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2009年11月15日 - 2009年11月21日

鳥羽から折返し名古屋へ

  9月10日(木)

 津から乗車してきて鳥羽駅に降り立つ。
 そして、名古屋に戻るため、ここから乗車したのは、特急・近鉄名古屋行。

 ところで、近鉄特急と言うと、幼い頃に図鑑で見た「ビスタカー」や「スナックカー」で
止まっていたりする。その後も「アーバンライナー」等が登場している。
 ということで期待してホームに向かうと停車していたのは、22000系だった。

C0909a061
(鳥羽駅にて)

 まぁ「当たり」かなと思いつつ、購入した指定席を確認しながら、先頭方向に進んでいく。
 すると、途中で形式が変わり、12200系だった。ちょっとガックリしつつ、車内に入る。
 さすがに登場からずいぶん経っていて、最新の車両に比べると車内設備が見劣りする
ようにも思えたのだが、乗り心地自体は悪くはなかった。
 おそらく、高速運転に備え、線路の手入れがそれなりになされているのだろう。
 ということで、鳥羽を発車すると揺れも無く夜行バス疲れで、何度も船をこいでいた。


 途中、目が覚め気づいた明星。
 検車区の奥の方には、白地に水色の帯を纏った団体専用車が留置されていた。
 留置されている場所のせいもあり、往路は気づかなかったようだ。

 松阪、津、白市(鈴鹿市内)と停車し、乗客が入れ替わっていく。
 近鉄四日市でほぼ席が埋まる。名古屋に9時頃到着するということもあり、時差通勤や
名古屋への用務客にはちょうど利用しやすい時間帯なのかもしれないなと...

 関西本線の線路とは近いところを走ったりして、並走線区なんだなぁと感じる。
 そして、何度か長い橋りょうを越え、徐々に住宅が多くなってくると、間もなく名古屋駅。
 JR東海の名古屋車両区や近鉄の引上線(富吉検車区米野車庫)の脇を抜けていく。

 やがて、地下線に入っていき名古屋に到着する。
 なんとなく体調が優れないが、次の列車に乗り継ぐため、ゆっくり下車した。

C0909a062
(乗車した12200系。名古屋駅到着後)


 次は、名古屋から西を目指すことに。
 
(つづく)

関ヶ原最終章 まずは津から

  9月10日(木)

 乗客のお喋りと、「飯田城」拾いのため、あまり寝付けなかった「大宮鳥羽線」の
夜行バスで下車したのは、三重県の県庁所在地である津駅。まだ6時前。
 今回、ここを訪れたのは、ケータイ国盗り合戦の「決戦!関ヶ原」で「安濃津城」と
「鳥羽城」を拾うためだった。なぜか伊勢方面で2つ取りこぼしがあったため、西へと
向かう前に立ち寄ることにしていた。

C0909a054
(津駅まで乗車してきた夜行バス「大宮鳥羽線」)

 下車したところで、81城目となる「安濃津(あのつ)城」を拾う。
 幸先がいいような気もしたが、とてつもなく眠い。
 よくよく考えると、「はまなす」での寝不足を未だに引きずっていた。

 ただ、ここで留まるわけにはいかないので、津駅へ。

C0909a055
(津駅の駅舎)

 JR側の改札だったが、近鉄の券売機や窓口も設置されていて、なんとなくJRが
間借りしているような駅という感じだった。

C0909a058
(JR側の改札だったが、近鉄の窓口が)

 今回、鳥羽まで向かうのは近鉄線。
 訪れた時間帯は、JR東海側(紀勢本線~参宮線)の列車が少ない時間だったため、
必然的に近鉄利用という選択になっていた。

 跨線橋を渡り近鉄線側に渡ると、反転フラップ式の案内標が設置されていた。
 このところ、どのような行先・種別に対応できるよう、LED化されているところが多く
なってきている。こうやって見られる所も徐々に減っていくのだろうか?

C0909a059
(津駅近鉄線の反転フラップ式案内標)

 
 そんな津駅から乗車したのは、伊勢中川行。

C0909a056
(伊勢中川行)

 そういえば、近鉄線は今まで全く縁がなかったなぁなんて思ったりした。
 この後、鳥羽まで向かってから名古屋に戻るまで乗車し続けることになるが、
近鉄電車を本格的に利用するのも当然ながら初めてだった。
 (7月に王寺~信貴山下で利用したことはあったが...)


 大阪方面のデルタ線をやり過ごし、伊勢中川に到着する。
 今度は賢島行に乗り換えて、鳥羽を目指す。

C0909a057
(伊勢中川で乗り継いだ賢島行)

 途中の明星では、検車区が併設されており、特急編成が出番を待っていた。
 また、宇治山田までは通勤・通学客の姿があったが、それ先はガラガラだった。


 池の浦駅に到着したところで82城目となる「鳥羽城」を拾う。
 これで、九州と沖縄を残すところまでやっつけたことに。
 今回の鳥羽までの用事はこれで終了。
 なお、池ノ浦~鳥羽間では、海沿いを走るところがあったが、晴天だったので
青い海がきれいだった。そういえば、はじめて参宮線に出掛けたのは、その年の
夏の青春18きっぷの広告が、ちょうどこの辺りの風景を題材にしたものだった。
 それ以来、今回が3度目となる。


 お隣の鳥羽で下車。
 今回、近鉄戦で往復することもあり、初めて近鉄側の駅舎を撮影した。

C0909a060
(鳥羽駅・近鉄側の駅舎)

 そして、名古屋を目指す。

(つづく)

◆関連記事
 2007年10月に訪れた鳥羽(伊勢うどんのついで)
 2009年3月に訪れた鳥羽(国盗り合戦のため)

名も無きバスで西を目指す

 再び、9月の旅の話を。
~~~~~~~~~~~~~~
  9月 9日(水)

 ケータイ国盗り合戦「決戦!関ヶ原」で北海道から帰ってきた2日後。
 今度は、西を目指して大宮から夜行バスに乗車することにした。


 当日。仕事を終え、身支度を整え大宮駅へ。
 バス乗り場に向かうと、大阪行、大津行のバスが続けて先行していく。

 まず大阪行。
 おなじみのレオマークが描かれた西武バスが担当していた。

C0909a051
(大阪行は西武バスが担当)

 
 続いて、大津行。
 京都まであと少しながら、足を伸ばさない辺りは、中途半端な気もしたが...
 こちらは、青とピンクの帯を纏った西日本ジェイアールバスが担当。

C0909a052
(大津行は西日本ジェイアールバスが担当)


 そして、今回乗車するのは鳥羽線。
 愛称名は特に設定されていないようだった。
 通常であればたいていの夜行高速バスには、何らかの愛称がつけられて
いるのだが、西武バスが運行している路線は、特に愛称はつけてはいない
ようだった。
 そして、この路線は大宮市内の車庫を起点とし、大宮駅、サンシャイン60、
池袋駅と停車した後、新宿から中央道を経由して、松阪や鳥羽を結ぶ路線。
 ちなみに、名古屋や京都、大阪を結ぶ路線は多数あるのだが、名古屋から
少し外れた桑名、津、松阪、伊勢市、鳥羽と、あまり利用客が見込めない
ようで、以前乗車した「ほの国号」の終点・三河田原と同様に夜行バスには
恵まれていないのが現状のようだ。
 それにしても、津は三重県の県庁所在地のはずなのだが...


 大津行きが発車していって数分後、やって来たのは共同運行をしている
三交伊勢志摩交通のバス。
 三交伊勢志摩交通?と思い、少し調べてみたところ、三重交通のグループ企業で
伊勢地区で路線バスを営業するとともに、この夜行バス「大宮鳥羽線」を担当して
いるとのことだった。
 ちなみに、大宮から紀伊勝浦を結ぶ路線については、同じ三重交通のグループ
企業である三交南紀交通が担当しているとのことだった。
                      (どちらも西武バスと共同運行になっている。)
 なお、三重交通自体は近鉄グループに属する企業とのこと。
 いったい何層構造?


 早速乗車するが、大宮駅を発車した時点での乗客はわずか2名。
 ということで、停車時間は僅かだったので、バスを撮影する間もなく発車する。
 ほとんどの乗客は、池袋駅からの乗車だった。
 というのも、次の停留所だったサンシャイン60では、ここまでの首都高がスムーズに
流れていたせいか、10分ほど停車したが乗車する人はいなかった。
 確か予約した時の残数は一桁だったような...

 池袋発車時点で15名ほどの乗客を乗せ、初台へ。
 初台から中央道経由で向かうとのこと。

 さて、一眠りしたら、どこまでつれて行かれるのだろう?
 そういえば、今回旅立ったのは水曜日の晩。
 水曜日の晩といえば、あの伝説の深夜番組が放送されていた曜日。
 そして、その番組の名物企画「サイコロの旅」では、出演者が毎回?夜行バスに
やられっ放しだったような。今回はそれと同じ憂き目にあいそうな気配が...

 
 このあと、乗務員交代のため、双葉SA(山梨県)、恵那峡SA(岐阜県)と停車し、
ひたすら西を目指した。

(つづく)

めがね橋からの帰り道

 11月15日(日)

 駅からハイキングも後半戦。
 今度は、めがね橋から横川駅へ。
 ずっと下り坂で、加速しすぎないように注意しつつ、下っていく。

 峠の湯の少し手前の遊歩道脇に、「力餅」の立て看板が。

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(力餅の立て看板)

 これは、国道18号線の旧道沿いにある玉屋ドライブインの看板だった。
 今まで何度か車で通過していたが、今回は寄ってみることにした。 

 土手を駆け上がると、玉屋の前に出る。
 店の前の看板には、創業200年の文字が。
 それだけ歴史がある店のようだ。

C0911a049
(玉屋ドライブイン)

 看板が出ていたとおり力餅が売られていたので、お土産にと購入した。

C0911a050
(玉屋の力餅)

 看板は「力餅」だったが、包み紙は「碓氷貞光の力もち」と。
 包み紙の説明によると、当初は熊ノ平駅で力餅で駅売りをしていたが、
駅が廃止になり、現在の坂本に移り販売しているとのこと。


 再び遊歩道へ。
 ひたすら下っていく。


 めがね橋から約1時間で、横川駅に到着する。
 そして、駅前で売られていた峠の釜めしを頬張ったところで、この日の
ハイキングは終了。予定外の10Kmのハイキングは、日頃の運動不足
解消に繋がったのかな?と考えつつ、横川駅を後にした。

C0911a051
(峠の釜めし)
 

秋のめがね橋(碓氷第三橋梁)

 11月15日(日)

 横川駅からの駅からハイキングで目指すのは、信越本線の廃線跡にあるめがね橋。
 めがね橋というと、2008年11月に車で訪れて以来となる。
 そして、前の記事に書いたとおり、日帰り温泉「峠の湯」まで2.7Km歩いていた。

 
 当日。
 峠の湯からめがね橋まで残りは2.1Km。
 ここで、粘着運転(EF63)時代の廃線跡と別れていく。
 そして、ここからトンネルも登場する。

C0911a041
(第1号トンネル)

 さらにもう一つトンネル(第2号トンネル)を抜けると、碓氷湖を下に見下ろす地点へ。
 この碓氷湖は、霧積川に設置された坂本ダムの人造湖。
 その畔に、駐車場などが設けられ、ハイキングの途中などに立ち寄ることが出来るよう
東屋なども設けられていた。そしてこの日は、湖の畔には、駅からハイキング参加者や
観光バスで訪れた観光客の姿が見られた。

C0911a042
(遊歩道から碓氷湖を見る)

 ここで一息ついても良かったのだが、めがね橋まであと1Km。
 もう少しなのだからと、気を抜かずさらに登っていくことに。


 めがね橋への途中。
 見上げると、国道18号の旧道を一台のバスが登っていく。
 よく見れば、JRバス関東の臨時バスだった。

C0911a043
(旧道を行く軽井沢行の臨時バス)

 このバスは。訪れた15日まで臨時運転していた旧道経由の軽井沢行。 
 JR版の時刻表の信越線の頁だと、横川と軽井沢の時刻しか掲載されていないが、
JRバス関東のHPによれば、この他にも途中に、坂本宿、くつろぎの郷、
めがね橋、熊ノ平にも停車しているようだ。
 このルートを運転するのは、毎年一部の期間のみ。そのルートを好んで乗車している
人がいるのか、上の写真ではわかりにくいが、乗客は意外と多いように見えた。


 さらに2つトンネルを抜け、第5号トンネルへ。
 このトンネルは243mと少し長く、トンネル内は少し左にカーブしている。
 そしてトンネルを抜けると、視界がパッと開ける。
 横川駅から1時間15分ほどで目的地のめがね橋に到着する。

C0911a044
(めがね橋に到着)

 ここも駅からハイキング参加者や観光バスなどで訪れた観光客で賑わっていた。
 しかも、葉っぱが落ち始めていたが、紅葉がまだ見ごろといった感じだった。

 また、めがね橋よりさらに高いところに、粘着時代に利用されていたアーチ橋が。

C0911a045
(めがね橋からアーチ橋を眺める)

 なお、横川駅からの遊歩道はここまで。
 めがね橋の先にある、第6号トンネルは立ち入り禁止になっていた。
 ただ、この先には熊ノ平信号場跡もあるので、その辺りまでを遊歩道として、
整備してくれれば、さらにハイキングが楽しめるのかなと感じた。
 もっとも、めがね橋までの遊歩道の区間でもトンネルがあったが、安全に歩いたり
出来るように、照明や路盤が整備されていることを考えると、距離があったりして、
なかなか整備が進まないのが現状なのかもしれない。

 
 そして、国道18号線の旧道まで下りてみて、見上げるように撮影する。

C0911a046
(めがね橋を見上げてみる)

 このめがね橋は、正式名称は「碓氷第三橋梁」とのこと。
 国道18号の旧道からめがね橋に向かう途中に説明板が設置されている。
 めがね橋を含む横川~軽井沢間の開業は明治26年(1893年)とのこと。
 しかも、200万個のレンガが積み上げられているそうだ。
 100年以上も前にこのような建造物が造られ、今も残っているのはすごいこと。
 また、谷を抜けるために掛けられたレンガ積みの橋梁の高さにも驚かされる。
 山陰本線に掛かる余部橋梁のトレッスル橋などもそうだが、いかにして鉄道を
敷設していくか検討した結果、当時の工法・技法としてもっとも適していたのだろう。
 この橋は、平成5年に国指定の重要文化財として指定されている。
 これからも碓氷峠の鉄道遺産の一つとして、多くの観光客が訪れることだろう。
 そんなことを考えつつ、めがね橋を後にした。


◆関連記事
 2008年11月のめがね橋
 

駅からハイキングに参加する

 11月15日(日)

 安中駅近くから車を走らせ、向かった先は横川駅。
 信越線方面に出掛けたので、横川駅にある碓氷峠鉄道文化むらにでも
行ってみようかなと考え、国道を西に進んだ。

 横川駅に到着すると、この日開催されていた駅からハイキングの受付が
あったので近づいてみると、まだ受付をやっているとのことだった。

C0911a034
(駅からハイキングの受付)

 せっかくなので、飛び入りで参加させてもらうことに。
 ただ、参加するとは言っても、誰かに引率されてハイキングするのではなく、
参加者が各々マイペースで目的地を目指すイベントだった。

 なお、今回の目的地は、横川~軽井沢間の旧線跡のめがね橋。
 実は昨年の秋、めがね橋には車で訪れていたのだが、廃線跡については
ほとんど歩いたことが無く、一度は訪れてみたいと考えていた。
 ということなので、他の参加者にまじって、めがね橋を目指すことにした。

 
 まず、碓氷峠鉄道文化むらの脇を進む。
 敷地内に展示車両とは別に数両、車両が置かれているが、それを撮影。

C0911a035
(展示車両とは別に留置されている)

 留置されている車両の線路は、観光トロッコが運転されている旧信越線の
線路へと接続されていたので、おそらくEF63については、体験運転用の車両
なのだろう。確かに公式HPによれば、体験運転では単機の他に重連での
運転も体験することができるとのことだった。
 ただし、189系側はレールが繋がっていないように見えた。

 国道18号が左側に進んでいくのに対して、こちらは右側へ。
 やがて、頭上を上信越道の高架橋がかすめていく。
 この高架橋が出来てから、碓氷峠の撮影ポイントが悪くなったとの評価が
何度となく聞かれたのを、今更ながら思い出してしまった。


 丸山変電所跡。
 長野新幹線が開業する以前、撮影のためこの付近を訪れた際、この建物は
屋根が朽ち果て窓ガラスも割れていて、見るに見かねる状態だった。
 しかし、平成6年に重要文化財に指定されたこともあり、保護を目的とした
修復が行われたようだった。(→安中市役所HP

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(修復整備された丸山変電所跡)

 丸山変電所は、アプト時代に使用されていたもの。
 横川火力発電所で発電した交流電源(6000V)を、ここで650Vの直流電源に
変換してとのこと。粘着運転(EF63けん引)に移行後は利用されていなかった
ようだ。しかしながらそのまま放置されていて、先述したとおり朽ち果てていた。
 それが、ここまで修復されたことにより、今後も碓氷峠の鉄道遺産として
残されていくのだろう。


 そして、その脇の線路に、鉄道文化むらのアトラクションとして、この先の
日帰り温泉「峠の湯」まで運転されているトロッコ列車がある。
 その列車の中間駅がここに設置されていて、タイミング良く列車がやってくる。

C0911a037
(駅に停車中のトロッコ列車)

 ここで利用されている機関車DB201は、この区間がまだ生きていた頃、
この区間の保守作業用として製造された、TMC-500Aという少し特殊な
車両をを利用している。そして、急勾配区間で運転できるよう、下り勾配で
速度を抑える装置も取り付けられているとのこと。


 丸山変電所跡での撮影を終え、再び歩き出す。
 ここから少し左にカーブを切り、勾配が急になる。
 この辺りは、碓氷峠が廃止となる直前に、一度だけ撮影に来たことがあった。

C0911a038
(峠を下ってくるあさま号)

 上の写真によれば、48‰の勾配標が。
 100m進むと、4.8m標高が上がる計算だ。
 確かに登っていくには少しきつい。

C0911a039
(坂道の途中から下を見る)
 

 急勾配を登りきったところに「峠の湯」。
 横川駅から2.7Km。少し早歩きで歩いてきて約50分。
 まだ先は長い...

(つづく)

15日の撮影 快速碓氷号

 11月15日(日)

 前日の雨が嘘のように晴れ渡った15日、横川駅で行われる駅からハイキングに
向かう参加者向けに運転した臨時列車「快速碓氷号」の撮影に出掛けた。

 快速碓氷号は上野~横川間で運転するため、高崎線内もしくは信越線内で
撮影することとなるが、高崎線内では先頭車がほぼ北に向かっているため、
光線状態を考え、信越線内で撮影することにした。

 当初、安中駅に進入するところを撮影しようと考え、現地に向かってみたが、
前回(2009年5月)、DL横川号を撮影したときに比べ、運転時間帯が早いため、
光線状態が異なり撮影しにくそうに感じた。ということで、今回は群馬八幡~
安中間の碓氷川を渡る橋りょう付近で撮影することにした。

 現地に到着し、先客の間に入れてもらう。
 1月のEF55関係の臨時列車の運転の時は、このポイントを訪れた人が結構
多かったようだが、今回は電車の臨時列車と言うことで、比較的空いている
ようにも感じた。


 まず、先行する横川行。

C0911a031
(碓氷川を渡る107系横川行)


 そして、快速碓氷号。

C0911a032
(碓氷川を渡る183系快速碓氷号)

 今回は、OM103編成が充当されていた。
 このところ、OM102編成の列車によく当たっていたので、何となくホッとした。

 快速碓氷号の後は、次の列車まで間隔が開くため、撮影はここまで。
 せっかくなので、少しドライブすることにした。
  

走れ!エアポート

  9月 7日(月)

 銭函から乗車した区間快速は、手稲でエアポートの待ち合わせがあるはずだった。
 しかし、大雨を理由に運休となり、札幌まで行くようアナウンスが入る。
 そんな札幌に到着したものの...
 20分前に発車するはずのエアポートがまだホームに停車していた。
 まだ発車しないだろうと思い、少しコンコースなどをブラブラし、列車に向かった。
 15分に1本の間隔で運転している列車が、1時間近く止まっているため、
車内には立ち客も多く見られた。

 
 当初は13時55分発の列車(快速エアポート136号)だったものが、
最終的には14時55分発の列車(快速エアポート146号)に変更して運転再開するとの
アナウンスが流れる。ただし、実際に札幌を発車したのは、さらに20分ほど掛かる。
 飛行機の出発時刻は16時40分。そろそろ危ない時間帯に。
 
 ようやく札幌を発車。
 先行列車がいないせいか、しばらくはいい走りっぷりだったが、途中からなんとなく
ゆっくりになり、千歳駅では南千歳の平面交差が理由なのか、少し停車していた。
 
 結局、新千歳には16時06分に到着
 階段を早歩きで上がり、航空会社のカウンターには30分前に到着。
 なんとかチケットを受け取り、無事に搭乗することが出来た。

 搭乗した飛行機は17時ごろ離陸し、北海道の上空は荒れていた。
 それでも、本州上空に来ると安定していた。
 北海道の空が嘘だったかのように...

 羽田には18時10分ごろ着陸。
 このまま、何事もなかったかのように、帰途についた。
 
 なぜか札幌で1時間以上あったが、列車を撮影したものは何もなかった。

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