれない。
 以前のように、宗谷本線を走る夜行列車があれば違ったのかもしれないが。
 
 少し待っていると、宗谷岬に向かうバスがやってくる。
 予想通りであったが、通常の路線タイプのバスだった。

C1006a062
(乗車した宗谷岬行のバス)
 
 
 
 途中、南稚内駅付近を走った後、海沿いへ。
 少し走ると、陸側には寂しげな感じの稚内空港が。
 まだ、航空機の着発が無い時間帯だったことも影響しているのかもしれない。
 一番早い札幌・丘珠からの便でも到着は11時前だったりする。
 
 なお、今回乗車したバスの路線は、この稚内空港には立ち寄らない。
 ターミナルとは反対側を通る国道を走行していることも影響しているのかもしれない。
 あくまでも、この系統は宗谷岬付近の集落と市街地とを結ぶ生活路線のようだった。
 確かに、稚内駅への帰りのバスの乗客の半数以上がシルバー層だった。
 
C1006a063
(車窓から稚内空港)
 
 
 
 そして、しばらく海沿いを走り、宗谷岬にたどり着く。
 まず、向かったのは、日本最北端の地の碑。
 国盗りやコロプラを始めたことにより、来ることが出来たのかなぁと思ってみたりする。
 乗りつぶしだけでは、なかなか駅から離れたこういう場所には来ないからなぁ...

C1006a064
(日本最北端の地の碑)
 
 
 さらに、その近くには、間宮林蔵の銅像も。
 その後ろに、かすかに見えるのが弁天島。
 宗谷岬から約1キロほどのにあり、あの場所が日本で実質的に最北端に当たるとのこと。

C1006a065
(間宮林蔵の銅像とその背後に弁天島)
 
 
 この付近には、サハリンなどの位置を示した石碑なども設置されていた。
 しかし、上の写真を見ても判るとおり、この日はあまり天気がよくなかった。
 ということで、せっかくの海辺もあまり遠くまで見渡すことが出来なかった。
 見えたと言えば、上の写真の弁天島ぐらいだろうか?
 
C1006a067
(とりあえず、宗谷海峡方面)
 
 
 
 そうこうしているうちに、帰りのバスの時刻が近づく。
 なんとなく「やり残した感」が強いまま、バス停へ。
 たぶんリベンジすることになるんだろうななんて思ってみたりした。 
 そして、その稚内方面に戻るバス停には、待合所(休憩所?)が設置されていた。

C1006a070
(稚内方面のバス停に設置されていた待合所)
 
 
 やって来たのは、往路に乗車したバスの折返し。
 宗谷岬の少し先にある大岬小学校で折り返してきたバスだった。
 このバスに乗車して、稚内駅に戻ることにした。
 
C1006a069
(ということで、帰りも同じバス)
 
 
(つづく)

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