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2009年11月29日 - 2009年12月5日

人吉で58654に遭遇する

  9月11日(金)

 人吉に到着しホームに降り立ち八代方を見ると、整備線に「SL人吉号」の
けん引機である58654が整備中なのか、煙を上げて停車していた。

C0909a126
(人吉駅構内で整備中の58654)

 今回、旅行中に「SL人吉号」に乗車できないか何度も検討を行ってみたが、
訪れた金曜日は運転しておらず、運転日にあわせて行程を組んでみたが、
今度は行程に歪みが出てしまい、利用は少し難しいと判断していた。
 ということで、残念ながら「SL人吉号」には乗車できなかったが、運良く
58654を見ることができただけでも、ラッキーだったのかもしれない。


 乗り換え時間は短かったが、改札を出て駅舎を撮影する。

C0909a127
(人吉駅駅舎)

 さすが観光地ということで、平日ながら駅前は随分賑わっていた。

 
 そして、再びホームへ。
 乗車する「九州横断特急6号」は、上の写真の通りSLを撮影した際に到着済。
 そのホームでは、人吉駅の駅弁が立ち売りの売り子さんによって売られていた。
 しかし、はやとの風に乗車した際に駅弁「かれい川」で満腹だったので断念。
 「次回は...」と思いつつ、人吉を後にした。

(つづく)

しんぺい2号で峠越え。人吉へ

  9月11日(金)

 吉松から人吉に抜けるため、しんぺい2号に乗車する。

 列車は矢岳を発車し、今度は人吉を目掛けどんどん下っていく。
 熊本県に入ったことで、今度は「人吉・球磨」を盗る。
 そして、大畑のループ線に当たる区間で停車し、観光アナウンスが。
 停車したところには、現在地を知らせる案内板が設置されていた。

C0909a123
(ループ線を説明する案内板)

 「はやとの風」~「いさぶろう・しんぺい」と、列車に乗車するだけで
しっかり観光できるようになっているのは、いいことのように感じた。

 そのループ線を約1周し、スイッチバックで戻ったところで大畑に到着する。


 大畑駅。
 少し遅れているのか、余り長く停車すること無く発車した。

C0909a124
(大畑駅駅舎。ホーム側から撮影)

 前の2駅と比べ、見所が少ないのかなとも思ったのだが...
 そしてループの下をトンネルで抜けると、いよいよ人吉。

 ここで、90城目となる「人吉城」を拾う。
 これで残すは10城。体調不良を考えると、いささか不安な気もしたが。
 それでも、何とか乗り越えられそうな感じになってきた。
 
 そして、球磨川を渡り、終点の人吉に到着する。

(つづく)

しんぺい2号で峠越え。矢岳へ

  9月11日(金)

 吉松から人吉に抜けるため、しんぺい2号に乗車した。

 列車は真幸を出て、肥薩線の最高所である矢岳駅を目指し北上する。
 いくつかのトンネルを抜けると、日本一の車窓といわれる所に停車する。
 彼方には、いくつかの山々が。
 看板もあったが、どれがどれだかわからなかった。

C0909a118
(日本一の車窓の風景)


 この風景を見終えると、全長2Kmほどの矢岳第一トンネルを抜ける。
 このトンネルには銘板が取り付けられており、八代方は山縣伊三郎の
「天険若夷」と書かれた石額が。隼人方は、後藤新平の「引重致遠」と
書かれた石盤が取り付けられている。
 そしてトンネルを抜けると熊本県に入り、矢岳駅へ。

 
 矢岳駅。
 前後の駅がスイッチバックだったのに対し、この駅は1面1線の停留場。
 さっそく駅舎を撮影する。

C0909a119
(矢岳駅駅舎)


 なお、この矢岳駅の駅前には、「人吉市SL展示館」がある。
 ここは屋根付きの建物にSL(D51 170)が静態保存されている。

C0909a120
(人吉市SL展示館。外側から)

 かつては、現在SL人吉号のけん引機として活躍する58654も一緒に
静態保存されていた。その管理の良さから、復活できたのだろう。

 そしてホームに戻ると、この駅の標高が記された標識が建てられていた。
 この矢岳駅は、標高536.9m。真幸駅から150m以上登ったことに。

C0909a122
(矢岳駅のホームにあった標高を記した標識)

 ここから今度は勾配を下り、人吉を目指していく。

 
(つづく)

しんぺい2号で峠越え。真幸へ

  9月11日(金)

 吉松から人吉に抜けるため、しんぺい2号に乗り継ぐ。

C0909a109
(吉松から乗車したしんぺい2号)

 列車名の「しんぺい」は、肥薩線が鹿児島本線として開業(明治42年)した際の
鉄道院総裁だった後藤新平のこと。
 ちなみに、人吉側から来る時に名乗る「いざぶろう」は逓信大臣山縣伊三郎。
 これから乗車する区間にある矢岳第一トンネルのトンネル上部にこの二人が
書いた銘板が取り付けられており、それが由来のようだ。(→Wikipedia)

 乗車したのはキハ47。
 はやとの風が黒いボディだったのに対し、こちらは紅いボディ。
 そして横サボの妙な空白が気になった。

C0909a110
(気になる空白。アンバランスな感じがした)
 

 発車直前。
 隼人から来た後続列車が到着する。
 はやとの風とは対照的に車内は空いていた。

C0909a111
(吉松駅に進入するキハ40)


 吉松を発車すると矢岳駅の手前まで、一時的に宮崎県内を走る。
 関東ならば宇都宮線(東北本線)の古河駅(茨城県)のようなものだろうか?
 その区間で「えびの・小林」盗りを成功する。
 ここを盗りこぼすと次に来るのは容易くないなと考えていた。
 ただ、吉都線がまだ未乗なのでそれと絡めれば来れなくもないのだが...
 そんなことを考えつつも、無事国盗りが成功したところで真幸に到着する。


 真幸駅。
 ここは三段式スイッチバックの駅。そして肥薩線で唯一宮崎県下の駅。
 吉松から随分登ったよう(標高:225m→380m)だが、まだその途中。
 そんな区間に駅を作ったため、必然的にスイッチバックになったようだ。
 スイッチバックをするため、少し停車する。

 ホームに下りてみると、昭和47年7月6日に発生した山津波の際に、
山から流れ出た大きい石が残されていた。重さは8トンのこと。

C0909a112
(山津波記念石)


 つづいて駅舎を撮影する。

C0909a113
(真幸駅駅舎)

 国鉄末期に無人駅となり、現在に至っている。
 信号の扱いを行わなくなったことが無人化につながったようだ。

 なお、真幸駅は構内踏切で、駅舎とホームが結ばれている。
 この構内の踏切から、乗車しているしんぺい2号を撮影した。

C0909a114
(真幸駅に停車するしんぺい2号)

 吉松駅では影になったところがあったが、ここは光を遮るものがない。
 綺麗に列車を撮影することが出来た。
 それにしても紅いなぁ。

 
 また、この時間を利用して、ホーム上にある「幸せの鐘」で記念撮影を
する乗客が多かった。発車直前、人が引いたところを撮影したが...

C0909a115
(ホーム上には幸せの鐘)


 真幸を発車すると、スイッチバックでさらに高度を稼いでいく。
 いったん下がって、元の進行方向に戻ったときには、眼下に真幸駅が...

C0909a116
(眼下に真幸駅) 
 

 列車は、さらに標高を上げ北上していく。

(つづく)

吉松駅

  9月11日(金)

 鹿児島中央から特急はやとの風2号に揺られて、吉松駅に到着する。

C0909a103
(吉松駅に到着した特急はやと2号)


 次に乗り継ぐ列車まで少し時間があったので駅前へ。
 前回訪れた時は、随分遠いところに来てしまったなという気分で駅前に立った。
 その時は、曇天だったこともあったのだろう。しかし今回は、抜けるような晴天。
 
C0909a104
(吉松駅駅舎)

 嘉例川や大隅横川が木造駅舎だったのに対し、吉松は霧島温泉のように、
近代的な駅舎だった。

 
 そして、駅の脇には、C55 52号機が静態保存されていた。

C0909a106
(駅の脇にC55が)

 車両脇の解説板によれば、昭和12年に製造された機関車で、小郡を振り出しに
製造から2年間は本州で活躍したものの、その後は糸崎~鳥栖~大分~宮崎~
若松と転じた後、昭和47年から2年間は、吉松駅に併設された吉松機関区にも。
 その後、鹿児島に転じるも、休車になってから吉松に戻り、静態保存されている。
 
C0909a105
(機関車の解説板)

 
 駅に戻ると、はやとの風といさぶろう・しんぺいのオレンジカードが売られていた。
 折角訪れたし、何か記念品をと思い、思わず購入してしまった。
 商売上手だなぁ...
 
 そして、ホームに戻る。
 ホーム上には、横サボの保管箱が。

C0909a107
(吉松駅ホーム上にあった横サボの保管箱)

 以前は、横サボの保管箱が主要駅のホームに置かれていたが、方向幕やLEDに
置き換わったことで、この用は保管箱は役目を終えて、姿を消しつつある。

 そんな横サボの保管箱を観察したところで、しんぺい2号に乗り継ぐ。


(つづく)

はやとの風で吉松へ

  9月11日(金)

 鹿児島中央から乗車した特急はやとの風2号は肥薩線を北上する。

C0909a097
(特急はやとの風2号。霧島温泉駅にて)

 肥薩線内に入り、嘉例川、霧島温泉、大隅横川、粟野と停車していく。
 観光特急として運転しているため、各停車駅とも数分ずつ停車する。

 
 まず、嘉例川。
 1面1線の停留場。
 そして、年季が入った木造駅舎だった。

C0909a098
(嘉例川駅駅舎)

 
 駅舎内には、開業日などが書かれた案内が貼られていた。 

C0909a099
(壁に貼られた案内)

 案内によれば、明治36年1月15日に開業して、それ以来の駅舎とのこと。
 明治36年=西暦1903年。既に106年を経たことになる。
 おそらく朽ち果てない限り、このままあり続けるのだろう。

 また、この駅でも売られている駅弁「かれい川」の案内も。
 それによれば、月曜日以外であれば2日前まで、JR九州の窓口で予約
できるそうだ。そして、この駅では土日の11時から発売するとのことだった。
 今回利用した列車だと少し時間が早いため、土日であっても入手は困難
だったが、次回は是非この駅で売られる駅弁「かれい川」を購入し、駅舎を
眺めつつ頬張ってみたいと思った。

 
 つづいて、お隣の霧島温泉。
 1面2線の停車場。
 嘉例川駅とは異なり、コンクリート製の駅舎。

C0909a100
(霧島温泉駅駅舎)

 開業当初は、牧園と名乗っていて、昭和37年に霧島西口駅に改称された。
 確かに、前回訪れた時、なぜゆえ「西口」と思った憶えがある。
 その後、2003年に霧島温泉駅に再度改称された。
 しかも改称後、無人駅だったものが簡易委託駅に。


 そして、大隅横川。
 嘉例川ほどではないが、年季が入った木造駅舎だった。

C0909a101
(大隅横川駅駅舎)

 ここの駅舎の柱には、第二次世界大戦の際に受けた機銃掃射の後が。

C0909a102
(柱に機銃掃射の後が)

 機銃掃射というと、今年1月に引退したEF55も受けたと聞いたことがある。
 こうやって、歴史の生き証人として残る建造物も少なくなりつつあるので、
是非大事に保存していって欲しいと感じた。


 最後は山野線の分岐駅だった粟野。前の3駅と比較し、停車時間は短かった。
 ちなみに山野線といえば、ループで勾配を攻略したローカル線。
 JR化してすぐの昭和63年に廃止となった。

 粟野を発車すると、終点吉松。
 鹿児島中央から約1時間40分弱の道程。 
 なお、この特急「はやとの風」での国盗りは一つも無かった。

(つづく)

はやとの風で駅弁「かれい川」を食べる

  9月11日(金)

 乗車した特急はやとの風2号は、隼人駅から肥薩線に入り北上する。
 肥薩線の乗車は、やはり16年ぶりとなる。
 前回の乗車は、寝台特急はやぶさで熊本入りして、人吉回りで西鹿児島を
目指したので、前回とは逆のルートとなる。

C0909a095
(乗車した特急はやとの風2号。嘉例川駅にて)


 隼人駅に停車した際に駅弁「かれい川」が積み込まれたので、早速購入。
 事前予約以外でも、積み込んで余った分が一般発売に回るようだ。
 しかし、数は余り多くないようだ。何も調べていなかったのにラッキーかも。
 ガラガラの横向きカウンター席で平らげることにする。

C0909a096
(車中で平らげた駅弁「かれい川」)

 全体的に薄味で優しい味付けだった。
 また、地元の素材がふんだんに使われており、あっと言う間に平らげた。

 ちなみに中身は...
 解説書によると下記の通り。
  ・ご飯
   竹林に囲まれた嘉例川駅をイメージし、霧島市で取れた「ひのひかり」と
   地元のしいたけと炊き込んだもの。
  ・ガネ
   紅さつまの天ぷら
   ちなみに「ガネ」とは、鹿児島弁で「カニ」のことを「ガネ」というそうな。
   揚げ上がった形が「カニ」に似ていることが名前の由来。
  ・千切り大根の煮物
   嘉例川の野菜を用いたとのこと
  ・みそ田楽
   茄子と南瓜の田楽。みそは麦みそ
  ・スセ(酢の物)
   大根とにんじん
  ・嘉例川コロッケ
   地元の野菜(しいたけ、タケノコ)を混ぜ込んだコロッケ


 そして、列車は肥薩線を北上していく。

(つづく)

28日の撮影~氷川丸

 11月28日(土)

 この日、最後に撮影したのは氷川丸。
 
 既に外は暗くなっていた。
 ライトアップされている姿が綺麗だったので、思わずカメラを向けてみた。

C0911a156
(氷川丸)

 なお、この氷川丸は、1961年に現在の場所に保存されたとのこと。
 とすると、既に40年が経過したことに。
 今後もこの場所で、横浜港を見続けていくのだろう。
 

28日の撮影~横浜ランドマークタワーの展望台にて

 11月28日(土)

 ここからは鉄分抜きの撮影。
 まず、桜木町駅からほど近い、横浜ランドマークタワーの展望台へ。

 展望台があるのは69階。地上から272mの高さにある。
 そんな高所の展望台へは、高速エレベーターを利用することにより、
69階の展望台まで40秒ほどで到着することが出来た。

 展望台に到着したが、残念ながら富士山はモヤっていて見えなかった。
 写真を撮影し、唯一順光で綺麗に写ったのは、東の方角だけだった。

C0911a157
(展望台から東の方角をのぞむ)

 写りは悪かったが、海ほたるや東京湾アクアラインなども確認できた。

 なお、入場料1000円が高いのか妥当なのか、判断に悩むところもあった。
 しかし、一度ぐらい行ってみる価値はあるのかなと感じ、タワーを後にした。

(つづく)

28日の撮影~横浜で253系

 11月28日(土)

 所用で横浜に出かけ、ようやく横浜駅へ。
 到着したホームにやって来たのは、成田エクスプレス。

C0911a155
(横浜駅に停車中の成田エクスプレス)

 
 既に10月よりE259系が導入となり、風前の灯となりつつあり253系6両編成。
 来春以降、全編成が置き換えとなるようだ。
 なお、3両編成については、運用離脱し豊田車両センターに疎開しているものも。

 今後、そう遠くない時期に、形式自体が過去帳入りする可能性もありうる。
 253系が見られるのは、そう長くはないのかもしれない。
 
 
 ところで、この日は無計画のまま動いたにもかかわらず、結果的に今後の去就が
注目される車種ばかり、4種類も見ることが出来た。

(つづく)

◆関連記事
 (253系関係)
 車両置換のニュース(2008年2月)
 市川にて撮影(2008年5月)
 市川にて撮影(2008年7月)
 

28日の撮影~車中から500系

 11月28日(土)

 所用で横浜に出かけるため、横須賀線で横浜を目指す。
 西大井を出ると少しの間、東海道新幹線と並走する。
 まず、N700系とすれ違う。

 そして、ふと気づくと、並走する新幹線が。

C0911a153
(並走する500系)

 コンデジで撮影をしてみたが...
 防護壁があったりして、なかなか難しかった。

C0911a154
(500系最後部)

 この500系が16両編成で上京してくるのは、あと僅か。
 鳴り物入りで投入された新幹線が、こうも速く淘汰されるとは...

(つづく)

◆関連記事
 (500系関係)
 名古屋にて(2007年10月)
 博多にて(2009年3月)

28日の撮影~舞浜で201系

 11月28日(土)

 所用で横浜に出かけるため東京駅へ。
 ただ、待ち合わせの時間まで余裕があったので、国盗り合戦の絵巻を取るため、
京葉線ホームへ。土曜日の午前中ということもあり、ディズニーランドに向かう人が
多かった。

 で、最寄りの舞浜駅。
 到着すると向かい側には、スカイブルーの201系が。
 せっかくなので走り去るところを撮影した。

C0911a152
(舞浜駅を後にする201系)

 同じ201系でも、中央線の快速に用いられているオレンジバーミリオンの編成は
中央線の連続高架工事が終わることで、いよいよ先が見えてきた。
 製造当初、走ることが想定されていなかった京葉線が最後の牙城になるとは...
 
(つづく)
 
◆関連記事
 (201系関係)
 2008年9月の201系(中央線)

28日の撮影~高崎に209系

 九州の話はいったんお休み。
 28日に撮影したものを数回に分けて。
~~~~~~~~~~~~~~~
 11月28日(土)

 所用で横浜に出かけるため高崎駅へ。
 構内の留置線を見るとなぜか209系が。
 桐生(下新田基地)や直江津、北長野で見たことはあったが...

C0911a151
(高崎駅構内に留め置かれた209系)

 留め置かれていたのは元浦和所属の61番編成で6両編成だった。
 転用待ちの209系かななんて思ってみたのだが...
 真相はわからないまま、上京するため高崎駅を後にした。

(つづく)

◆関連記事
 (209系疎開関係)
 直江津に疎開中の209系(2009年1月)
 土崎に疎開中の209系(2009年1月)
 長野に疎開中の209系(2009年2月)
 桐生に疎開中の209系(2009年5月)
 

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