2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

分類別に読む。

分類別(非鉄)

無料ブログはココログ

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月

28日の撮影~氷川丸

 11月28日(土)

 この日、最後に撮影したのは氷川丸。
 
 既に外は暗くなっていた。
 ライトアップされている姿が綺麗だったので、思わずカメラを向けてみた。

C0911a156
(氷川丸)

 なお、この氷川丸は、1961年に現在の場所に保存されたとのこと。
 とすると、既に40年が経過したことに。
 今後もこの場所で、横浜港を見続けていくのだろう。
 

28日の撮影~横浜ランドマークタワーの展望台にて

 11月28日(土)

 ここからは鉄分抜きの撮影。
 まず、桜木町駅からほど近い、横浜ランドマークタワーの展望台へ。

 展望台があるのは69階。地上から272mの高さにある。
 そんな高所の展望台へは、高速エレベーターを利用することにより、
69階の展望台まで40秒ほどで到着することが出来た。

 展望台に到着したが、残念ながら富士山はモヤっていて見えなかった。
 写真を撮影し、唯一順光で綺麗に写ったのは、東の方角だけだった。

C0911a157
(展望台から東の方角をのぞむ)

 写りは悪かったが、海ほたるや東京湾アクアラインなども確認できた。

 なお、入場料1000円が高いのか妥当なのか、判断に悩むところもあった。
 しかし、一度ぐらい行ってみる価値はあるのかなと感じ、タワーを後にした。

(つづく)

28日の撮影~横浜で253系

 11月28日(土)

 所用で横浜に出かけ、ようやく横浜駅へ。
 到着したホームにやって来たのは、成田エクスプレス。

C0911a155
(横浜駅に停車中の成田エクスプレス)

 
 既に10月よりE259系が導入となり、風前の灯となりつつあり253系6両編成。
 来春以降、全編成が置き換えとなるようだ。
 なお、3両編成については、運用離脱し豊田車両センターに疎開しているものも。

 今後、そう遠くない時期に、形式自体が過去帳入りする可能性もありうる。
 253系が見られるのは、そう長くはないのかもしれない。
 
 
 ところで、この日は無計画のまま動いたにもかかわらず、結果的に今後の去就が
注目される車種ばかり、4種類も見ることが出来た。

(つづく)

◆関連記事
 (253系関係)
 車両置換のニュース(2008年2月)
 市川にて撮影(2008年5月)
 市川にて撮影(2008年7月)
 

28日の撮影~車中から500系

 11月28日(土)

 所用で横浜に出かけるため、横須賀線で横浜を目指す。
 西大井を出ると少しの間、東海道新幹線と並走する。
 まず、N700系とすれ違う。

 そして、ふと気づくと、並走する新幹線が。

C0911a153
(並走する500系)

 コンデジで撮影をしてみたが...
 防護壁があったりして、なかなか難しかった。

C0911a154
(500系最後部)

 この500系が16両編成で上京してくるのは、あと僅か。
 鳴り物入りで投入された新幹線が、こうも速く淘汰されるとは...

(つづく)

◆関連記事
 (500系関係)
 名古屋にて(2007年10月)
 博多にて(2009年3月)

28日の撮影~舞浜で201系

 11月28日(土)

 所用で横浜に出かけるため東京駅へ。
 ただ、待ち合わせの時間まで余裕があったので、国盗り合戦の絵巻を取るため、
京葉線ホームへ。土曜日の午前中ということもあり、ディズニーランドに向かう人が
多かった。

 で、最寄りの舞浜駅。
 到着すると向かい側には、スカイブルーの201系が。
 せっかくなので走り去るところを撮影した。

C0911a152
(舞浜駅を後にする201系)

 同じ201系でも、中央線の快速に用いられているオレンジバーミリオンの編成は
中央線の連続高架工事が終わることで、いよいよ先が見えてきた。
 製造当初、走ることが想定されていなかった京葉線が最後の牙城になるとは...
 
(つづく)
 
◆関連記事
 (201系関係)
 2008年9月の201系(中央線)

28日の撮影~高崎に209系

 九州の話はいったんお休み。
 28日に撮影したものを数回に分けて。
~~~~~~~~~~~~~~~
 11月28日(土)

 所用で横浜に出かけるため高崎駅へ。
 構内の留置線を見るとなぜか209系が。
 桐生(下新田基地)や直江津、北長野で見たことはあったが...

C0911a151
(高崎駅構内に留め置かれた209系)

 留め置かれていたのは元浦和所属の61番編成で6両編成だった。
 転用待ちの209系かななんて思ってみたのだが...
 真相はわからないまま、上京するため高崎駅を後にした。

(つづく)

◆関連記事
 (209系疎開関係)
 直江津に疎開中の209系(2009年1月)
 土崎に疎開中の209系(2009年1月)
 長野に疎開中の209系(2009年2月)
 桐生に疎開中の209系(2009年5月)
 

特急はやとの風で肥薩線へ

  9月11日(金)

 鹿児島中央から乗車したのは、特急はやとの風2号。

 当初の予定であれば鹿児島に泊まり、この日は九州新幹線で新八代に向かい、
肥薩線の普通列車で人吉まで一往復する予定だった。しかし、前に書いた記事の
通り、体調を崩して大分で病院に行ったことで、その日の後の行程が変更となり、
この日は宮崎スタートとなった。
 それが幸いしてか、タナボタでこの特急はやとの風2号に乗車することに。

C0909a089
(鹿児島中央駅で発車を待つ特急はやとの風2号)

 黒を基調とした落ち着いた塗色の3両編成。
 そのいずれもが、近郊型気動車であるキハ40、キハ47を改造した車両だった。

 なお、この日はJR九州の会議が人吉であるのか、関係者が多く乗車していた。
 その影響で、指定席については、半分以上の座席が埋まっていた。
 そんな人気列車?だったので、指定席券を鹿児島中央駅で乗車前に購入して
おいた。しかし乗車してみると、キハ47改造車で座席は戸袋の所だった。
 キハ47を特急用車両にしてしまったことで、座席の位置があまりよろしくない。
 仕方がないので、キハ140を使用した自由席へ移動した。

 
 乗車したキハ140を含め、いずれの車両ともに内装は、木で出来ているようだ。
 これぞ、水戸岡デザインの特徴なのだろうか?
 そういえば前日、宮崎駅でもらった「海幸山幸」のパンフもこんな感じだった。

C0909a090
(キハ140の車内)

 また車内には、横向きの座席も取り付けられていた。
 これも、水戸岡デザインなのかな?と。

C0909a091
(横向きの展望席。カウンターも設けられている)

 
 そんな車内を観察しているうちに、鹿児島中央を発車する。
 ここから隼人までの日豊線の区間は、往復する形となる。

 一つめの鹿児島駅。
 ここで、宮崎からの特急きりしま3号と交換する。

C0909a092
(鹿児島駅交換した特急きりしま3号)

 少し派手な3色の塗装。
 それもそのはずで、以前は特急ハウステンボス号に充当されていた編成。
 現在は、きりしま・ひゅうがのレタリングが入れられている。

 
 そして、再び錦江湾沿いに桜島を望みながら、東へ進んでいく。
 やがて、錦江湾から離れていき、隼人駅に到着する。

C0909a093
(隼人駅に到着した特急はやとの風2号)

 
 列車はここから日豊本線と別れ、肥薩線へ。
 終点の吉松駅を目指し、進路は北へ進んでいく。
  
(つづく)

鹿児島中央駅で少し撮影

  9月11日(金)

 鹿児島中央駅に無事到着する。
 この駅に降り立つのは、16年ぶり。
 前回訪れたときはまだ20世紀だった。
 その頃は、九州新幹線なんて夢物語と思ったのだが...

C0909a081
(鹿児島中央駅コンコース)

 なんて、浦島太郎な気分に浸りつつ、次の列車に乗り換えるまでの間、
駅内や停車中の列車などで撮影することにした。

 
 まず、指宿枕崎線。
 黄色いキハ200系の普通列車 喜入行。

C0909a082
(黄色いキハ200。鹿児島中央駅にて)

 以前訪れたときは、「なのはな」を名乗りながら赤いボディだった。
 現在は、その名の通り、ボディカラーは黄色になっていた。
 

 つづいて、鹿児島中央まで乗車した来た、特急きりしま1号。

C0909a083
(赤い485系5両編成。鹿児島中央駅にて)

 JR九州のコーポレートカラーであるレッドを纏っている。
 みんな赤かった485系も、気がつけば随分数を減らしてきているようだ。
 しかも、数年後の九州新幹線の博多開業で、特急の運転系統も見直される
ことだろうから、485系の活躍が見られるのも後数年というところだろうか?
 

 撮影中、一枚の看板に気づく。
 ホームの屋根に吊された、南国名物の「ボンタンアメ」の看板が。
 「この辺りの銘菓だったっけ」と。そして、随分南に来ていたんだなと。

C0909a084
(ボンタンアメの吊り看板)

 
 ここまで撮影したところで、列車の間隔が開くのでいったん改札を出る。
 せっかくのなので、駅舎を撮影する。

C0909a085
(鹿児島中央駅駅舎)

 
 再び駅内に戻り、撮影を続ける。
 鹿児島地区で活躍する817系。

C0909a086
(鹿児島中央駅に停車中の817系)

 前面の額縁っぷりが何ともいえない。


 そして最後は、特急きりしま83号。
 宮崎からの列車(きりしま1号)が5両だったのに対し、国分始発のこの列車は
3両編成と短い編成だった。 

C0909a087
(短い3両編成の特急きりしま83号)

 次の列車の入線が近くなったので、駅内での撮影はここまで。
 この後、この日の列車移動が本格化する。
 
(つづく)

きりしまで鹿児島中央へ

  9月11日(金)

 決戦!関ヶ原最終章2日目。
 前日の体調不良により、宮崎泊まりとなってしまった。
 それでも、大分でもらった薬の効きが良かったのか、随分回復していた。
 そして、この遅れをカバーするため、宿を出たのは午前5時半。

C0909a075
(宮崎駅駅舎)

 
 まずは、特急きりしま1号で国盗りをしつつ、鹿児島中央へ向かうことにした。

C0909a076
(宮崎から乗車した特急きりしま1号)

 乗車したのは、485系5両編成。
 さすがに、宮崎駅を6時前に発車することもあり、車内はガラガラだった。
 宮崎駅を発車し大淀川を渡ると、お隣の南宮崎駅にも停車する。
 ここで3分停車し、上り特急にちりん2号が発車していく。

C0909a077
(上り特急にちりん2号。南宮崎にて)

 撮影した特急にちりん2号は、国鉄特急色を纏った485系。
 大分車両センター所属のDo 2編成だった。
 
 
 南宮崎を発車すると、国盗りの方は、加納駅付近での「清武・木花」を皮切りに、
「高岡・田野」「都城」と盗り続けていく。

 西都城駅を発車すると、以前ここから分岐していた志布志線の路盤らしき築堤が
少しだけ見えたが、その先は確認できなかった。あとで日本鉄道旅行地図帳の
九州編を確認したところ、昔は西都城から志布志線、さらに国分から大隅線と、
大隅半島側の鉄道は随分充実していたが、そのいずれも廃線となっている。
 現在は、南宮崎から志布志を結ぶ日南線のみが残存している。

 お隣の五十市駅を通過すると、列車はいよいよ鹿児島県に。
 今度は、財部駅付近での「曽於」「霧島」と盗っていく。
 そして、大隅大川原駅で上り特急きりしま2号と交換する。

 この先、霧島神宮、国分、隼人、加治木と連続して停車する。
 この辺りから、都市間輸送としての特急列車から鹿児島市内への通勤の足へと、
その役割がシフトし、一駅ごとに乗車してくるのは、クールビズのサラリーマンが
ほとんどだった。

 4連続停車の4番目の駅、加治木駅で89城目となる「帖佐御屋地」を拾う。
 その後も帖佐、姶良、重富と各駅に停車していく。
 結局、霧島神宮~鹿児島間で通過した駅は、錦江と竜ヶ水の2駅のみ。
 快速列車なみの停車で、通勤ライナー的要素が強いのだろう。
 また、この辺りから錦江湾沿いを走り、対岸には大きく桜島がそびえ立つ。

C0909a078
(竜ヶ水付近から桜島を見る)

 その錦江湾沿いの竜ヶ水付近では、対岸盗りによる「鹿屋」を盗ることができた。
 さらに竜ヶ水を出たところで「鹿児島」と、漏れなく盗ることができた。

C0909a079
(竜ヶ水付近から鹿児島市街地) 

 
 そして、市電の停留所が隣接する鹿児島駅を発車すれば、終点の鹿児島中央。
 とりあえず、前日の遅れを取り戻しつつあった。
 
(つづく)

にちりんでさらに南を目指す

 再び九州の話。
~~~~~~~~~~~~~~~
  9月11日(金)

 病院から戻り、大分駅から乗車したのは、特急にちりん。
 今度は485系3両編成。
 側面は、赤・黄色・緑を用いた3色の塗装だった。

C0909a070
(特急にちりん。大分駅にて)
 
 
 大分を発車し、坂ノ市~幸崎間を始め、何度か海を眺めることができる区間を走行する。
 
 途中、臼杵駅には、ふぐの形をした乗車口案内板が設置されていた。
 通常は、縦長の細長いものや横に少し広い長方形のものが主流だと思っていたが...

C0909a071
(臼杵駅の乗車口案内板はふぐの形をしていた)

 
 大分を発車してから、「鶴崎・大南」「佐賀関」「佐伯」と盗っていく。
 最初の二つは、あっと言う間だったが、その後は駅間が長く、国盗りの方も都市部から
離れるため、操作する回数が減り、いくらか楽になる。
 そうこうしているうちに、佐伯に到着する。
 佐伯駅のホームには、映画「釣りバカ日誌」のロケがあったことを宣伝する看板が。

C0909a072
(佐伯で釣りバカ日誌が撮影されたそうだ)

 そんな佐伯駅を出ると、延岡までの区間は普通列車の運行本数が極端に少ない。
 これは、宗太郎~市棚間が大分県と宮崎県の県境となるのだが、この区間での普通
列車のニーズがほとんどないのだろう。そうでなければ、この本数にはならないだろう。
 それにしても、特急列車はそれなりに運転しているのだが...
 
 途中、直見、市棚と上り列車の交換を行う。
 その市棚を出たところで、「延岡」を拾う。

 延岡に到着する頃には、陽が暮れて、あたりは真っ暗だった。
 そして乗車してきた特急にちりんは、延岡からは通勤特急と役割を変わる。
 延岡、南延岡、日向市と通勤客を拾いつつ、5割ほど座席が埋まった状態で、宮崎を
目指してさらに南下していく。

 
 そして、大分から3時間。ようやく宮崎に到着。

C0909a073
(乗車したにちりん。宮崎駅にて)

 隣り合わせの件のはずだが、県庁所在地同士は随分遠いんだなと。
 なお、当初の予定では、このまま鹿児島に行く予定だった。
 しかし、大分でタイムロスの影響で、この日の行程は宮崎まで。
 宿は確保できていたので、さっさと宿へ。
 それにしても、駅前は閑かなところだなぁと。

(つづく)

上りパレオを白久で撮影

 11月23日(月)

 上りパレオを撮影するため訪れたのは、白久駅。
 ただし、今度はホーム上から撮影することにした。
 ここからは、前日の隅田川駅のイベントでご一緒した裏辺研究所の管理人氏
合流し、撮影することに。

 少しして、パレオエクスプレスがやってくる。
 が、下り勾配のせいもあり、たいして煙は出ない。

C0911a144
(白久駅に向かってくる、上りのパレオエクスプレス)

 この後の列車では追いつかないようなので、この後やってくる列車を
数本撮影したところで、この日の撮影はお開きになり、帰途についた。
 

★この記事から、下記サイトさんへTBを送信しました。
 TOMOさん
 

三峰口で門デフC58を撮影

 11月23日(月)

 白久での下りパレオの撮影を終え、後続電車で三峰口に到着すると、
けん引してきたC58は、既に客車から切り離され、奥の引上線の方に
停車した状態で展示されていた。

 今回のイベントで、撮影できる時間は短いため、さっそくC58の所へ。
 停車していたのは、イベント会場のホームの脇ということで、全景を
撮影することは出来なかった。

C0911a141
(転車台への引上待ち時間が展示時間となったC58 363)

 今まで、何度となく水上での折返しを撮影しているせいか、イベントにも
かかわらず、展示時間がごく僅かだったのは、なんとも残念にも思えた。
 また、車両に近付け無いようにするための柵なども、随分簡易的なもの
だったりして、はたしてこの状態が展示なのか?という疑問すら感じた。
 これならば、門デフC58については、イベントの目玉としてわざわざ展示と
うたわなくても良かったのでは?とも感じた。


 そして、午前中は日陰となっていた 1000系リバイバルカラー車2本の
三峰口側先頭車を撮影することに。
 留置中とはいえ、パンタグラフが上がったままで、ありがたかった。

C0911a142
(1000系リバイバルカラー車の三峰口方先頭車)

 
 ここまで撮影したところで、上りパレオを撮影するため、再び白久へ。
 三峰口から乗車した羽生行の各停は、東急から来た7000系だった。
 なお、先行する臨時快速も7000系ということで、三峰口発車前に
運良く2本並びが実現した。

C0911a143
(7000系2本並び。羽生行(左)と臨時快速(右)。三峰口駅にて)

(つづく)

★この記事から、下記サイトさんへTBを送信しました。
 Kaz-Tさん
 

白久で門デフC58を撮影する

 11月23日(月)

 秩父鉄道で運転している臨時列車「パレオエクスプレス」のけん引機である
C58 363号機に門デフが取り付けられ、11月~12月の一部の運転日には、
その姿でけん引するとのことで、折角出掛けたのだから記録することに。

 ただ、三峰口から電車を利用して戻る形になるので、あまり熊谷方面には
行くことは出来ないので、お隣の白久駅へ。ただし、有名なポイントは既に
隙間もない状態だったので、少し熊谷方に向かった橋りょう付近で撮影する
ことにした。
 先客の方が数名と、ギリギリで到着したものの、なんとか撮影することが。

C0911a138
(橋りょうを渡るパレオエクスプレス。C58には門デフが)

 このポイントのでの撮影はここまで。

 再び三峰口に戻ることに。
 この時間帯は2本続けて運転されるが、2本目に三峰口で合流予定だった
TOMO氏が乗車していたので、まず1本目を見送った。

C0911a139
(見送った三峰口行は7000系)

 見送ったのが7000系だったが、続いてやって来たの三峰口行は白い1000系
だった。7000系の方が良かったかな?などと思い乗車した。
 車中でTOMO氏と合流し、三峰口に戻った。
 
(もう少しつづく)

1000系 2本並びを撮影する

 11月23日(月)

 影森乗り継ぎで、三峰口に到着する。
 先行する列車で到着していたくましげ氏と合流する。

 そのまま改札を出て、イベント会場に向かってもよかったのだが、乗車してきた
西武4000系の隣の側線に、1000系のリバイバルカラー車が2本並んでいた。
 光線具合を考えると、イベント会場よりホーム上からの撮影が適しているかなと
思ったが、4000系が回送電車として発車しなくては撮影できないので、その時間
を利用して、まず反対側に停車していたスカイブルーの1000系電車を撮影した。

C0911a134
(スカイブルーの1000系電車)

 何年経っても、スカイブルーは似合うなぁと。
 関西では、まだスカイブルーの103系は見ることが出来るものの、関東では
スカイブルーの103系を追い出した209系ですら、既にあと僅かという状況に
なっているんだよなぁなんて考えてしまった。

 
 続いて、後続の各停。
 1000系電車で現在の標準色というべきか、白地に帯を纏った編成。

C0911a135
(三峰口駅で折返しを待つ1000系電車標準色?)
 
 この色も爽やかな塗色ではあるのだが、見慣れてしまうと...
 とはいえ、このカラーで定着したから、引退するまでこのカラーの車両も
残るのだろうか?
 

 そして、4000系の回送が折り返して発車した後、今度はリバイバルカラー編成を
撮影する。

C0911a136
(三峰口駅側線に停車中の1000系リバイバルカラー車)
 
 なお、秩父鉄道では、1000系電車に上の写真のスカイブルー色のように、
旧国鉄時代の塗装を次々と施してきたが、いよいよネタが無くなったのか、
次に施されたのは、800系などに施していた塗色や1000系の登場時の塗色。
 それでも、アクセントは付くのだからいいのだろう。
 それにしても、譲渡を受けたときには、このようなことは考えてはいなかった
のだろうから、ある意味ではいい商売道具になったのかなとも感じる。
 今回は、そんないい商売のネタである 2本が仲良く並ぶ光景が。


 そして、後から来た急行は転線し、駅本屋脇の側線に入線する。
 このあと、イベント来場客の休憩所として活用されていた。
 そんな6000系急行には、秩父夜祭りのヘッドマークが取り付けられていた。

C0911a137
(イベント客用休憩所と化した6000系)

 このあとも、オレンジやウグイスの1000系電車が相次いで到着する。
 ここまで撮影したところで、いったん三峰口を離れることにした。

 
 なお、会場で食べた、秩父鉄道イベント恒例の駅弁は、別の記事で。
 
(つづく) 

★この記事から、下記サイトさんへTBを送信しました。
 くましげさん
 Kaz-Tさん

秩父線で三峰口を目指す

 三連休最終日の23日。
 秩父鉄道のイベントが三峰口で行われるとのことで、出掛けてみることにした。


 当日。
 前日の肌寒い曇天とはうってかわり、雲一つ無い秋晴れだった。
 寄居駅で「ぶらり!秩父・長瀞 おでかけきっぷ」(1000円)を購入する。
 この切符は、寄居~長瀞間は下車できないが、長瀞以西はフリー区間となる
少し変則的なフリー切符だった。窓口では、この他にも、秩父鉄道全線で乗降が
可能なフリー乗車券「秩父路遊々フリーきっぷ」(1400円)というものも売られて
いたのだが、おそらく帰りも寄居で下車するだろうと判断し、前者を購入した。

 そして、早速秩父線ホームへ。
 寄居から乗車したのは影森行。都営三田線から来た5000系3両編成。
 天気がよかったこともあり、ハイキングなどの行楽客で座席はほぼ埋まる。
 まさか、このまま終点まで?とも思ったが、数駅先の長瀞まで。

 長瀞駅というと、荒川の岩畳やライン下りといった、観光地。
 しかも前日の朝、NHKニュースで紅葉が見頃と報じていたなぁと思い出す。
 そんな長瀞駅で、多くの人が下車していった。
 なお、この駅には跨線橋が無く、三峰口方に構内踏切があり、この踏切を
渡らないと、改札口がある上りホームに行けない。そのせいなのか、長瀞で
交換待ちではなかったが、時間調整のように1分ほど停車した。

 その後は、座席も半分程度しか埋まらない状態。
 1本前の列車に乗車していた、くましげ氏によれば、かなり混雑しているとの
ことだった。電車が1本違うだけで、状況が異なっていたようだ。


 そして終点の影森。
 後続列車は西武秩父から直通電車。それに乗り換えることに。
 乗車してきた電車は、一旦三峰口方の本線に引き上げ、構内の側線に転線。
 このあと、上下列車が交換となるので、本線を開けておくためのようだ。

C0911a131
(側線に引き上げた5000系)

 
 そして、10分ほど待ち、後続の三峰口行が到着する。
 やって来たのは、西武線からの直通電車。車両は4000系4両編成。

C0911a132
(影森駅に進入する4000系三峰口行)

 4000系のボックスシートを見てしまうと、秩父鉄道の車両が見劣ってしまう。
 おなじ各停でいいのかな?なんて思ったりもする。

 なお、この日は「パレオエクスプレス」をけん引するC58 363に門デフが
取り付けられたということで、その姿をカメラにおさめようと、沿線は随分と
賑わっていた。
 そんな様子を車窓から確認しつつ、三峰口に向かった。

(つづく)

北千住でTXを撮影

 11月22日(日)

 北千住駅近くの踏切で撮影後、今度はTXのホームへ。
 ここでも少しだけ撮影することにした。

 なお、雨が降り出しそうな天気で少し薄暗かったが、持参したレンズは
あまり明るくないレンズだったので、ISO感度を上げて対応してみたが...

C0911a117
(北千住駅に進入するTX。ISO400、F値は5.6)

 明らかに先頭車の行き先表示がブレてしまっている。
 仕方がないので、さらに感度を上げる。

C0911a118
(北千住駅に進入するTX。ISO1600、F値は5.6)

 さすがにISO1600まで引き上げると、ざらつき感がわかる写真に。
 そして、それでもビシっとした写真には出来なかった。
 流す腕があれば、ちゃんとした写真が撮れるのかなとも思っていた。
 そんななか、今回同行した武蔵野線屋根上日記氏が持参していた、
白いのを借りて撮影させてもらうことが出来た。その白いレンズは、
確かに高いのだが、性能もいいとは知っていた。

 早速、後追いから撮影。

C0911a119
(北千住を後にするTX。ISO400、F値は2.8)

 同じカメラで撮影したのかと言うぐらいの画像に。
 レンズ沼は、はまると抜けられなくなるということは、よく知っているが、
何とか貯金して、買いたいなと思わせる代物だった。
 そして、進入も。

C0911a120
(北千住駅に進入するTX。ISO400、F値は2.8)

 以前、会社の先輩から、レンズの性能一つでも写真の出来が左右すると
聞いていたが、ここまで差が出るんだなと。

 
 この後、都心に出て買い物などをして、帰途についた。
 この日は、ぐずついた天気ではあったが、いつものTOMO氏の他、
裏辺研究所の管理人氏未来色スケッチの管理人氏と、初めてお会い
したのに親切にしていただいて、有意義な一日を過ごすことが出来た。
 同行させてもらい、感謝です。
 
 
★この記事から、下記サイトさんへTBを送信しました。
 TOMOさん

北千住で2459列車などを撮影

 11月22日(日)

 隅田川駅でのイベントを見学後、昼食を摂るためお隣の北千住に移動。


 駅前で昼食。(省略...)

 で、食後。
 北千住駅から上野・浅草方面に向かって最初の踏切で撮影することに。
 TOMO氏などは、間もなくやってくる貨物列車 2459列車(隅田川発北長野行)を
撮影するとのことで、常磐線側に陣取った。そして自分は、あえてJR線ではなく
東武線側に陣取り、同行したT君とともに東武線の電車を撮影することに。

 まず、南栗橋行。34406が先頭。

C0911a114
(北千住駅に進入する東武線。その1)

 
 続いて、久喜行。16601が先頭。
 行き先表示が最近のタイプのようだった。
 というのも、シャッター速度が遅くダメかと思っていたら...
 運良く、前面表示の文字はしっかり識別できる状態だった。

C0911a115
(北千住駅に進入する東武線。その2)

 ただ、文字は綺麗に撮影出来たが、警備員の詰所の庇が写り込む。残念。


 そうこうしているうちに、常磐線側をEF64 1000番台の重連がけん引する
2459列車が通過していく。

C0911a116
(北千住駅に近くの踏切を通過する 2459列車)

 ちなみにこの 2459列車という貨物列車。
 既に様々な方が取り上げてこられ、今回同行したTOMO氏も取り上げているが、
隅田川駅から方向転換することなく、中央線を経由して長野県内に向かうため、
いったん常磐線を走行し、常磐緩行線の馬橋駅付近にある連絡線に入る。
 これで、武蔵野線に入ることができるため、このまま埼玉県の南部を一気に
西に進み、新小平駅を通過した辺りにある連絡線を走行し、中央線の国立駅の
手前に出てくる。
 こうして、この 2459列車は、方向を変えることなく長野県を目指して走っていく。
 
 ここまで撮影したところで、踏切での撮影は終了。
 踏切近くのフジモデルに立ち寄ってから、北千住駅に向かった。

(つづく)

隅田川駅のイベントへ(2)

 11月22日(日)

 JR隅田川駅でのイベント後半戦。
 前半戦は物販やイベントコーナーを見学して回ったが、後半戦はささやかながら
展示されていた車両などを見学して回ることに。


 車両が展示されていたのは、一番南側で屋根と積み卸し用ホームがある線路。
 ホームのせいか、屋根までがあまり高さがないのか、照明は付いていたものの
低く薄暗く感じた。

C0911a108
(積み卸し用のホーム)


 そんな貨物ホームで最初に展示されていたのは、ヨ8000。
 以前は貨物列車といえば、この緩急車(車掌車)が一番後ろを締めていたが、
昭和60年3月のダイヤ改正の際に貨物列車の車掌省略が実施されてからは、
一気にその姿を減らし、今では一部の甲種輸送などに連結されるのみに。

C0911a109
(まず、ヨ8000)


 続いて、先日より運用開始となった、黄緑のコンテナ。
 コンテナ列車が運転開始して50周年を祝う事業として施された。
 黄緑色がなんとも新鮮だった。

C0911a110
(エコレールのロゴが貼られた、黄緑のコンテナ)

 
 そして行列に並び、積み卸しホームから下りて、EH500も撮影する。
 こちらには、コンテナ列車50周年のヘッドマークが取り付けられていた。
 なお、この線路には架線が張られていないので、おそらくDE10あたりに
押し込まれたんだろう。

C0911a111
(EH500。架線がないので、DE10で押し込んだのだろう)

 
 また、折角ホームから下りたので、構内も一枚撮影してみた。
 
C0911a112
(構内を見る)

 一番端の線路ではあったが、先の距離を見ただけでも、結構長いなと。
 もっtも、あれだけ長いコンテナ列車をフルに生かすとなれば、これほどの
広大な敷地が必要なのかもしれないなと、あらためて実感した。
 ただ、上の写真は広大さを表すには、いまいちかもしれないが...

 
 と、隅田川駅でのイベントはここまで。
 流石に見るものが無くなったので、ここで引き上げる。
 その後、南千住駅近くの歩道橋から、構内入換の様子などを撮影し、
南千住を離れた。
 

隅田川駅のイベントへ(1)

 九州旅行のお話はいったんお休み。
~~~~~~~~~~~~~~~
 11月22日(日)

 3連休の中日となった22日、常磐線南千住駅近くのJR貨物隅田川駅で
イベントが開催されるため、出掛けることにした。
 なお、このところ鉄道関係のイベントには縁がなかったため、こういった
イベントは久しぶりだった。


 当日。
 家を出るときは太陽が顔をのぞかせていたのだが、都心に近づくにつれ、
徐々に雲行きが怪しくなってくる。そんな、あいにくの天気だったが上野駅で
TOMO氏裏辺研究所の管理人氏未来色スケッチの管理人氏らと
合流し、常磐線の快速電車で南千住へ。
 このところ、常磐線というと、上野~水戸間を始め、いわき~岩沼間など
国盗りでの利用しかなかったので、それ以外としては、久しぶりの乗車。

C0911a101
(上野から乗車した我孫子行)

 
 上野から3つ目の南千住駅で下車する。
 日比谷線のガードを越え、しばらく歩くと、隅田川駅の仙台方の門に到着。
 すでに会場には、ずらっと行列ができていたが、鉄道部品に入札する人と
野菜詰め放題などの列に分かれていた。
 今回は、鉄道部品は目指していなかったので、野菜詰め放題の列へ。

 10時を少し回ったところで開場する。
 会場までの通路と脇には、いくつかのコンテナが積まれていた。

C0911a102
(積まれたコンテナ♪)

 さらにその奥には、青いワム8も

C0911a103
(青いワム8も)

 ワム80000はコンテナ列車に押され、活躍の場をかなり狭めている。
 コンテナ列車が主流になってきているので、今後は消滅してしまうの
だろうか?
 
 
 会場に入ると、各ブースがコンテナで作られていた。
 特に、50周年を記念して発売されたストラップには随分長い行列が...
 限定ストラップというと人気があるからなぁと納得。

 その他の出店や展示ブースにも、それぞれ人垣や行列ができていて、
あいにくの天気を吹き飛ばすように賑わっていた。

C0911a104
(会場の風景)


 また、会場には冷凍コンテナの内部の極寒体験コーナーや、コンテナの
積み卸しに活躍するトップリフターの運転台への乗車など、家族向けの
イベントも充実し、どのイベントにも行列が出来ていた。

C0911a105
(極寒体験が出来た冷凍コンテナ)

 なお、本来であれば、-25℃という極寒体験をしたかったのだが、
今回は病み上がりだったので流石にパスした。

 
 トップリフター。
 あれだけ大きなコンテナをたやすく持ち上げるのが仕事のためデカい。

C0911a106
(トップリフター)


 そして、昨年(2008年)3月に引退したEF65 535が最終運転に向け、
運転台に取り付けられたヘッドマークが展示されたコーナーもあった。

C0911a107
(展示されていたヘッドマーク)

 ここまで見学したところで、今度は車両展示を見に行くことにした。

(つづく)
 
★この記事から、下記サイトさんへTBを送信しました。
 mattohさん
 

ソニックで別府へ...

  9月10日(木)

 小倉から乗り継いだのは、特急ソニック。
 お昼過ぎの列車なので、意外と空いていた。
 乗車したのは883系7両編成。また振り子...

 乗車したところまではよかったのだが、何となく体調が芳しくないなと。
 乗り心地が良かったのがせめてもの救いだったようだ。
 ただ、体調が悪い割りには、国盗りは盗りこぼすことがなかった。
 今回の旅の目的である、決戦!関ヶ原の「中津城」「立石城」「杵築城」を
しっかりと拾っただけでなく、小倉を発車してから通過してきた「行橋・田川」
「宇佐・中津」「国東」「別府」と、携帯のアラームを活用して、寝過ごすこと
なく、なんとかクリアすることが出来た。

 そして、次の特急にちりんに乗り継ぐため、なんとか別府で下車する。
 少し時間があったので、いったん改札の外へ。
 何とか駅舎は撮影したが...

C0909a065
(別府駅駅舎)

 快晴で夏らしい暑さだったことも影響してか、かなりフラフラしていた。
 数日前の北海道は、肌寒く上着が必要だったというのに。
 いかに、日本という国の南北が長く、寒暖の差があるのか思い知る。
 
 なお、駅前の変な銅像は、ピカピカおじさんこと油屋熊八という人物とのこと。
 この記事を書くに辺り、少しだけ調べてみたところ、1909年に別府で亀の井
ホテルを創業した、別府観光の父とも呼ばれる人だった。

 また、駅前には足湯ならぬ手湯もあった。

C0909a066
(別府駅前の手湯)

 ただ、体調がかなり悪かったので、あまり構っていられる状態ではなかった。 
 
 そして再び改札内へ。
 別府駅で乗り継いだのは、特急にちりん。
 今度は、赤く塗られた485系5両編成。

C0909a067
(赤いにちりん)

 しかし、体調の悪さがピークに。
 このまま乗車しても、大分を出てしまえば、しばらく大きい街はない。
 この先の行程が変わってしまうものの、体調不良では仕方があるまい。
 大分県の県庁所在地である大分駅で下車し、病院へ向かった。
 流石に新型インフルエンザだったら、旅行は中止だなと思ったりしたのだが。
 
 診察の結果、単なる風邪と言うことで、薬をもらい、旅を続けることにした。
 ということで、病院から大分駅に戻った。

C0909a068
(大分駅駅舎)
 
(つづく)

のぞみで西へ

  9月10日(木)

 名古屋から東海道・山陽新幹線を利用して、西を目指すことに。
 乗車したのは、博多行ののぞみ11号。
 東京8時、名古屋10時といい時間帯の列車なので、ある程度の混雑は想定して
いたが、空席は3人掛けの真ん中B席のみと、ずいぶん乗車率がいいようだった。
 やって来たのは、N700系。

C0909a063
(名古屋駅に進入するのぞみ11号は、N700系)

 
 乗車すると、何で指定席の売れ行きがいいのかが一目でわかる。
 乗車した車両に修学旅行の学生が...
 しかも、京都か新大阪で下車するものだろうとタカをくくっていたら、結果的に、
広島まで乗車していた。それならば確かに博多行ののぞみに修学旅行生が乗車
していても不思議ではない。
 結局、広島でその学生が降りるまで、賑やかだったのは言うまでもない。


 ということで、広島を出れば車内は当然のことながら、ガラガラになったので、
N700系のサービスの一つである、窓側席のコンセントを試してみることに。
 ほぼ、山形新幹線のE3系の装備と似通ったものだった。
 これからは、こういう装備を施した車両が増えていくのだろう。
 そんなことを考えているうちに、列車は関門トンネルを抜け九州へ。

(つづく)

鳥羽から折返し名古屋へ

  9月10日(木)

 津から乗車してきて鳥羽駅に降り立つ。
 そして、名古屋に戻るため、ここから乗車したのは、特急・近鉄名古屋行。

 ところで、近鉄特急と言うと、幼い頃に図鑑で見た「ビスタカー」や「スナックカー」で
止まっていたりする。その後も「アーバンライナー」等が登場している。
 ということで期待してホームに向かうと停車していたのは、22000系だった。

C0909a061
(鳥羽駅にて)

 まぁ「当たり」かなと思いつつ、購入した指定席を確認しながら、先頭方向に進んでいく。
 すると、途中で形式が変わり、12200系だった。ちょっとガックリしつつ、車内に入る。
 さすがに登場からずいぶん経っていて、最新の車両に比べると車内設備が見劣りする
ようにも思えたのだが、乗り心地自体は悪くはなかった。
 おそらく、高速運転に備え、線路の手入れがそれなりになされているのだろう。
 ということで、鳥羽を発車すると揺れも無く夜行バス疲れで、何度も船をこいでいた。


 途中、目が覚め気づいた明星。
 検車区の奥の方には、白地に水色の帯を纏った団体専用車が留置されていた。
 留置されている場所のせいもあり、往路は気づかなかったようだ。

 松阪、津、白市(鈴鹿市内)と停車し、乗客が入れ替わっていく。
 近鉄四日市でほぼ席が埋まる。名古屋に9時頃到着するということもあり、時差通勤や
名古屋への用務客にはちょうど利用しやすい時間帯なのかもしれないなと...

 関西本線の線路とは近いところを走ったりして、並走線区なんだなぁと感じる。
 そして、何度か長い橋りょうを越え、徐々に住宅が多くなってくると、間もなく名古屋駅。
 JR東海の名古屋車両区や近鉄の引上線(富吉検車区米野車庫)の脇を抜けていく。

 やがて、地下線に入っていき名古屋に到着する。
 なんとなく体調が優れないが、次の列車に乗り継ぐため、ゆっくり下車した。

C0909a062
(乗車した12200系。名古屋駅到着後)


 次は、名古屋から西を目指すことに。
 
(つづく)

関ヶ原最終章 まずは津から

  9月10日(木)

 乗客のお喋りと、「飯田城」拾いのため、あまり寝付けなかった「大宮鳥羽線」の
夜行バスで下車したのは、三重県の県庁所在地である津駅。まだ6時前。
 今回、ここを訪れたのは、ケータイ国盗り合戦の「決戦!関ヶ原」で「安濃津城」と
「鳥羽城」を拾うためだった。なぜか伊勢方面で2つ取りこぼしがあったため、西へと
向かう前に立ち寄ることにしていた。

C0909a054
(津駅まで乗車してきた夜行バス「大宮鳥羽線」)

 下車したところで、81城目となる「安濃津(あのつ)城」を拾う。
 幸先がいいような気もしたが、とてつもなく眠い。
 よくよく考えると、「はまなす」での寝不足を未だに引きずっていた。

 ただ、ここで留まるわけにはいかないので、津駅へ。

C0909a055
(津駅の駅舎)

 JR側の改札だったが、近鉄の券売機や窓口も設置されていて、なんとなくJRが
間借りしているような駅という感じだった。

C0909a058
(JR側の改札だったが、近鉄の窓口が)

 今回、鳥羽まで向かうのは近鉄線。
 訪れた時間帯は、JR東海側(紀勢本線~参宮線)の列車が少ない時間だったため、
必然的に近鉄利用という選択になっていた。

 跨線橋を渡り近鉄線側に渡ると、反転フラップ式の案内標が設置されていた。
 このところ、どのような行先・種別に対応できるよう、LED化されているところが多く
なってきている。こうやって見られる所も徐々に減っていくのだろうか?

C0909a059
(津駅近鉄線の反転フラップ式案内標)

 
 そんな津駅から乗車したのは、伊勢中川行。

C0909a056
(伊勢中川行)

 そういえば、近鉄線は今まで全く縁がなかったなぁなんて思ったりした。
 この後、鳥羽まで向かってから名古屋に戻るまで乗車し続けることになるが、
近鉄電車を本格的に利用するのも当然ながら初めてだった。
 (7月に王寺~信貴山下で利用したことはあったが...)


 大阪方面のデルタ線をやり過ごし、伊勢中川に到着する。
 今度は賢島行に乗り換えて、鳥羽を目指す。

C0909a057
(伊勢中川で乗り継いだ賢島行)

 途中の明星では、検車区が併設されており、特急編成が出番を待っていた。
 また、宇治山田までは通勤・通学客の姿があったが、それ先はガラガラだった。


 池の浦駅に到着したところで82城目となる「鳥羽城」を拾う。
 これで、九州と沖縄を残すところまでやっつけたことに。
 今回の鳥羽までの用事はこれで終了。
 なお、池ノ浦~鳥羽間では、海沿いを走るところがあったが、晴天だったので
青い海がきれいだった。そういえば、はじめて参宮線に出掛けたのは、その年の
夏の青春18きっぷの広告が、ちょうどこの辺りの風景を題材にしたものだった。
 それ以来、今回が3度目となる。


 お隣の鳥羽で下車。
 今回、近鉄戦で往復することもあり、初めて近鉄側の駅舎を撮影した。

C0909a060
(鳥羽駅・近鉄側の駅舎)

 そして、名古屋を目指す。

(つづく)

◆関連記事
 2007年10月に訪れた鳥羽(伊勢うどんのついで)
 2009年3月に訪れた鳥羽(国盗り合戦のため)

名も無きバスで西を目指す

 再び、9月の旅の話を。
~~~~~~~~~~~~~~
  9月 9日(水)

 ケータイ国盗り合戦「決戦!関ヶ原」で北海道から帰ってきた2日後。
 今度は、西を目指して大宮から夜行バスに乗車することにした。


 当日。仕事を終え、身支度を整え大宮駅へ。
 バス乗り場に向かうと、大阪行、大津行のバスが続けて先行していく。

 まず大阪行。
 おなじみのレオマークが描かれた西武バスが担当していた。

C0909a051
(大阪行は西武バスが担当)

 
 続いて、大津行。
 京都まであと少しながら、足を伸ばさない辺りは、中途半端な気もしたが...
 こちらは、青とピンクの帯を纏った西日本ジェイアールバスが担当。

C0909a052
(大津行は西日本ジェイアールバスが担当)


 そして、今回乗車するのは鳥羽線。
 愛称名は特に設定されていないようだった。
 通常であればたいていの夜行高速バスには、何らかの愛称がつけられて
いるのだが、西武バスが運行している路線は、特に愛称はつけてはいない
ようだった。
 そして、この路線は大宮市内の車庫を起点とし、大宮駅、サンシャイン60、
池袋駅と停車した後、新宿から中央道を経由して、松阪や鳥羽を結ぶ路線。
 ちなみに、名古屋や京都、大阪を結ぶ路線は多数あるのだが、名古屋から
少し外れた桑名、津、松阪、伊勢市、鳥羽と、あまり利用客が見込めない
ようで、以前乗車した「ほの国号」の終点・三河田原と同様に夜行バスには
恵まれていないのが現状のようだ。
 それにしても、津は三重県の県庁所在地のはずなのだが...


 大津行きが発車していって数分後、やって来たのは共同運行をしている
三交伊勢志摩交通のバス。
 三交伊勢志摩交通?と思い、少し調べてみたところ、三重交通のグループ企業で
伊勢地区で路線バスを営業するとともに、この夜行バス「大宮鳥羽線」を担当して
いるとのことだった。
 ちなみに、大宮から紀伊勝浦を結ぶ路線については、同じ三重交通のグループ
企業である三交南紀交通が担当しているとのことだった。
                      (どちらも西武バスと共同運行になっている。)
 なお、三重交通自体は近鉄グループに属する企業とのこと。
 いったい何層構造?


 早速乗車するが、大宮駅を発車した時点での乗客はわずか2名。
 ということで、停車時間は僅かだったので、バスを撮影する間もなく発車する。
 ほとんどの乗客は、池袋駅からの乗車だった。
 というのも、次の停留所だったサンシャイン60では、ここまでの首都高がスムーズに
流れていたせいか、10分ほど停車したが乗車する人はいなかった。
 確か予約した時の残数は一桁だったような...

 池袋発車時点で15名ほどの乗客を乗せ、初台へ。
 初台から中央道経由で向かうとのこと。

 さて、一眠りしたら、どこまでつれて行かれるのだろう?
 そういえば、今回旅立ったのは水曜日の晩。
 水曜日の晩といえば、あの伝説の深夜番組が放送されていた曜日。
 そして、その番組の名物企画「サイコロの旅」では、出演者が毎回?夜行バスに
やられっ放しだったような。今回はそれと同じ憂き目にあいそうな気配が...

 
 このあと、乗務員交代のため、双葉SA(山梨県)、恵那峡SA(岐阜県)と停車し、
ひたすら西を目指した。

(つづく)

めがね橋からの帰り道

 11月15日(日)

 駅からハイキングも後半戦。
 今度は、めがね橋から横川駅へ。
 ずっと下り坂で、加速しすぎないように注意しつつ、下っていく。

 峠の湯の少し手前の遊歩道脇に、「力餅」の立て看板が。

C0911a048
(力餅の立て看板)

 これは、国道18号線の旧道沿いにある玉屋ドライブインの看板だった。
 今まで何度か車で通過していたが、今回は寄ってみることにした。 

 土手を駆け上がると、玉屋の前に出る。
 店の前の看板には、創業200年の文字が。
 それだけ歴史がある店のようだ。

C0911a049
(玉屋ドライブイン)

 看板が出ていたとおり力餅が売られていたので、お土産にと購入した。

C0911a050
(玉屋の力餅)

 看板は「力餅」だったが、包み紙は「碓氷貞光の力もち」と。
 包み紙の説明によると、当初は熊ノ平駅で力餅で駅売りをしていたが、
駅が廃止になり、現在の坂本に移り販売しているとのこと。


 再び遊歩道へ。
 ひたすら下っていく。


 めがね橋から約1時間で、横川駅に到着する。
 そして、駅前で売られていた峠の釜めしを頬張ったところで、この日の
ハイキングは終了。予定外の10Kmのハイキングは、日頃の運動不足
解消に繋がったのかな?と考えつつ、横川駅を後にした。

C0911a051
(峠の釜めし)
 

秋のめがね橋(碓氷第三橋梁)

 11月15日(日)

 横川駅からの駅からハイキングで目指すのは、信越本線の廃線跡にあるめがね橋。
 めがね橋というと、2008年11月に車で訪れて以来となる。
 そして、前の記事に書いたとおり、日帰り温泉「峠の湯」まで2.7Km歩いていた。

 
 当日。
 峠の湯からめがね橋まで残りは2.1Km。
 ここで、粘着運転(EF63)時代の廃線跡と別れていく。
 そして、ここからトンネルも登場する。

C0911a041
(第1号トンネル)

 さらにもう一つトンネル(第2号トンネル)を抜けると、碓氷湖を下に見下ろす地点へ。
 この碓氷湖は、霧積川に設置された坂本ダムの人造湖。
 その畔に、駐車場などが設けられ、ハイキングの途中などに立ち寄ることが出来るよう
東屋なども設けられていた。そしてこの日は、湖の畔には、駅からハイキング参加者や
観光バスで訪れた観光客の姿が見られた。

C0911a042
(遊歩道から碓氷湖を見る)

 ここで一息ついても良かったのだが、めがね橋まであと1Km。
 もう少しなのだからと、気を抜かずさらに登っていくことに。


 めがね橋への途中。
 見上げると、国道18号の旧道を一台のバスが登っていく。
 よく見れば、JRバス関東の臨時バスだった。

C0911a043
(旧道を行く軽井沢行の臨時バス)

 このバスは。訪れた15日まで臨時運転していた旧道経由の軽井沢行。 
 JR版の時刻表の信越線の頁だと、横川と軽井沢の時刻しか掲載されていないが、
JRバス関東のHPによれば、この他にも途中に、坂本宿、くつろぎの郷、
めがね橋、熊ノ平にも停車しているようだ。
 このルートを運転するのは、毎年一部の期間のみ。そのルートを好んで乗車している
人がいるのか、上の写真ではわかりにくいが、乗客は意外と多いように見えた。


 さらに2つトンネルを抜け、第5号トンネルへ。
 このトンネルは243mと少し長く、トンネル内は少し左にカーブしている。
 そしてトンネルを抜けると、視界がパッと開ける。
 横川駅から1時間15分ほどで目的地のめがね橋に到着する。

C0911a044
(めがね橋に到着)

 ここも駅からハイキング参加者や観光バスなどで訪れた観光客で賑わっていた。
 しかも、葉っぱが落ち始めていたが、紅葉がまだ見ごろといった感じだった。

 また、めがね橋よりさらに高いところに、粘着時代に利用されていたアーチ橋が。

C0911a045
(めがね橋からアーチ橋を眺める)

 なお、横川駅からの遊歩道はここまで。
 めがね橋の先にある、第6号トンネルは立ち入り禁止になっていた。
 ただ、この先には熊ノ平信号場跡もあるので、その辺りまでを遊歩道として、
整備してくれれば、さらにハイキングが楽しめるのかなと感じた。
 もっとも、めがね橋までの遊歩道の区間でもトンネルがあったが、安全に歩いたり
出来るように、照明や路盤が整備されていることを考えると、距離があったりして、
なかなか整備が進まないのが現状なのかもしれない。

 
 そして、国道18号線の旧道まで下りてみて、見上げるように撮影する。

C0911a046
(めがね橋を見上げてみる)

 このめがね橋は、正式名称は「碓氷第三橋梁」とのこと。
 国道18号の旧道からめがね橋に向かう途中に説明板が設置されている。
 めがね橋を含む横川~軽井沢間の開業は明治26年(1893年)とのこと。
 しかも、200万個のレンガが積み上げられているそうだ。
 100年以上も前にこのような建造物が造られ、今も残っているのはすごいこと。
 また、谷を抜けるために掛けられたレンガ積みの橋梁の高さにも驚かされる。
 山陰本線に掛かる余部橋梁のトレッスル橋などもそうだが、いかにして鉄道を
敷設していくか検討した結果、当時の工法・技法としてもっとも適していたのだろう。
 この橋は、平成5年に国指定の重要文化財として指定されている。
 これからも碓氷峠の鉄道遺産の一つとして、多くの観光客が訪れることだろう。
 そんなことを考えつつ、めがね橋を後にした。


◆関連記事
 2008年11月のめがね橋
 

駅からハイキングに参加する

 11月15日(日)

 安中駅近くから車を走らせ、向かった先は横川駅。
 信越線方面に出掛けたので、横川駅にある碓氷峠鉄道文化むらにでも
行ってみようかなと考え、国道を西に進んだ。

 横川駅に到着すると、この日開催されていた駅からハイキングの受付が
あったので近づいてみると、まだ受付をやっているとのことだった。

C0911a034
(駅からハイキングの受付)

 せっかくなので、飛び入りで参加させてもらうことに。
 ただ、参加するとは言っても、誰かに引率されてハイキングするのではなく、
参加者が各々マイペースで目的地を目指すイベントだった。

 なお、今回の目的地は、横川~軽井沢間の旧線跡のめがね橋。
 実は昨年の秋、めがね橋には車で訪れていたのだが、廃線跡については
ほとんど歩いたことが無く、一度は訪れてみたいと考えていた。
 ということなので、他の参加者にまじって、めがね橋を目指すことにした。

 
 まず、碓氷峠鉄道文化むらの脇を進む。
 敷地内に展示車両とは別に数両、車両が置かれているが、それを撮影。

C0911a035
(展示車両とは別に留置されている)

 留置されている車両の線路は、観光トロッコが運転されている旧信越線の
線路へと接続されていたので、おそらくEF63については、体験運転用の車両
なのだろう。確かに公式HPによれば、体験運転では単機の他に重連での
運転も体験することができるとのことだった。
 ただし、189系側はレールが繋がっていないように見えた。

 国道18号が左側に進んでいくのに対して、こちらは右側へ。
 やがて、頭上を上信越道の高架橋がかすめていく。
 この高架橋が出来てから、碓氷峠の撮影ポイントが悪くなったとの評価が
何度となく聞かれたのを、今更ながら思い出してしまった。


 丸山変電所跡。
 長野新幹線が開業する以前、撮影のためこの付近を訪れた際、この建物は
屋根が朽ち果て窓ガラスも割れていて、見るに見かねる状態だった。
 しかし、平成6年に重要文化財に指定されたこともあり、保護を目的とした
修復が行われたようだった。(→安中市役所HP

C0911a036
(修復整備された丸山変電所跡)

 丸山変電所は、アプト時代に使用されていたもの。
 横川火力発電所で発電した交流電源(6000V)を、ここで650Vの直流電源に
変換してとのこと。粘着運転(EF63けん引)に移行後は利用されていなかった
ようだ。しかしながらそのまま放置されていて、先述したとおり朽ち果てていた。
 それが、ここまで修復されたことにより、今後も碓氷峠の鉄道遺産として
残されていくのだろう。


 そして、その脇の線路に、鉄道文化むらのアトラクションとして、この先の
日帰り温泉「峠の湯」まで運転されているトロッコ列車がある。
 その列車の中間駅がここに設置されていて、タイミング良く列車がやってくる。

C0911a037
(駅に停車中のトロッコ列車)

 ここで利用されている機関車DB201は、この区間がまだ生きていた頃、
この区間の保守作業用として製造された、TMC-500Aという少し特殊な
車両をを利用している。そして、急勾配区間で運転できるよう、下り勾配で
速度を抑える装置も取り付けられているとのこと。


 丸山変電所跡での撮影を終え、再び歩き出す。
 ここから少し左にカーブを切り、勾配が急になる。
 この辺りは、碓氷峠が廃止となる直前に、一度だけ撮影に来たことがあった。

C0911a038
(峠を下ってくるあさま号)

 上の写真によれば、48‰の勾配標が。
 100m進むと、4.8m標高が上がる計算だ。
 確かに登っていくには少しきつい。

C0911a039
(坂道の途中から下を見る)
 

 急勾配を登りきったところに「峠の湯」。
 横川駅から2.7Km。少し早歩きで歩いてきて約50分。
 まだ先は長い...

(つづく)

15日の撮影 快速碓氷号

 11月15日(日)

 前日の雨が嘘のように晴れ渡った15日、横川駅で行われる駅からハイキングに
向かう参加者向けに運転した臨時列車「快速碓氷号」の撮影に出掛けた。

 快速碓氷号は上野~横川間で運転するため、高崎線内もしくは信越線内で
撮影することとなるが、高崎線内では先頭車がほぼ北に向かっているため、
光線状態を考え、信越線内で撮影することにした。

 当初、安中駅に進入するところを撮影しようと考え、現地に向かってみたが、
前回(2009年5月)、DL横川号を撮影したときに比べ、運転時間帯が早いため、
光線状態が異なり撮影しにくそうに感じた。ということで、今回は群馬八幡~
安中間の碓氷川を渡る橋りょう付近で撮影することにした。

 現地に到着し、先客の間に入れてもらう。
 1月のEF55関係の臨時列車の運転の時は、このポイントを訪れた人が結構
多かったようだが、今回は電車の臨時列車と言うことで、比較的空いている
ようにも感じた。


 まず、先行する横川行。

C0911a031
(碓氷川を渡る107系横川行)


 そして、快速碓氷号。

C0911a032
(碓氷川を渡る183系快速碓氷号)

 今回は、OM103編成が充当されていた。
 このところ、OM102編成の列車によく当たっていたので、何となくホッとした。

 快速碓氷号の後は、次の列車まで間隔が開くため、撮影はここまで。
 せっかくなので、少しドライブすることにした。
  

走れ!エアポート

  9月 7日(月)

 銭函から乗車した区間快速は、手稲でエアポートの待ち合わせがあるはずだった。
 しかし、大雨を理由に運休となり、札幌まで行くようアナウンスが入る。
 そんな札幌に到着したものの...
 20分前に発車するはずのエアポートがまだホームに停車していた。
 まだ発車しないだろうと思い、少しコンコースなどをブラブラし、列車に向かった。
 15分に1本の間隔で運転している列車が、1時間近く止まっているため、
車内には立ち客も多く見られた。

 
 当初は13時55分発の列車(快速エアポート136号)だったものが、
最終的には14時55分発の列車(快速エアポート146号)に変更して運転再開するとの
アナウンスが流れる。ただし、実際に札幌を発車したのは、さらに20分ほど掛かる。
 飛行機の出発時刻は16時40分。そろそろ危ない時間帯に。
 
 ようやく札幌を発車。
 先行列車がいないせいか、しばらくはいい走りっぷりだったが、途中からなんとなく
ゆっくりになり、千歳駅では南千歳の平面交差が理由なのか、少し停車していた。
 
 結局、新千歳には16時06分に到着
 階段を早歩きで上がり、航空会社のカウンターには30分前に到着。
 なんとかチケットを受け取り、無事に搭乗することが出来た。

 搭乗した飛行機は17時ごろ離陸し、北海道の上空は荒れていた。
 それでも、本州上空に来ると安定していた。
 北海道の空が嘘だったかのように...

 羽田には18時10分ごろ着陸。
 このまま、何事もなかったかのように、帰途についた。
 
 なぜか札幌で1時間以上あったが、列車を撮影したものは何もなかった。

銭函駅

  9月 7日(月)

 小樽から新千歳への帰り道。
 まだ時間があったので、いしかりライナーに乗車し寄り道することに。

C0909a041
(乗車した区間快速いしかりライナー)

 目指すのは、名駅舎として名高い銭函駅。
 列車からは駅舎正面を見ることが出来ないため、向かうことにした。

 
 銭函駅。
 早速改札を出て、駅舎を眺めてみる。
 なんともこじんまりまとまった駅と言った印象だった。

C0909a042
(銭函駅駅舎)

 
 ホームの屋根には、銭函が吊されていた。

C0909a043
(屋根から銭函)

 そして、何故かこの箱の下に、銭函の駅名の由来が書かれていた。

C0909a044
(何故か箱の下)

 もう少し見やすいところに書いてくれればいいのになぁと感じた...


 ホームで列車を待っていると、ほしみ止まりの列車が折り返しのため、
銭函駅のホームがない中線へやってくる。ほしみ駅は停留場形式の駅で
折り返し設備が無いため、折り返し設備がある銭函駅まで回送される。

C0909a045
(銭函で折り返す回送列車。)

 
 銭函から乗車したのは、札幌~江別間が快速運転となる区間快速
いしかりライナー。車両は731系3両編成。

C0909a046
(銭函から乗車したいしかりライナー)

 この列車は、札幌から岩見沢まで乗車してきた編成だった。
 江別で追い越したため、2度目の乗車となった。

 そんな区間快速だったが、札幌までは各駅停車。
 手稲で後続の快速エアポートの待ち合わせを行うはずだった。
 しかし、小樽を出て以来銭函での滞在中を含め、エアポート編成とは全く
すれ違っていない。ということで、エアポートの待ち合わせが無いまま、
時間通りに手稲駅を発車する。

 と、なんとなくきな臭くなってきたものの、このまま札幌駅へ。
 それにしても、銭函駅での滞在時間は12分と短かったが、こういう機会に
訪れることが出来てよかった。

(つづく)

小樽駅へ

  9月 7日(月)

 札幌から乗車したのは、快速エアポート115号小樽行。
 車両は721系6両編成。

 着実に国を盗りつつ小樽を目指す。
 まず、琴似駅付近で「琴似」を盗る。
 続いて稲積公園駅付近で「手稲」を盗る。
 これで500国。残りは100+1国。9ヶ月弱で随分盗ってきたんだなと。

 そして、手稲駅を出たところにある札幌運転所では、苫小牧まで乗車してきた
急行はまなすが留置されているのを見ることができた。

 銭函駅に到着するところで「小樽・ニセコ」を盗る。
 それにしても、小樽とニセコがセットとは、随分いいサービスのような...
 名駅舎と言われる銭函駅を発車し、石狩湾沿いをさらに西へ。
 この辺りには廃駅となった張碓駅があったが、ホームなどは撤去されてしまった
ようで、その痕跡を見つけることはできなかった。


 そして、終点の小樽。
 到着直前、駅の手前で停車する。
 車内アナウンスで、この列車が到着するホームから発車する新千歳空港行の
快速エアポートが、千歳線内の大雨の影響で運転を見合わせているとのこと。
 そういえば、これから新千歳に行って、飛行機で帰るんだったなぁと。
 なんてことを考えているうちに動きだし、7分遅れて小樽駅は2番線に到着する。

 まずは、駅舎の撮影から。

C0909a037
(小樽駅駅舎)

 確かに駅舎前の道路は、雨が降った後のように濡れていた。


 駅内に戻ると、案内放送で長都~美々間が大雨で運転を見合わせと流れていた。
 ただ、乗車してきたエアポートは、このまま運転するとのこと。

C0909a039
(折返して新千歳空港行に)

 そして、先述したとおり、帰りは新千歳から飛行機。
 たどり着けなければ帰れないが、まだ時間はあるし、焦っても仕方がないなと。
 確かに、この日の午前、苫小牧から札幌を目指す際、千歳付近では雨が降って
いたが、運転を見合わせるほど激しい雨ではなかったように感じたのだが...

C0909a038
(小樽駅構内にはキハ40が留置されていた)

 ということで、快速エアポートを見送り、寄り道をして新千歳に向かうことにした。

(つづく)

スーパー宗谷で札幌へ

  9月 7日(月)

 岩見沢に到着し、散水車を撮影後、いったん改札を出る。
 今回は青春18きっぷの残りを利用して旅行していたが、帰りは札幌まで
特急列車を利用するため、改札口脇の券売機で特急券を購入する。

  
 ホーム戻ると、昨年も撮影したばんえい競馬の馬をかたどった「ばんばの像」が。
 昨年は、ピントが合わないEOS40Dで苦労していた。
 そんなことを思い出しつつ、昨年と同様に撮影した。

C0909a034
(岩見沢駅3・4番線の「ばんばの像」)

 
 そして、岩見沢から乗車したのは、特急スーパー宗谷2号。


C0909a035
(岩見沢駅に進入するスーパー宗谷2号)

 車両はキハ261系4両編成。
 自由席はすでに満席だったが、指定席は空きがあったので、一区間では
あったが差額を支払い、着席する。
 それにしても、JR北海道の特急列車は、新車への置き換えがかなり進み、
今では半分以上の列車が「スーパー」を名乗っているような感じ。なんとなく
「スーパー」という冠にありがたみが無くなりつつあるが、その速達性などを
考えれば、まだ冠を付けていてもいいのかなとも。

 途中の江別で、先行していた小樽行普通列車を追い越す。

 
 そして、再び札幌へ。

C0909a036
(札幌に到着したスーパー宗谷2号)

 帰りの飛行機まであと4時間。もう少し乗り歩けそうだ。
 今度は西を目指す。
 
(つづく)

◆関連記事
 2008年9月の追分→岩見沢間乗車記/岩見沢駅舎を撮影
 2008年9月の岩見沢駅での撮影

岩見沢へ。散水車を撮影

  9月 7日(月)

 札幌から乗り継いだのは、区間快速のいしかりライナー。

C0909a030
(札幌から乗車した「いしかりライナー」)

 列車は731系3両編成。
 札幌~江別間が快速運転となる。
 札幌発車すると、ほぼ同発となった快速エアポート104号と並走する。
 しかしこちらは、白石に停車するため、あっと言う間に追い越されていった。

 
 野幌駅付近では、高架化工事が行われていた。
 そういえば昨年通過したときもなにやら工事をしていたような記憶が。
 しかし完成には、まだしばらく時間が掛かりそうな感じだった。

 江別からは各駅に停車する。
 豊幌~幌向間で「夕張・美唄」を盗る。
 そして、上幌向を発車すると、左手から沼ノ端で分かれてきた室蘭本線の
線路が近づき、操車場跡をかすめていく。ここが使われていた頃は、さぞかし
多くの車両が行き交っていたんだろうなということを想像しつつ、岩見沢へ。
 
 
 到着したのは、運転所に一番近いホーム。
 隣の線路に、なにやら怪しい貨車が停車していた。乗車してきた列車の
折返し列車(小樽行)の発車を待ち、撮影してみることに。
 何だろう?とよく見ると、レール運搬用のチキに挟まれた、レール散水用の
タンク車・タキ42861だった。そういえば、数年前の酷暑の際、それまでは
あり得なかった、北海道内でのレールの異常な伸びを冷やして元に戻すのに、
散水車がデビューしたという記事が出ていたのを思い出した。

C0909a031
(レール散水用のタンク車・タキ)

 今年の夏は何回出番があったのだろう?と考えつつシャッターを切っていた。


 そして、散水車の撮影と前後して、札幌行の特急オホーツク2号を撮影する。
 車両はキハ183。他の系統には新車が投入され続けるが、この列車だけは、
新型車両が導入されない。それほど新車の投入順位が低いということかなと
思いつつカメラを構えた。

C0909a032
(岩見沢駅に進入する特急オホーツク2号)

 さらに後追いも。

C0909a033
(岩見沢駅を後にする、特急オホーツク2号)
 
 後よりは、キハ183-100だった。
 そして、撮影をいったん切り上げる。
 このあと列車の間隔が開くため、改札口に向かった。

(つづく)

苫小牧から札幌へ

  9月 7日(月)

 静内に向かい、無事に「シベチャリチャシ」を拾い終え、目的は終了。
 しかも、1本早い列車で苫小牧まで戻ってくることができた。
 そして帰りは、飛行機で羽田に向かうため、それまでの時間を利用して、
国盗り合戦としては未踏の地である、札幌周辺を乗り歩くことに。
 
 最初に乗車したのは、札幌行の普通列車。

C0909a027
(苫小牧から乗車した721系普通列車。千歳駅にて)

 普通列車と謳っているが、植苗、美々は通過する列車だった。
 植苗は、前後1時間の列車が停車している。しかし、美々については、
後続の列車は停車するが、先行列車は2本前まで通過と、余程利用客が
いないのかなと。
 新千歳空港からの線路が合流する南千歳で「千歳・北広島」を盗る。
  

 千歳。
 後続の特急「スーパー北斗1号」と快速エアポートの待ち合わせ。
 雨が降り出していたが、なんとか撮影した。

 まず、スーパー北斗1号から。
 こちらは1時過ぎに函館を発車し、「はまなす」~日高本線と乗車して、
静内まで一往復してきたが、スーパー北斗1号の函館の発車は7時。
 いかに、スーパー北斗が速いかがわかる。

C0909a028
(千歳駅に進入するスーパー北斗1号)

 あっと言う間に駆け抜けていった。

 
 続いて、快速エアポート97号。

C0909a029
(千歳駅から乗車した快速エアポート97号)

 ここで、快速エアポート97号に乗り換える。
 千歳発車時点ではガラガラだった。
 気がつけば新札幌。ウトウトしていたが、携帯を操作し「白石」を盗る。
 ガラガラだった車内は、新札幌発車時点で座席はすべて埋まる。
 札幌に用務で出かけるのにちょうどいい列車のようだった。

 白石付近で函館本線と合流する。
 苗穂付近から「丘珠」「札幌」「篠路」と続けて盗ったところで札幌に到着。
 1年ぶりに札幌へ。
 昨年も今年(2009年)と同じ9月7日に札幌に訪れていた。
 まさか同じ日付に訪れることになるとは...
 
(つづく)

◆関連記事
 2008年9月7日の富良野~札幌間の乗車記

日高本線で静内へ

  9月 7日(日)

 ケータイ国盗り合戦の「決戦!関ヶ原」は、南東北の3箇所を拾ったことにより、
残りは、中部地方の3箇所と北海道、九州、沖縄となった。
 ということで、仙台まで来てそのまま引き返すのはもったいない?と考え、
前の記事の通り、急行はまなす号を利用して、苫小牧までやってきた。

 
 苫小牧から乗車したのは、日高本線の静内行・下り初列車。
 車両はキハ40日高線色3両編成。

C0909a022
(苫小牧から乗車した、静内行)

 ただし、3両目の車両は、回送扱いとして鵡川で切り離される。
 そのため、幌は繋がれていなかった。これは、芸備線の下深川に似ている。
 送り込みのための回送列車を仕立てることなく、編成分割により折り返す
列車を運転することで、列車本数を抑えているのだろう。
 ただ、先述の下深川の場合、広島発時点では6両、下深川以遠は2両と、
折り返していく列車の方が主体だったりしたが...

 
 苫小牧を発車し、JR貨物の苫小牧駅を発車したところで、室蘭本線と別れる。
 この辺りは、1960年代に行われた、苫小牧付近での工業地帯の開発である
苫小牧東部開発計画開発により、海岸沿いを走っていた線路を、室蘭本線側に
移設された線路とのこと。

 室蘭本線と別れて、遠くにある工場地帯を見つつ勇払へ。
 勇払から先は、徐々に太平洋沿いに近づいていく。
 

 鵡川。
 ここで、苫小牧から乗車していた学生がすべて下車。
 そして、後ろの1両が切り離され、苫小牧行に。
 その分割作業で6分停車する。
 停車時間を利用して編成を撮影。

C0909a023
(鵡川駅に停車中の静内行)

 そして、静内行の前2両が少し移動し、分割作業が終了する。

C0909a024
(分割作業は無事終了)

 
 富川から徐々に学生の姿が。
 汐見~富川間が勇払郡と日高郡の境界となるせいでか、往復ともに学生客・
一般客ともに、旅客流動がこの区間を境にして分かれているように感じた。

 ところで、日高本線で静内を目指したこの日は、ケータイ国盗り合戦のサイトが
メンテナンスのため、1時~7時はアクセス不可になっていたのだが、少し時間が
延びていて、気がつけば節婦駅を発車するところだった。
 あと2駅で静内というのに...

 節婦駅のお隣、新冠駅に到着したところで、メンテナンスが終了したようで、
サイトに接続することができ、まず「日高」盗りに成功。
 そして、新冠~静内間で79城目となる「シベチャリチャシ」も拾うことができた。
 これで北海道内の2箇所を拾い終えたことになる。
 残りは、中部、九州、沖縄で21。ある程度先が見えた気が...

 なお、当初の予定では、静内で2時間待ち折り返す予定だった。
 しかし、この区間及びこの先の終点・様似まで、前年のほぼ同じ時期に、
天候がいい状態で乗車していたので、無理に静内に滞在する必要も無かった。

 静内ですぐ苫小牧行に乗り換えた。
 そして、このまま苫小牧へ向かった。

C0909a025
(静内から乗車した苫小牧行)
 
(つづく)

◆関連記事
 2008年3月の下深川の分割作業
 2009年3月の下深川の分割作業
 2008年9月の日高本線乗車記
 

急行はまなすで北海道へ

  9月 6日(日)

 青森から乗車したのは、急行はまなす。
 前回(7月)、青森を訪れた際、函館から戻った時に撮影はしていた。
 しかし、乗車することになるとは...

 
 当日。
 青森駅の入線時刻は22時12分。
 ED79が車両基地からけん引してくるものだと思っていた。
 しかし、実際はDE10を先頭に入線してきた。
 確かに、入換の手間を考慮し、別の機関車がけん引してくることがある。
 今回はそのパターンだった。
 仕方がないので、ED79側から撮影することに。

C0909a015
(青森からのけん引機はED79 10)

 そして、乗車したのはドリームカー。
 カーペット車の指定が取れなかったため、やむなく座席車という選択に。
 車体のドア脇には、ロゴが表示されていた。

C0909a016
(ドア脇の号車札とロゴ)

 座席は、別の車両(グリーン車?)で利用していたものを移設したものだった。
 座ってみると、クッションが減っているのか、座り心地があまりよくなかった。
 果たして、この椅子で寝ていけるのだろうか?と少し不安になる。

C0909a017
(クッションが減ったドリームカーの椅子)

 なお、座席は2列シート。窓側の指定を押さえていた。
 9月に入って最初の日曜日の夜ということで、夏休みは既に終わっていたし、
それほどは混まないだろうし、隣も来ないだろうと思っていた。
 ところが蓋を開けてみると、アジア系の中年のご婦人が。
 所持していた切符は、訪日観光客向けの「ジャパンレールパス」だった。
 気がつけば、そのご一行がやってきたことで、座席はほぼ埋まっていた。
 それにしても最近の訪日観光客は、「はまなす」を利用して移動するんだなと
変なカルチャーショックを受けてしまった。
 そんなこともあり、先述したとおりカーペット車を始め、自由席・指定席ともに、
ほぼすべての座席が埋まっていた。

 なお、隣のカーペット車は、座席を取り払いカーペットを敷いた車両ということで、
寝ることが目的の車両なので、窓の配置が通常の14系座席車とは異なっている。

C0909a018
(窓配置が特徴的なカーペット車「のびのびカーペット」)


 発車を待っていると、函館から来る最終の特急「スーパー白鳥44号」が滑り
込んでくる。前回(7月)は函館で花火を見た後、この列車で青森に戻った。

C0909a019
(青森駅に到着した「スーパー白鳥44号」)

 ちなみにこの編成は、以前も記事にしたとおり、翌日の八戸行の特急「つがる」に
充当され、八戸から「スーパー白鳥」として、再び函館に戻っていく運用になっている。

 定刻通り、青森駅を発車する。
 蟹田で運転停車して運転士が交替したしたところまでは記憶があったのだが...

 ふと気がつけば、函館に到着していた。
 知らないうちに青函トンネルを抜けていた。

 
 函館。
 ここで進行方向が変わるが、すでに1時を回り、就寝時間帯ということもあり、
わざわざ座席を回転させている人はいなかった。

 そして、機関車がDD51に。

C0909a020
(函館からけん引したDD51 1142)

 この色の機関車は、北斗星をけん引している時は重連で運転しているため、
どうしても重連というイメージだったので、なんとも新鮮なイメージだった。
 函館を発車し、徐々に勾配を登っているなぁと思っていたが、再び夢の中。

 
 次に気がついたのは、東室蘭を発車するところだった。
 ふと車窓を眺めると、外は雨。前日の好天が嘘のような雨。
 今年は、旅行に出掛けると雨に祟られているような気が...
 とりあえず、列車が止まってしまうほどの降りでは無さそうだったが...
 しかし、この日は後になって、この雨に泣かされることになる。しかしながら、
この時点ではそんなことになると知るよしもなかった...

 そして、次の目的地を目指すため、苫小牧で下車した。
 
(つづく)

青森駅で見掛けたもの

 再び9月の話へ。
~~~~~~~~~~~~~~~
  9月 6日(日)

 青森駅に降り立ち、ホームをウロウロしていると、柱に取り付けられた看板。
 見たことあるロゴが。

C0909a013
(見たことあるロゴが描かれた看板)

 「LOOK EAST」。
 国鉄が分割民営化した頃、JR東日本の宣伝物に描かれていたロゴ。
 そういえば、最近は「Suica」とか「大人の休日倶楽部」とかはよく見るが、
「LOOK EAST」は知らないうちに見なくなったなぁ。なんて思った。
 ところで、この看板に「ようこそ青森へ」などと書かれていたので、何かの
キャンペーンの取り付けられたのだろう。


 そして、ライトアップした青森ベイブリッジをバックにキハ40。

C0909a014
(ライトアップされた青森ベイブリッジをバックに...)

 それにしても、何度かこの橋をバックに青森駅の中で撮影していたが、
今回記事にするあたり、初めて橋の名前を確認したの。
 この橋にも、立派な名前が付いていたのかと、今更ながら...
 Wikipediaによれば、1992年に供用を開始したとのこと。
  
(つづく)

湯檜曽駅が...

 11月 7日(土)

 この日は所用のため、みなかみ町へ。
 湯檜曽方面に向かう際、湯檜曽駅が工事フェンスに囲まれていた。
 何だろうと思いつつ帰りに立ち寄ると、駅舎の一部が取り壊されていた。
 改築なのか撤去だけなのかについては確認できなかったが、とりあえず
現場の外から撮影することに。

C0911a024
(駅舎の一部が取り壊されていた湯檜曽駅の駅舎)


 なお、湯檜曽駅というと、2008年3月に水上方面に撮影に出掛けた際に
立ち寄って以来、何度か通過してはいたが、両隣の水上駅や土合駅とは
異なり、その後は立ち寄る機会がなかった。

 
 確かに、老朽化しているなとは感じていたが、取り壊されてしまうとは...
 ということで、昨年工事が行われた、土合や土樽のように、ここも気に掛けて
たまには訪れてみなくてはと、あらためて感じたところで、湯檜曽駅を後にした。 
 

★この記事から、下記サイトさんへTBを送信しました。
 民宿みちのく 女将のブログさん
 

水上駅でD51を

 11月 7日(土)

 所用で上下列車の撮影が出来なかったこの日。
 しかしながら、目的地がみなかみ町ということで、折返し待ちをしている
D51 498を撮影してきた。

 D51 498というと、先日下りの「SLみなかみ号」を撮影した際、ナンバープレートが
赤地だった。まさか1回限りと言うことはないだろうと...


 水上駅に到着すると、方向転換を終え、整備を始めるところだった。

C0911a021
(ピット線で折返し整備中のD51 498)

 到着し、しばらくの間は、乗車してきた方が記念撮影をしているので、
間に入れてもらい撮影する。
 
 
 そして整備が終了し、若干後ろに移動したところでもう一枚撮影した。

C0911a022
(赤地のナンバープレートのD51 498)

 この頃になると、かなり落ち着くので、それを待ってから撮影した。
 なお、当然のことながら、D51は側面のナンバープレートも、赤地のものに。

C0911a023
(側面も...)
 

 なんとなくいつも通りの構図になってしまったが。
 あくまでも、赤地のプレートが取り付けられていた記録として撮影した。
 ここまで撮影したところで、水上駅を離れた。
 

両毛線120周年HM車を撮影(3)

 11月 3日(火)

 小俣駅での撮影後、115系HM車をもう1回撮影するため桐生駅へ。

 115系が入線する前に、わたらせ渓谷鉄道の車両を撮影する。
 わたらせ渓谷鉄道は昭和63年(1989年)にJR足尾線が第3セクター化した。
 そして、今年はそれから20周年。
 それを記念して、ヘッドマークが取り付けられていた。

C0911a016
(ヘッドマークが付けられた、わたらせ渓谷鉄道の車両。桐生駅にて)


 そして、下新田車両基地から出区してくる115系HM車。

C0911a017
(桐生駅に入線してくる115系HM車)

 入線後、ヘッドマークを撮影してみた。

C0911a018
(取り付けられていたヘッドマーク)

 東京新聞などで報じられたとおり、繭玉と桑の葉がデザインされたヘッドマーク。
 また、ヘッドマークの下部には、足利市観光協会が寄贈した旨の英文が。
 さりげない記載がいいなと感じた。
 
 と、ここまで撮影したところで、この日の撮影は終了。
 いつまで取り付けられているのかわからないが、もう一度ぐらい撮影したいと
感じつつ、桐生駅を後にした。
 

両毛線120周年HM車を撮影(2)

11月3日(火)

 井野駅で撮影した「両毛線120周年」のHM車のその後を時刻表で調べてみると、
小山駅で折り返して、桐生止まりの列車に充当されることがわかった。
 とすると、撮影できるのは必然的に桐生以東となる。

 さて、どこで撮影しようか迷ったが、伊勢崎駅に立ち寄ってから乗車した列車で、
小俣駅に向かうことにした。この日は天候がよかったので、なるべく前面に陽が
回るように考えると、列車が南西方向に向かうところとなる。しかし両毛線内で
そのような条件を満たす箇所はあまり無い。
 ということで、ヘッドマーク付き列車を撮影するために向かったのは、小俣駅から
徒歩15分弱のところにある、桐生川の橋りょう付近へ。

 ちなみに下車した小俣駅は、栃木県の足利市だったが、桐生川を渡ると群馬県。
 その川に架かる県道桐生岩舟線の橋の名は「境橋」。
 まさに、県境に架かる橋だった。

C0911a011
(境橋を渡れば群馬県桐生市)

 この橋を渡りきり、堤防沿いに両毛線の線路脇へ。
 

 臨時列車が来るわけでもないので、先客もおらずのんびりカメラを構えて待つ。
 ところで、このポイントは、今回初めて訪れたのだが、果たして編成がうまいこと
収まるのだろうか?という疑問はあった。そんな心配をよそに、下り列車が通過。
 撮影に出かけた時間帯は、小俣駅で上下列車が交換する時間帯だったため、
115系HM車が来る直前に、小山行の107系が橋りょうを渡っていった。

C0911a012
(橋りょうを通過していく107系 小山行)

 4両分しっかり収まるとわかりホッとした。

 
 その数分後、115系HM車(桐生行)が通過していく。

C0911a013
(橋りょうを通過していく115系HM車)

 ここまで撮影したところで、再び小俣駅へ。

 
 小俣駅。
 普段下車することがないので、駅舎を撮影した。

C0911a014
(小俣駅駅舎)

 そして、今度は西を目指す。

(つづく)

前橋駅と伊勢崎駅

 11月3日(火)

 井野駅での撮影後、115系HM車を追いかけるため、乗車したのは前橋行。
 桐生より東に向かおうと思っていたが、この時間帯は伊勢崎より先に行くのは
1時間に1本のみということで、途中駅で駅舎を撮影しながら東に向かうことに。

 
 まず、前橋駅。

C0911a005
(前橋駅南口駅舎)

 高架化されたのは、国鉄の分割民営化を控えた昭和61年(1986年)。
 それまでの立派な駅舎が無くなってしまったのは残念だったが、車社会である
群馬県の県庁所在地・前橋市ということで、南北を分断する両毛線の高架化で
道路は随分便利になったようだった。

 そして現在は、前橋駅内にはマクドナルドや吉野家といったファストフード店など
が揃い便利になったものの、駅前のイトーヨーカドーが撤退するとの報道もあり、
駅前にヤマダ電機本社・店舗が出来た高崎と比べ、また少し寂しくなるのかなと
感じた。


 続いて向かったのは、伊勢崎駅。
 伊勢崎駅については、連続高架化工事が行われていて、昨年(2008年)正月に
訪れた際に記事にしていたが、それ以来久しぶりに観察することにした。
 (というより、乗車した列車が伊勢崎行ということだったが...)

 すでに高架橋の部分は出来上がりつつあるといった感じだった。
 まず、跨線橋から、高架駅部分を撮影してみた。

C0911a006
(跨線橋から高架駅部分を)
 
 壁や屋根があり、全容はわからなかった。
 また、架線柱はまだ建てられていない。
 完成まで、もう少し時間が掛かるのだろう。

 続いて、1番線から。

C0911a007
(1番線から高架駅部分を)

 橋脚の工事は、前後区間を含め、ほぼ完成しているように感じた。
 駅部分は、これから具体的な工事が行われるのだろう。 

 そして改札を出て、高架化が完了すれば撤去される駅舎を撮影する。

C0911a008
(伊勢崎駅駅舎)

 ある程度歴史がある駅舎ではあるが、老朽化しているようにも感じる。
 そう考えると、今回の高架化は、駅舎改築の意味合いも兼ねているのだろう。
 また、駅前には「スマーク伊勢崎」行のラッピングバスが、発車を待っていた。
 「スマーク伊勢崎」とは、国道17号線の上武国道沿いにあり、両毛線の伊勢崎~
国定間からも見えるショッピングモール。確かに、駅からは遠いのでバスになる。
 どうしても、ショッピングモールというと郊外型になるので仕方がないのだろう。

 
 駅舎などを撮影したところで、小山行に乗車する。

C0911a009
(伊勢崎から乗車した小山行。伊勢崎駅にて)

 乗車したのは211系5両編成。しかも、ボックスシートがあるB編成だった。
 高崎車両センターに所属している211系5両編成は、ロングシートのA編成と
上記のB編成の2種類が共通運用となっていて、どちらが来るかはわからない。
 ただ、グリーン車導入により、10両固定編成にロングシート車が入ったため、
5両編成の運用については、以前よりはB編成に遭遇することが多くなった。
 そんな211系B編成で、東を目指した。

(つづく)

両毛線120周年HM車を撮影(1)

 11月 3日(火)

 SLみなかみ号を撮影したついでで、少し井野駅で撮影することにした。

 後続でやってきた小山行。 
 よく見るとヘッドマークが取り付けられていた。
 先日運転された、快速「両毛線120周年号」に取り付けられていた、
緑色のヘッドマークだった。

C0911a002_2
(ヘッドマークが取り付けられていた小山行)

 このヘッドマークについては、数日前の東京新聞(Web版)によれば、
足利市観光協会からJR東日本に寄贈されたとのことだった。
 その後、いくつかのブログで、快速「両毛線120周年号」にこのマークが
取り付けられていたという記事を確認していた。
 それにしても、そのヘッドマークを早々に見掛けることが出来るとは。

 ということで、この後の行動は、赤いナンバープレートのD51の撮影に行こうと
考えていたが、115系にヘッドマークが取り付けられることはあまり無いので、
両毛線のヘッドマークの方を優先することにした。

 
 そして、井野駅で最後に撮影したのは、高速貨物の2085列車。
 EH200-20がけん引し、後ろのコキはすべて紅いJRコンテナが積載されていた。
 短い編成とはいえ、ここまで揃っているのも珍しいように感じた。

C0911a003_3
(井野駅を通過する高速貨物2085列車)

 この後、両毛線に乗車し、ヘッドマーク付き列車を追いかけることにした。

(つづく)

赤プレートのSLみなかみ号

 文化の日に撮影した列車をの話を先に...
~~~~~~~~~~~~~~~
 11月 3日(火)

 飛び石の祝日となった文化の日。特に予定も無かったので、井野駅へ。
 10~11月の土休日に運転されている「SLみなかみ号」の撮影をすべく、
向かうことにした。
 そして、ほぼ定位置での撮影に。

C0911a001_2
(井野駅を通過するSLみなかみ号)

 9月の復活後、10月中の運転では、黒地のナンバープレートだったが、
今回は赤地ものに取り替えられていた。ちなみに赤地のプレートというと、
昨年(2008年)の夏、事前にJRのお知らせで4色のプレートを期間ごとに
取り替えながら運行するとの案内が出ていた。
 今回もそのような流れでプレートが変わったのだろう。
 とすれば、いつもどおり水上まで向かい、折り返し整備中のD51を撮影
しようかなと思っていたのだが...

 後続の水上行まで時間があったので、もう少し撮影することにした。

(つづく)

27号を乗り継いで北へ

  9月 6日(日)

 ケータイ国盗り合戦「決戦!関ヶ原」の旅、南東北編。
 新潟県から磐越西線~磐越東線と乗り継ぎ、福島県会津地方から、中通り、
浜通りと横断してきた形に。
 そして気がつけば、いわきから先は「27号」を名乗る列車が続く。
 まず、前の記事に書いたとおり、いわきから乗車したスーパーひたち27号。

 
 仙台駅のエキナカで夕食をとった後、再び北を目指すことに。
 2本目の27号は、東北新幹線のはやて(+こまち)27号。

C0909a011
(はやての乗車口案内)
 
 八戸に20時到着と時間帯がいいのか、仙台でそれなりに下車があったが、
それとほぼ同数の乗車ということで、ほとんどの席が埋まったまま盛岡へ。
 今回は出掛ける数日前に指定券を押さえたため、3列シートの真ん中のB席。
 それでも、車内の盛況ぶりを考えると、座る席があるだけいいのかもしれない。
 

 盛岡を出たところで、これまで2回続けて失敗していた「玉山」盗りに成功する。
 盛岡~いわて沼宮内間の一部の区間で盗れる「玉山」。過去、2回はいずれも
上りの「はやて」の車中だったが、トンネルに阻まれ撃沈していた。しかし今回は
下りの「はやて」。状況が変わったことで盗ることが出来た。

 八戸。
 そういえば、「決戦!関ヶ原」の最初の旅で、八戸に来たんだよなぁなんて
振り返りつつ、乗り継ぎ改札を通過し、次に待つ27号へ。

 八戸から乗車した3本目の27号は、つがる27号。
 751系などを期待したが、停車していたのは485系8両編成。

C0909a012
(八戸から乗車した、つがる27号)

 塗装・内装ともに手入れはされていたが、やはりくたびれているかなと...


 そして、3本の27号を駆使し、気がつけば青森。
 しかも既にいい時間。
 前回(7月)は、はまなすを見てから宿に向かったのだが。
 さて...
  
(つづく)

いわきから常磐線を北上

  9月 6日(日)

 いわきから「亘理城」を拾うため、スーパーひたち27号で常磐線を北上し、
亘理は通過するため、そのまま仙台まで乗車することに。
 スーパーひたちといえば、6月の兼継紀行の際に仙台~上野間を通して
利用して以来となる。


 当日。
 いわきから乗車したのは、651系4両編成。

C0909a008
(いわき駅に進入するスーパーひたち27号)

 上野~いわき間は11両編成で運転し、いわきで後ろ7両を切り離して、
身軽な編成になり北を目指す。
 なお、乗車したのは日曜日の昼下がり。
 窓側の座席はすべて埋まり、通路側の座席もそれなりに埋まっていた。
 いわき~仙台間は、特急列車でも2時間程度かかる区間で特急列車が
少ない分、曜日配列にもよるのだろうけど、利用客が比較的多い列車も
あるのだろう。

 ところで、乗車したこの日。
 最初の2ヶ所はいずれも終点だったが、今度は通過駅。
 しかも前後はしばらく停車がなく、もう一度訪れるのには少々面倒くさい
区間でもあるので、気が抜けない2時間となった。

 富岡、大野、浪江と小刻みに停車し、原ノ町。
 前回、仙台から利用したスーパーひたち54号と交換。

C0909a009
(スーパーひたち27号と54号。原ノ町駅にて)

 そして、相馬を発車し、いよいよ宮城県内へ。
 浜吉田~亘理間で「亘理城」を拾う。
 国盗りでもなければ、2ヶ月半ぶりに訪れることは無かっただろうに。
 そんなことを思っているうちに、東北本線が車窓左側から近づいてくる。
 停車することなく、そのまま仙台へ。 

 そして、さらに北へ...

(つづく)

◆関連記事
 仙台→上野間で利用したスーパーひたち54号(2009年6月)
 

磐越東線でさらに東へ。

  9月 6日(日)

 郡山からさらに東を目指す。
 乗車したのは磐越東線のいわき行。車両はキハ111・112+キハ110の3両編成。
 先行列車とはしばらく時間が開いているせいもあり、座席がほぼ埋まっていて、
郡山発車時点では立っている人の姿も。

C0909a006
(磐越東線いわき行。郡山にて)


 ちなみに、磐越東線に前回乗車したのは2004年。
 その時は、いわきから郡山を目指し、いつものK先輩と乗車した。
 出掛けたのが春先で、降りそそぐ陽射しが気持ちよく、郡山まで寝ていた。
 ということで、今回はと思ったのだが...
 気がつけば、郡山を発車して小野新町付近まで記憶がさっぱり。
 またもや寝てしまっていた...

 なお、今回この磐越東線を利用することになったのは、会津若松の次に拾う箇所が、
いわき(大館城)と亘理(亘理城)の2つだった。そのどちらも常磐線ということで、仙台回り
より効率がいい磐越東線を選択していた。
 途中でやることもないのだから、体を休めるため寝ていてちょうどよかったのだろう。
 この後の行程を考えれば...

 そして、終点のいわきに到着する直前、77城目となる「大館城」を拾った。

 いわき。
 前回(6月)は、乗りっぱなしだったため下車できなかったが、今回は乗り換える列車の
発車まで若干時間があったので、一旦改札口を出てみた。
 以前訪れた際は、駅ビルに併設された薄暗い駅という印象だったが、橋上化されて
明るい駅舎になっていた。

C0909a010
(いわき駅駅舎)

 そんないわき駅の駅舎を観察したところで、再び改札内に戻る。
 今度は北へ...

(つづく)

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »