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2009年11月22日 - 2009年11月28日

特急はやとの風で肥薩線へ

  9月11日(金)

 鹿児島中央から乗車したのは、特急はやとの風2号。

 当初の予定であれば鹿児島に泊まり、この日は九州新幹線で新八代に向かい、
肥薩線の普通列車で人吉まで一往復する予定だった。しかし、前に書いた記事の
通り、体調を崩して大分で病院に行ったことで、その日の後の行程が変更となり、
この日は宮崎スタートとなった。
 それが幸いしてか、タナボタでこの特急はやとの風2号に乗車することに。

C0909a089
(鹿児島中央駅で発車を待つ特急はやとの風2号)

 黒を基調とした落ち着いた塗色の3両編成。
 そのいずれもが、近郊型気動車であるキハ40、キハ47を改造した車両だった。

 なお、この日はJR九州の会議が人吉であるのか、関係者が多く乗車していた。
 その影響で、指定席については、半分以上の座席が埋まっていた。
 そんな人気列車?だったので、指定席券を鹿児島中央駅で乗車前に購入して
おいた。しかし乗車してみると、キハ47改造車で座席は戸袋の所だった。
 キハ47を特急用車両にしてしまったことで、座席の位置があまりよろしくない。
 仕方がないので、キハ140を使用した自由席へ移動した。

 
 乗車したキハ140を含め、いずれの車両ともに内装は、木で出来ているようだ。
 これぞ、水戸岡デザインの特徴なのだろうか?
 そういえば前日、宮崎駅でもらった「海幸山幸」のパンフもこんな感じだった。

C0909a090
(キハ140の車内)

 また車内には、横向きの座席も取り付けられていた。
 これも、水戸岡デザインなのかな?と。

C0909a091
(横向きの展望席。カウンターも設けられている)

 
 そんな車内を観察しているうちに、鹿児島中央を発車する。
 ここから隼人までの日豊線の区間は、往復する形となる。

 一つめの鹿児島駅。
 ここで、宮崎からの特急きりしま3号と交換する。

C0909a092
(鹿児島駅交換した特急きりしま3号)

 少し派手な3色の塗装。
 それもそのはずで、以前は特急ハウステンボス号に充当されていた編成。
 現在は、きりしま・ひゅうがのレタリングが入れられている。

 
 そして、再び錦江湾沿いに桜島を望みながら、東へ進んでいく。
 やがて、錦江湾から離れていき、隼人駅に到着する。

C0909a093
(隼人駅に到着した特急はやとの風2号)

 
 列車はここから日豊本線と別れ、肥薩線へ。
 終点の吉松駅を目指し、進路は北へ進んでいく。
  
(つづく)

鹿児島中央駅で少し撮影

  9月11日(金)

 鹿児島中央駅に無事到着する。
 この駅に降り立つのは、16年ぶり。
 前回訪れたときはまだ20世紀だった。
 その頃は、九州新幹線なんて夢物語と思ったのだが...

C0909a081
(鹿児島中央駅コンコース)

 なんて、浦島太郎な気分に浸りつつ、次の列車に乗り換えるまでの間、
駅内や停車中の列車などで撮影することにした。

 
 まず、指宿枕崎線。
 黄色いキハ200系の普通列車 喜入行。

C0909a082
(黄色いキハ200。鹿児島中央駅にて)

 以前訪れたときは、「なのはな」を名乗りながら赤いボディだった。
 現在は、その名の通り、ボディカラーは黄色になっていた。
 

 つづいて、鹿児島中央まで乗車した来た、特急きりしま1号。

C0909a083
(赤い485系5両編成。鹿児島中央駅にて)

 JR九州のコーポレートカラーであるレッドを纏っている。
 みんな赤かった485系も、気がつけば随分数を減らしてきているようだ。
 しかも、数年後の九州新幹線の博多開業で、特急の運転系統も見直される
ことだろうから、485系の活躍が見られるのも後数年というところだろうか?
 

 撮影中、一枚の看板に気づく。
 ホームの屋根に吊された、南国名物の「ボンタンアメ」の看板が。
 「この辺りの銘菓だったっけ」と。そして、随分南に来ていたんだなと。

C0909a084
(ボンタンアメの吊り看板)

 
 ここまで撮影したところで、列車の間隔が開くのでいったん改札を出る。
 せっかくのなので、駅舎を撮影する。

C0909a085
(鹿児島中央駅駅舎)

 
 再び駅内に戻り、撮影を続ける。
 鹿児島地区で活躍する817系。

C0909a086
(鹿児島中央駅に停車中の817系)

 前面の額縁っぷりが何ともいえない。


 そして最後は、特急きりしま83号。
 宮崎からの列車(きりしま1号)が5両だったのに対し、国分始発のこの列車は
3両編成と短い編成だった。 

C0909a087
(短い3両編成の特急きりしま83号)

 次の列車の入線が近くなったので、駅内での撮影はここまで。
 この後、この日の列車移動が本格化する。
 
(つづく)

きりしまで鹿児島中央へ

  9月11日(金)

 決戦!関ヶ原最終章2日目。
 前日の体調不良により、宮崎泊まりとなってしまった。
 それでも、大分でもらった薬の効きが良かったのか、随分回復していた。
 そして、この遅れをカバーするため、宿を出たのは午前5時半。

C0909a075
(宮崎駅駅舎)

 
 まずは、特急きりしま1号で国盗りをしつつ、鹿児島中央へ向かうことにした。

C0909a076
(宮崎から乗車した特急きりしま1号)

 乗車したのは、485系5両編成。
 さすがに、宮崎駅を6時前に発車することもあり、車内はガラガラだった。
 宮崎駅を発車し大淀川を渡ると、お隣の南宮崎駅にも停車する。
 ここで3分停車し、上り特急にちりん2号が発車していく。

C0909a077
(上り特急にちりん2号。南宮崎にて)

 撮影した特急にちりん2号は、国鉄特急色を纏った485系。
 大分車両センター所属のDo 2編成だった。
 
 
 南宮崎を発車すると、国盗りの方は、加納駅付近での「清武・木花」を皮切りに、
「高岡・田野」「都城」と盗り続けていく。

 西都城駅を発車すると、以前ここから分岐していた志布志線の路盤らしき築堤が
少しだけ見えたが、その先は確認できなかった。あとで日本鉄道旅行地図帳の
九州編を確認したところ、昔は西都城から志布志線、さらに国分から大隅線と、
大隅半島側の鉄道は随分充実していたが、そのいずれも廃線となっている。
 現在は、南宮崎から志布志を結ぶ日南線のみが残存している。

 お隣の五十市駅を通過すると、列車はいよいよ鹿児島県に。
 今度は、財部駅付近での「曽於」「霧島」と盗っていく。
 そして、大隅大川原駅で上り特急きりしま2号と交換する。

 この先、霧島神宮、国分、隼人、加治木と連続して停車する。
 この辺りから、都市間輸送としての特急列車から鹿児島市内への通勤の足へと、
その役割がシフトし、一駅ごとに乗車してくるのは、クールビズのサラリーマンが
ほとんどだった。

 4連続停車の4番目の駅、加治木駅で89城目となる「帖佐御屋地」を拾う。
 その後も帖佐、姶良、重富と各駅に停車していく。
 結局、霧島神宮~鹿児島間で通過した駅は、錦江と竜ヶ水の2駅のみ。
 快速列車なみの停車で、通勤ライナー的要素が強いのだろう。
 また、この辺りから錦江湾沿いを走り、対岸には大きく桜島がそびえ立つ。

C0909a078
(竜ヶ水付近から桜島を見る)

 その錦江湾沿いの竜ヶ水付近では、対岸盗りによる「鹿屋」を盗ることができた。
 さらに竜ヶ水を出たところで「鹿児島」と、漏れなく盗ることができた。

C0909a079
(竜ヶ水付近から鹿児島市街地) 

 
 そして、市電の停留所が隣接する鹿児島駅を発車すれば、終点の鹿児島中央。
 とりあえず、前日の遅れを取り戻しつつあった。
 
(つづく)

にちりんでさらに南を目指す

 再び九州の話。
~~~~~~~~~~~~~~~
  9月11日(金)

 病院から戻り、大分駅から乗車したのは、特急にちりん。
 今度は485系3両編成。
 側面は、赤・黄色・緑を用いた3色の塗装だった。

C0909a070
(特急にちりん。大分駅にて)
 
 
 大分を発車し、坂ノ市~幸崎間を始め、何度か海を眺めることができる区間を走行する。
 
 途中、臼杵駅には、ふぐの形をした乗車口案内板が設置されていた。
 通常は、縦長の細長いものや横に少し広い長方形のものが主流だと思っていたが...

C0909a071
(臼杵駅の乗車口案内板はふぐの形をしていた)

 
 大分を発車してから、「鶴崎・大南」「佐賀関」「佐伯」と盗っていく。
 最初の二つは、あっと言う間だったが、その後は駅間が長く、国盗りの方も都市部から
離れるため、操作する回数が減り、いくらか楽になる。
 そうこうしているうちに、佐伯に到着する。
 佐伯駅のホームには、映画「釣りバカ日誌」のロケがあったことを宣伝する看板が。

C0909a072
(佐伯で釣りバカ日誌が撮影されたそうだ)

 そんな佐伯駅を出ると、延岡までの区間は普通列車の運行本数が極端に少ない。
 これは、宗太郎~市棚間が大分県と宮崎県の県境となるのだが、この区間での普通
列車のニーズがほとんどないのだろう。そうでなければ、この本数にはならないだろう。
 それにしても、特急列車はそれなりに運転しているのだが...
 
 途中、直見、市棚と上り列車の交換を行う。
 その市棚を出たところで、「延岡」を拾う。

 延岡に到着する頃には、陽が暮れて、あたりは真っ暗だった。
 そして乗車してきた特急にちりんは、延岡からは通勤特急と役割を変わる。
 延岡、南延岡、日向市と通勤客を拾いつつ、5割ほど座席が埋まった状態で、宮崎を
目指してさらに南下していく。

 
 そして、大分から3時間。ようやく宮崎に到着。

C0909a073
(乗車したにちりん。宮崎駅にて)

 隣り合わせの件のはずだが、県庁所在地同士は随分遠いんだなと。
 なお、当初の予定では、このまま鹿児島に行く予定だった。
 しかし、大分でタイムロスの影響で、この日の行程は宮崎まで。
 宿は確保できていたので、さっさと宿へ。
 それにしても、駅前は閑かなところだなぁと。

(つづく)

上りパレオを白久で撮影

 11月23日(月)

 上りパレオを撮影するため訪れたのは、白久駅。
 ただし、今度はホーム上から撮影することにした。
 ここからは、前日の隅田川駅のイベントでご一緒した裏辺研究所の管理人氏
合流し、撮影することに。

 少しして、パレオエクスプレスがやってくる。
 が、下り勾配のせいもあり、たいして煙は出ない。

C0911a144
(白久駅に向かってくる、上りのパレオエクスプレス)

 この後の列車では追いつかないようなので、この後やってくる列車を
数本撮影したところで、この日の撮影はお開きになり、帰途についた。
 

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 TOMOさん
 

三峰口で門デフC58を撮影

 11月23日(月)

 白久での下りパレオの撮影を終え、後続電車で三峰口に到着すると、
けん引してきたC58は、既に客車から切り離され、奥の引上線の方に
停車した状態で展示されていた。

 今回のイベントで、撮影できる時間は短いため、さっそくC58の所へ。
 停車していたのは、イベント会場のホームの脇ということで、全景を
撮影することは出来なかった。

C0911a141
(転車台への引上待ち時間が展示時間となったC58 363)

 今まで、何度となく水上での折返しを撮影しているせいか、イベントにも
かかわらず、展示時間がごく僅かだったのは、なんとも残念にも思えた。
 また、車両に近付け無いようにするための柵なども、随分簡易的なもの
だったりして、はたしてこの状態が展示なのか?という疑問すら感じた。
 これならば、門デフC58については、イベントの目玉としてわざわざ展示と
うたわなくても良かったのでは?とも感じた。


 そして、午前中は日陰となっていた 1000系リバイバルカラー車2本の
三峰口側先頭車を撮影することに。
 留置中とはいえ、パンタグラフが上がったままで、ありがたかった。

C0911a142
(1000系リバイバルカラー車の三峰口方先頭車)

 
 ここまで撮影したところで、上りパレオを撮影するため、再び白久へ。
 三峰口から乗車した羽生行の各停は、東急から来た7000系だった。
 なお、先行する臨時快速も7000系ということで、三峰口発車前に
運良く2本並びが実現した。

C0911a143
(7000系2本並び。羽生行(左)と臨時快速(右)。三峰口駅にて)

(つづく)

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 Kaz-Tさん
 

白久で門デフC58を撮影する

 11月23日(月)

 秩父鉄道で運転している臨時列車「パレオエクスプレス」のけん引機である
C58 363号機に門デフが取り付けられ、11月~12月の一部の運転日には、
その姿でけん引するとのことで、折角出掛けたのだから記録することに。

 ただ、三峰口から電車を利用して戻る形になるので、あまり熊谷方面には
行くことは出来ないので、お隣の白久駅へ。ただし、有名なポイントは既に
隙間もない状態だったので、少し熊谷方に向かった橋りょう付近で撮影する
ことにした。
 先客の方が数名と、ギリギリで到着したものの、なんとか撮影することが。

C0911a138
(橋りょうを渡るパレオエクスプレス。C58には門デフが)

 このポイントのでの撮影はここまで。

 再び三峰口に戻ることに。
 この時間帯は2本続けて運転されるが、2本目に三峰口で合流予定だった
TOMO氏が乗車していたので、まず1本目を見送った。

C0911a139
(見送った三峰口行は7000系)

 見送ったのが7000系だったが、続いてやって来たの三峰口行は白い1000系
だった。7000系の方が良かったかな?などと思い乗車した。
 車中でTOMO氏と合流し、三峰口に戻った。
 
(もう少しつづく)

1000系 2本並びを撮影する

 11月23日(月)

 影森乗り継ぎで、三峰口に到着する。
 先行する列車で到着していたくましげ氏と合流する。

 そのまま改札を出て、イベント会場に向かってもよかったのだが、乗車してきた
西武4000系の隣の側線に、1000系のリバイバルカラー車が2本並んでいた。
 光線具合を考えると、イベント会場よりホーム上からの撮影が適しているかなと
思ったが、4000系が回送電車として発車しなくては撮影できないので、その時間
を利用して、まず反対側に停車していたスカイブルーの1000系電車を撮影した。

C0911a134
(スカイブルーの1000系電車)

 何年経っても、スカイブルーは似合うなぁと。
 関西では、まだスカイブルーの103系は見ることが出来るものの、関東では
スカイブルーの103系を追い出した209系ですら、既にあと僅かという状況に
なっているんだよなぁなんて考えてしまった。

 
 続いて、後続の各停。
 1000系電車で現在の標準色というべきか、白地に帯を纏った編成。

C0911a135
(三峰口駅で折返しを待つ1000系電車標準色?)
 
 この色も爽やかな塗色ではあるのだが、見慣れてしまうと...
 とはいえ、このカラーで定着したから、引退するまでこのカラーの車両も
残るのだろうか?
 

 そして、4000系の回送が折り返して発車した後、今度はリバイバルカラー編成を
撮影する。

C0911a136
(三峰口駅側線に停車中の1000系リバイバルカラー車)
 
 なお、秩父鉄道では、1000系電車に上の写真のスカイブルー色のように、
旧国鉄時代の塗装を次々と施してきたが、いよいよネタが無くなったのか、
次に施されたのは、800系などに施していた塗色や1000系の登場時の塗色。
 それでも、アクセントは付くのだからいいのだろう。
 それにしても、譲渡を受けたときには、このようなことは考えてはいなかった
のだろうから、ある意味ではいい商売道具になったのかなとも感じる。
 今回は、そんないい商売のネタである 2本が仲良く並ぶ光景が。


 そして、後から来た急行は転線し、駅本屋脇の側線に入線する。
 このあと、イベント来場客の休憩所として活用されていた。
 そんな6000系急行には、秩父夜祭りのヘッドマークが取り付けられていた。

C0911a137
(イベント客用休憩所と化した6000系)

 このあとも、オレンジやウグイスの1000系電車が相次いで到着する。
 ここまで撮影したところで、いったん三峰口を離れることにした。

 
 なお、会場で食べた、秩父鉄道イベント恒例の駅弁は、別の記事で。
 
(つづく) 

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 くましげさん
 Kaz-Tさん

秩父線で三峰口を目指す

 三連休最終日の23日。
 秩父鉄道のイベントが三峰口で行われるとのことで、出掛けてみることにした。


 当日。
 前日の肌寒い曇天とはうってかわり、雲一つ無い秋晴れだった。
 寄居駅で「ぶらり!秩父・長瀞 おでかけきっぷ」(1000円)を購入する。
 この切符は、寄居~長瀞間は下車できないが、長瀞以西はフリー区間となる
少し変則的なフリー切符だった。窓口では、この他にも、秩父鉄道全線で乗降が
可能なフリー乗車券「秩父路遊々フリーきっぷ」(1400円)というものも売られて
いたのだが、おそらく帰りも寄居で下車するだろうと判断し、前者を購入した。

 そして、早速秩父線ホームへ。
 寄居から乗車したのは影森行。都営三田線から来た5000系3両編成。
 天気がよかったこともあり、ハイキングなどの行楽客で座席はほぼ埋まる。
 まさか、このまま終点まで?とも思ったが、数駅先の長瀞まで。

 長瀞駅というと、荒川の岩畳やライン下りといった、観光地。
 しかも前日の朝、NHKニュースで紅葉が見頃と報じていたなぁと思い出す。
 そんな長瀞駅で、多くの人が下車していった。
 なお、この駅には跨線橋が無く、三峰口方に構内踏切があり、この踏切を
渡らないと、改札口がある上りホームに行けない。そのせいなのか、長瀞で
交換待ちではなかったが、時間調整のように1分ほど停車した。

 その後は、座席も半分程度しか埋まらない状態。
 1本前の列車に乗車していた、くましげ氏によれば、かなり混雑しているとの
ことだった。電車が1本違うだけで、状況が異なっていたようだ。


 そして終点の影森。
 後続列車は西武秩父から直通電車。それに乗り換えることに。
 乗車してきた電車は、一旦三峰口方の本線に引き上げ、構内の側線に転線。
 このあと、上下列車が交換となるので、本線を開けておくためのようだ。

C0911a131
(側線に引き上げた5000系)

 
 そして、10分ほど待ち、後続の三峰口行が到着する。
 やって来たのは、西武線からの直通電車。車両は4000系4両編成。

C0911a132
(影森駅に進入する4000系三峰口行)

 4000系のボックスシートを見てしまうと、秩父鉄道の車両が見劣ってしまう。
 おなじ各停でいいのかな?なんて思ったりもする。

 なお、この日は「パレオエクスプレス」をけん引するC58 363に門デフが
取り付けられたということで、その姿をカメラにおさめようと、沿線は随分と
賑わっていた。
 そんな様子を車窓から確認しつつ、三峰口に向かった。

(つづく)

北千住でTXを撮影

 11月22日(日)

 北千住駅近くの踏切で撮影後、今度はTXのホームへ。
 ここでも少しだけ撮影することにした。

 なお、雨が降り出しそうな天気で少し薄暗かったが、持参したレンズは
あまり明るくないレンズだったので、ISO感度を上げて対応してみたが...

C0911a117
(北千住駅に進入するTX。ISO400、F値は5.6)

 明らかに先頭車の行き先表示がブレてしまっている。
 仕方がないので、さらに感度を上げる。

C0911a118
(北千住駅に進入するTX。ISO1600、F値は5.6)

 さすがにISO1600まで引き上げると、ざらつき感がわかる写真に。
 そして、それでもビシっとした写真には出来なかった。
 流す腕があれば、ちゃんとした写真が撮れるのかなとも思っていた。
 そんななか、今回同行した武蔵野線屋根上日記氏が持参していた、
白いのを借りて撮影させてもらうことが出来た。その白いレンズは、
確かに高いのだが、性能もいいとは知っていた。

 早速、後追いから撮影。

C0911a119
(北千住を後にするTX。ISO400、F値は2.8)

 同じカメラで撮影したのかと言うぐらいの画像に。
 レンズ沼は、はまると抜けられなくなるということは、よく知っているが、
何とか貯金して、買いたいなと思わせる代物だった。
 そして、進入も。

C0911a120
(北千住駅に進入するTX。ISO400、F値は2.8)

 以前、会社の先輩から、レンズの性能一つでも写真の出来が左右すると
聞いていたが、ここまで差が出るんだなと。

 
 この後、都心に出て買い物などをして、帰途についた。
 この日は、ぐずついた天気ではあったが、いつものTOMO氏の他、
裏辺研究所の管理人氏未来色スケッチの管理人氏と、初めてお会い
したのに親切にしていただいて、有意義な一日を過ごすことが出来た。
 同行させてもらい、感謝です。
 
 
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 TOMOさん

北千住で2459列車などを撮影

 11月22日(日)

 隅田川駅でのイベントを見学後、昼食を摂るためお隣の北千住に移動。


 駅前で昼食。(省略...)

 で、食後。
 北千住駅から上野・浅草方面に向かって最初の踏切で撮影することに。
 TOMO氏などは、間もなくやってくる貨物列車 2459列車(隅田川発北長野行)を
撮影するとのことで、常磐線側に陣取った。そして自分は、あえてJR線ではなく
東武線側に陣取り、同行したT君とともに東武線の電車を撮影することに。

 まず、南栗橋行。34406が先頭。

C0911a114
(北千住駅に進入する東武線。その1)

 
 続いて、久喜行。16601が先頭。
 行き先表示が最近のタイプのようだった。
 というのも、シャッター速度が遅くダメかと思っていたら...
 運良く、前面表示の文字はしっかり識別できる状態だった。

C0911a115
(北千住駅に進入する東武線。その2)

 ただ、文字は綺麗に撮影出来たが、警備員の詰所の庇が写り込む。残念。


 そうこうしているうちに、常磐線側をEF64 1000番台の重連がけん引する
2459列車が通過していく。

C0911a116
(北千住駅に近くの踏切を通過する 2459列車)

 ちなみにこの 2459列車という貨物列車。
 既に様々な方が取り上げてこられ、今回同行したTOMO氏も取り上げているが、
隅田川駅から方向転換することなく、中央線を経由して長野県内に向かうため、
いったん常磐線を走行し、常磐緩行線の馬橋駅付近にある連絡線に入る。
 これで、武蔵野線に入ることができるため、このまま埼玉県の南部を一気に
西に進み、新小平駅を通過した辺りにある連絡線を走行し、中央線の国立駅の
手前に出てくる。
 こうして、この 2459列車は、方向を変えることなく長野県を目指して走っていく。
 
 ここまで撮影したところで、踏切での撮影は終了。
 踏切近くのフジモデルに立ち寄ってから、北千住駅に向かった。

(つづく)

隅田川駅のイベントへ(2)

 11月22日(日)

 JR隅田川駅でのイベント後半戦。
 前半戦は物販やイベントコーナーを見学して回ったが、後半戦はささやかながら
展示されていた車両などを見学して回ることに。


 車両が展示されていたのは、一番南側で屋根と積み卸し用ホームがある線路。
 ホームのせいか、屋根までがあまり高さがないのか、照明は付いていたものの
低く薄暗く感じた。

C0911a108
(積み卸し用のホーム)


 そんな貨物ホームで最初に展示されていたのは、ヨ8000。
 以前は貨物列車といえば、この緩急車(車掌車)が一番後ろを締めていたが、
昭和60年3月のダイヤ改正の際に貨物列車の車掌省略が実施されてからは、
一気にその姿を減らし、今では一部の甲種輸送などに連結されるのみに。

C0911a109
(まず、ヨ8000)


 続いて、先日より運用開始となった、黄緑のコンテナ。
 コンテナ列車が運転開始して50周年を祝う事業として施された。
 黄緑色がなんとも新鮮だった。

C0911a110
(エコレールのロゴが貼られた、黄緑のコンテナ)

 
 そして行列に並び、積み卸しホームから下りて、EH500も撮影する。
 こちらには、コンテナ列車50周年のヘッドマークが取り付けられていた。
 なお、この線路には架線が張られていないので、おそらくDE10あたりに
押し込まれたんだろう。

C0911a111
(EH500。架線がないので、DE10で押し込んだのだろう)

 
 また、折角ホームから下りたので、構内も一枚撮影してみた。
 
C0911a112
(構内を見る)

 一番端の線路ではあったが、先の距離を見ただけでも、結構長いなと。
 もっtも、あれだけ長いコンテナ列車をフルに生かすとなれば、これほどの
広大な敷地が必要なのかもしれないなと、あらためて実感した。
 ただ、上の写真は広大さを表すには、いまいちかもしれないが...

 
 と、隅田川駅でのイベントはここまで。
 流石に見るものが無くなったので、ここで引き上げる。
 その後、南千住駅近くの歩道橋から、構内入換の様子などを撮影し、
南千住を離れた。
 

隅田川駅のイベントへ(1)

 九州旅行のお話はいったんお休み。
~~~~~~~~~~~~~~~
 11月22日(日)

 3連休の中日となった22日、常磐線南千住駅近くのJR貨物隅田川駅で
イベントが開催されるため、出掛けることにした。
 なお、このところ鉄道関係のイベントには縁がなかったため、こういった
イベントは久しぶりだった。


 当日。
 家を出るときは太陽が顔をのぞかせていたのだが、都心に近づくにつれ、
徐々に雲行きが怪しくなってくる。そんな、あいにくの天気だったが上野駅で
TOMO氏裏辺研究所の管理人氏未来色スケッチの管理人氏らと
合流し、常磐線の快速電車で南千住へ。
 このところ、常磐線というと、上野~水戸間を始め、いわき~岩沼間など
国盗りでの利用しかなかったので、それ以外としては、久しぶりの乗車。

C0911a101
(上野から乗車した我孫子行)

 
 上野から3つ目の南千住駅で下車する。
 日比谷線のガードを越え、しばらく歩くと、隅田川駅の仙台方の門に到着。
 すでに会場には、ずらっと行列ができていたが、鉄道部品に入札する人と
野菜詰め放題などの列に分かれていた。
 今回は、鉄道部品は目指していなかったので、野菜詰め放題の列へ。

 10時を少し回ったところで開場する。
 会場までの通路と脇には、いくつかのコンテナが積まれていた。

C0911a102
(積まれたコンテナ♪)

 さらにその奥には、青いワム8も

C0911a103
(青いワム8も)

 ワム80000はコンテナ列車に押され、活躍の場をかなり狭めている。
 コンテナ列車が主流になってきているので、今後は消滅してしまうの
だろうか?
 
 
 会場に入ると、各ブースがコンテナで作られていた。
 特に、50周年を記念して発売されたストラップには随分長い行列が...
 限定ストラップというと人気があるからなぁと納得。

 その他の出店や展示ブースにも、それぞれ人垣や行列ができていて、
あいにくの天気を吹き飛ばすように賑わっていた。

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(会場の風景)


 また、会場には冷凍コンテナの内部の極寒体験コーナーや、コンテナの
積み卸しに活躍するトップリフターの運転台への乗車など、家族向けの
イベントも充実し、どのイベントにも行列が出来ていた。

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(極寒体験が出来た冷凍コンテナ)

 なお、本来であれば、-25℃という極寒体験をしたかったのだが、
今回は病み上がりだったので流石にパスした。

 
 トップリフター。
 あれだけ大きなコンテナをたやすく持ち上げるのが仕事のためデカい。

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(トップリフター)


 そして、昨年(2008年)3月に引退したEF65 535が最終運転に向け、
運転台に取り付けられたヘッドマークが展示されたコーナーもあった。

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(展示されていたヘッドマーク)

 ここまで見学したところで、今度は車両展示を見に行くことにした。

(つづく)
 
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 mattohさん
 

ソニックで別府へ...

  9月10日(木)

 小倉から乗り継いだのは、特急ソニック。
 お昼過ぎの列車なので、意外と空いていた。
 乗車したのは883系7両編成。また振り子...

 乗車したところまではよかったのだが、何となく体調が芳しくないなと。
 乗り心地が良かったのがせめてもの救いだったようだ。
 ただ、体調が悪い割りには、国盗りは盗りこぼすことがなかった。
 今回の旅の目的である、決戦!関ヶ原の「中津城」「立石城」「杵築城」を
しっかりと拾っただけでなく、小倉を発車してから通過してきた「行橋・田川」
「宇佐・中津」「国東」「別府」と、携帯のアラームを活用して、寝過ごすこと
なく、なんとかクリアすることが出来た。

 そして、次の特急にちりんに乗り継ぐため、なんとか別府で下車する。
 少し時間があったので、いったん改札の外へ。
 何とか駅舎は撮影したが...

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(別府駅駅舎)

 快晴で夏らしい暑さだったことも影響してか、かなりフラフラしていた。
 数日前の北海道は、肌寒く上着が必要だったというのに。
 いかに、日本という国の南北が長く、寒暖の差があるのか思い知る。
 
 なお、駅前の変な銅像は、ピカピカおじさんこと油屋熊八という人物とのこと。
 この記事を書くに辺り、少しだけ調べてみたところ、1909年に別府で亀の井
ホテルを創業した、別府観光の父とも呼ばれる人だった。

 また、駅前には足湯ならぬ手湯もあった。

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(別府駅前の手湯)

 ただ、体調がかなり悪かったので、あまり構っていられる状態ではなかった。 
 
 そして再び改札内へ。
 別府駅で乗り継いだのは、特急にちりん。
 今度は、赤く塗られた485系5両編成。

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(赤いにちりん)

 しかし、体調の悪さがピークに。
 このまま乗車しても、大分を出てしまえば、しばらく大きい街はない。
 この先の行程が変わってしまうものの、体調不良では仕方があるまい。
 大分県の県庁所在地である大分駅で下車し、病院へ向かった。
 流石に新型インフルエンザだったら、旅行は中止だなと思ったりしたのだが。
 
 診察の結果、単なる風邪と言うことで、薬をもらい、旅を続けることにした。
 ということで、病院から大分駅に戻った。

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(大分駅駅舎)
 
(つづく)

のぞみで西へ

  9月10日(木)

 名古屋から東海道・山陽新幹線を利用して、西を目指すことに。
 乗車したのは、博多行ののぞみ11号。
 東京8時、名古屋10時といい時間帯の列車なので、ある程度の混雑は想定して
いたが、空席は3人掛けの真ん中B席のみと、ずいぶん乗車率がいいようだった。
 やって来たのは、N700系。

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(名古屋駅に進入するのぞみ11号は、N700系)

 
 乗車すると、何で指定席の売れ行きがいいのかが一目でわかる。
 乗車した車両に修学旅行の学生が...
 しかも、京都か新大阪で下車するものだろうとタカをくくっていたら、結果的に、
広島まで乗車していた。それならば確かに博多行ののぞみに修学旅行生が乗車
していても不思議ではない。
 結局、広島でその学生が降りるまで、賑やかだったのは言うまでもない。


 ということで、広島を出れば車内は当然のことながら、ガラガラになったので、
N700系のサービスの一つである、窓側席のコンセントを試してみることに。
 ほぼ、山形新幹線のE3系の装備と似通ったものだった。
 これからは、こういう装備を施した車両が増えていくのだろう。
 そんなことを考えているうちに、列車は関門トンネルを抜け九州へ。

(つづく)

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