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2009年6月

越後湯沢から新幹線で北上

  6月18日(木)

 越後湯沢駅に到着直前、下り貨物列車とすれ違う。
 ダイヤ改正で明るい時間帯にも走るようになったんだよななんて思っていると、
越後湯沢に到着する。 

 そして、いつものポジションで、乗車してきたはくたか号を撮影。

C0906a028
(直江津から乗車してきたはくたか1号)

 
 上り線側は作業をしていたようで、作業用の車両が停車していた。
 この時間帯の上り線は、水上行普通列車が発車した後は、
しばらく上り方面の列車が無いからなのだろう。

C0906a029
(停車していた作業用車両)

 
 そして新幹線ホームへ。
 反対側のホーム(上りホーム)の下には、この駅の標高が書かれていた。

C0906a031
(標高が書かれていた)

 ここから、Maxとき307号で長岡を目指す。

C0906a030
(越後湯沢駅に進入するMaxとき307号)

 なお、途中の浦佐付近にも国盗りのポイント(浦佐毘沙門堂)があり、しっかり拾っていく。
 さらに長岡手前でも国盗りのポイント(与板城)を拾ったところで下車する準備をし始めた。

 
(つづく)

はくたか1号でショートカット

  6月18日(木)

 直江津からはくたか1号に乗り継ぎ、越後湯沢を目指す。
 乗車した列車の指定席には、遠足なのだろうか小学生の団体が乗車していた。

C0906a027
(直江津駅に進入するはくたか1号)

 直江津発車後の車内放送でも案内をしていたが、はくたか号は犀潟~六日町間は
北越急行線をショートカットしていく。この路線は以前より北急詣でも取り上げているが、
トンネル内に信号場が設置されてしまうぐらい、比較的長いトンネルが続くため、
必然的に電波を拾いづらくなる。
 しかしながら、うらがわら~虫川大杉間に国盗りのポイントがあるということで、
高速運転で通過していくはくたか号の車中から拾うことが出来るか不安だった。

 犀潟駅を通過し、信越線から北越急行線に入ると、くびき駅までは高架線を走り、
電波を簡単に拾うことが出来た。しかしこの辺りは、今回のキャンペーンポイントの
対象エリアから若干はずれているため、必要な電波をまだ拾えなかった。

 そして、くびきを通過すると、比較的長いトンネルが続き、なかなか電波が拾えない。
 ひょっとするとと焦りだしたところ、うらがわら駅を通過する直前に「直峰城」を拾えた。
 ただ、拾ったところで、その後十日町付近まで、まともに電波を拾うことがなかった。
 ここまで拾えないとは...

 そして、十日町からの長いトンネルを抜けた魚沼丘陵付近(雲洞庵)、上越線に入り
上越国際スキー場付近(関興寺)でも、それぞれ拾うことができた。
 とりあえず、はくたか号で拾うべきポイントをいずれもクリアしたところで、眠気が。
 朝が早かったので、流石に眠くなってきていた。
 ただ、列車は石打駅を通過するところ。寝ている暇など無いまま、越後湯沢へ...

 
(つづく)

◆関連記事
 2006年8月の北急詣で
 2008年1月の北急詣で
 2009年1月の北急詣で
 

新井から国盗りをスタート

  6月18日(木)

 国盗り合戦「天地人 直江兼続紀行」の旅。
 今回の国盗りスタート地点は、一筆書きでもっとも効率的に巡ることが可能な
信越線の新井駅を選んだ。

 ということで、直江津から乗車してきた長野行で下車する。
 当初はスイッチバック駅である二本木まで行こうか迷ったが、折り返す列車に
乗車できないと、その後の行程が全くリカバー出来ないことがわかっていたため、
素直に新井駅で下車した。

C0906a024
(新井駅駅舎)

 そして、新井からの折返しは、快速くびき野1号。
 乗車してきた長野行の後を追いかけ、直江津から回送されてくる。
 流石に始発駅と言うことで、座席は1~2割埋まる程度だった。

C0906a025
(新井から乗車したくびき野1号)

 車両は485系新潟車(上沼垂色)6両編成で、長野方の1両が半室グリーンで
残りが指定席だった。

 発車すると同時に携帯を操作し、「天地人 直江兼続紀行」がスタート。
 まずは、脇野田駅付近のポイント(鮫ヶ尾城)と直江津付近のポイント(御館)を
立て続けに拾っていく。ただ、この辺りは駅間が短いので、少し焦ったが...

 なお、車内は先述したとおりだったが、高田、春日山と停車し、直江津駅を
発車する頃には、5割近く乗車していた。長岡方面への通勤の足なのだろう。

 そして直江津で下車。
 次のポイントは、北急線内と上越線エリアということで、特急はくたかに乗り継ぐ。
 ただ、乗り継ぎまで30分ほどあったので、EF81 454がけん引する貨物列車などを
撮影して、時間をつぶした。

C0906a026
(直江津駅で撮影したEF81 454けん引の貨物列車)


(つづく)

直江津駅で撮影

  6月18日(木)

 直江津駅で乗り継ぎ列車を待つ間、兼継ラッピング車以外にも撮影をした。

 まず、快速妙高2号。
 当初はこの列車に乗車する予定だったが、兼継ラッピング車を撮影のため、
乗車しなかった。なお、編成は183・189系6両編成(N101編成)であさま色。
 この編成は両端の先頭車が、元183系のクハ183で、その流れをたどると、
特急「とき」(この時点では1000番台)→房総特急(ATCを搭載し現在の車号に改番)
→特急「あずさ」(ここであずさ色に)→快速「妙高」(ここであさま色に)
と、首都圏周辺の183系使用の特急列車の運用を転々として流れ着いた
車両だった。しかも中間車は189系の電動車だったりする。
 まず、長岡方先頭車はクハ183-1525(登場時の車番はクハ183-1025)。

C0906a018
(妙高2号。長岡方先頭車)

 長野方先頭車はクハ183-1528(登場時の車番はクハ183-1028)。
C0906a019
(妙高2号。長野方先頭車)


 続いて、EF510 9号機がけん引する貨物列車。
 直江津駅に到着した時刻を、貨物時刻表にて確認したところ、
どうやら百済発新潟(タ)行高速貨物の4071列車のようだった。

C0906a020
(直江津駅に進入する4071列車)

 
 兼継ラッピング車の前に入線した115系長野車。
 長野方から入線し、そのまま柿崎まで回送し、折返し直通の長野行になるようだ。
 ちなみに、この列車が入線する前に115系の新しい新潟色の3両編成が、長野方に
回送として発車していった。こちらは妙高高原始発の列車に充当されるようで、
朝の通勤時間帯の列車として、それぞれ配置されている支社に戻るようにダイヤが
設定され、それに伴い運用が組まれているようだ。

C0906a021
(柿崎行の回送列車)


 そして、最初の目的地である新井に向かうため、入線してきた長野行に乗車した。
 115系6両編成で、後より3両はトップナンバーで組成されたN25編成だった。

C0906a022
(直江津駅に入線する長野行。115系6両編成)

 最後に、直江津駅を発車する直前、急行きたぐにが到着する。
 583系を使用する唯一の定期列車で、直江津まで乗車した急行能登号とともに
残存する電車急行列車。

C0906a023
(直江津駅に進入する急行きたぐに)

 兼継ラッピング車を撮影するために、行程変更したことで、貨物列車やきたぐにと
普段撮影できないような列車の撮影もできた。天気の悪さを忘れさせてしまうほど
気分一新したところで、信越線の上り列車に乗り込んだ。

 
(つづく)

直江津で兼継ラッピング車を

  6月18日(木)

 4時13分。
 直江津駅で能登号を下車。

C0906a011
(直江津駅に到着した急行能登号)

 天候は弱いながらも雨。
 この先の行程に少し不安を感じる。

 なお、乗り継ぐ列車までしばらく時間があったので、しばしホームで撮影することに。
 まず、北陸線の普通列車が発着するホームに留置されていた475系と485系。

C0906a017
(留置されていた475系と485系上沼垂車)

 
 続いて、駅南側の留置線を撮影しようとすると...
 当初は、快速妙高2号に乗車して妙高高原まで向かい、折り返す予定だったが、
直江津駅の側線に留置されていた北越急行の車両を見て計画を変更する。
 というのも、留置されていたのは、「天地人」兼継ラッピング車だった。

C0906a012
(留置中のHK100型ラッピング車。側面から)

 運転開始はしていたのは知っていたが...
 ちなみに、この編成を用いた列車は、直江津から越後湯沢に向かう北越急行線の
初列車、6時00分発の快速・越後湯沢行に充当されるので、この編成がホームに
入線したところを撮影してから、南を目指すことにした。
 それにしても、今回の旅は国盗り合戦は「天地人 直江兼続紀行」ということで、
なんとなく幸先のよいスタートとなりそうな気がした。

 しばし、他の列車を撮影して時間をつぶす。
 そして、発車の15分ほど前に入線する。
 ただ、この時は隣のホームに115系の回送列車が停車していたため、並びで撮影した。

C0906a013
(ホームに据え付けられたHK100型ラッピング車と115系)

 まさか、115系の回送列車がこのまま居座り続けるのでは?と思っていた矢先、
長岡方面に向けて発車していったので、まず編成撮影から。

C0906a014
(直江津駅で発車を待つ兼継ラッピング車)

 なお、側面には「天地人」と大きく書かれていると共に、ドラマでは直江兼継役を
演ずる妻夫木聡の姿が車体に大きく描かれていた。

C0906a015
(兼継役の妻夫木聡が大きく描かれていた)

 また、貫通扉には、兼継の兜に書かれた「愛」の文字をイメージしたヘッドマークが
取り付けられていた。文字は書かれたものではなく、立体的に取り付けられていた。

C0906a016
(「愛」という文字のヘッドマーク)

 この編成は、「ゆめぞら」のように限定して運用されていないため、タイミングよく
出会うことは難しいことを考えると、ちょっとした行程の変更により、このように観察
することができて、運がよかったようだ。

 
(つづく)

◆関連記事
 2008年1月に撮影した「ゆめぞら」
 2009年1月に乗車した「ゆめぞらⅡ」
 

真夜中の長岡駅で折返し

  6月18日(木)

 上野駅から乗車した急行能登号。
 車内は、熊谷駅発車後から減光状態に。

C0906a009
(減光状態の車内。長岡駅にて)

 高崎駅を発車後、何度か目が覚める。

 最初に目が覚めたのは、真夜中の水上駅停車中。
 中線にはレール運搬用のチキが。どうやら東京方面に向かう列車のようだった。
 そのため、けん引機の確認は出来なかった。

 続いて目が覚めたのは、上越国境を越えきった岩原スキー場前駅の手前。
 関越自動車道の下を潜ったことでわかった。
 ずいぶん明るかったので、「もう、長岡?」と思ったのだが...

 そして3度目に気づいたのは、宮内駅に到着したところ。
 時計を見ると3時を少し回ったところだった。
 ここで折り返すのかと思っていたら、2分程で発車する。
 こちらが宮内駅を発車した時、上野駅を30分前に先行した北陸号とすれ違う。
 この先、富山では5分、最終的には終点の金沢で3分まで差を詰める。
 そのことを考えると、確実にその背中を捉えつつあるということだろうか?

 お隣の長岡駅。
 ムーンライトえちごが臨時列車化したことにより、長岡駅に深夜時間帯に客扱いする
列車はなくなった。しかし、先述した寝台特急北陸号とこの急行能登号は、いずれも
運転経路の関係で長岡駅で運転停車している。
 北陸号はともかく、能登号は夜行とはいえ全車両が座席車として営業しているため、
停車できなくはないのだろうけど、利用客が少なく、この列車のためだけに駅を開けて
おくのはコストに見合わないので、おそらく客扱い停車をしないのだろう。

C0906a010
(真夜中の長岡駅。営業時間外なのか、人影は見えなかった。)

 ここから進路を西へ。列車は加賀の国・金沢を目指す。
 折り返しのため、6~7分停車する。
 この時間を利用して、減光状態の車内を撮影する。
 車内は2人だけと、ほぼ貸しきり状態だったため、容易く撮影できた。

 そしてもう一度、眠りについた。


(つづく)

急行能登号で北を目指す

  6月17日(水)

 乗車した能登号は、上野駅を定刻通りに発車する。

C0906a007
(急行能登号・上り方先頭車。上野駅にて)


 乗車した3号車(指定席)は自分を入れて僅か2人。

 上野を発車すると、大宮まで待避できるところがない。
 そのため、前後の普通列車とは平行ダイヤになっていて、あまり速度が上がらない。
 赤羽を通過し荒川を渡っていると、京浜東北線のE233に追い越される。
 さらに、さいたま新都心を通過する頃には、ゆったりとした速度。
 性能をもて余しているようにも思えた。

 大宮に到着すると、上野から乗車した人が降りていく。
 まさか、大宮から1人?と思っていたら、入れ替わりに2人乗車。
 でも、やはり寂しい限りだ。
 そして京浜東北線からの接続ということで、4分遅れで発車する。
 籠原まで普通列車が先行しているから、これぐらいの時間調整でちょうどいいのかも?

 その遅れが幸い?して、特急型車両らしい走りに。
 宮原、上尾と快調に飛ばしていく。
 鴻巣で先行していた185系のホームライナーが、折り返し回送として発車するのを
待つ姿を見たところで、工事関係の徐行運転に。
 それでも徐行区間を抜ければ、再び快調な走りに。
 ただ、吹上を出た辺りで先行列車を捉えたようで、速度が落ちゆっくりした速度に。

 熊谷を出たところで、車内は減光に。いよいよ寝る時間だ。
 先行していた普通列車が入庫を待つ籠原を通過し、列車は再び持てる力を出して
北を目指していく。

 「さあ、目が覚めたらどこを走っているのだろう?」なんてことを思いながら、
朝に備えて休むことに...

 
(つづく)

上野駅で撮影(北陸と能登)

  6月17日(水)

 国盗り合戦「天地人 直江兼続紀行」で新潟県を巡るため、いったん上野駅へ。
 少し早めに到着したので、先行する寝台特急北陸号を撮影することにした。

 この北陸号は、上野駅で機回し作業が出来ないため、車両基地があるお隣の
尾久駅から推進回送でやってくる。まず、そんな姿を撮影する。

C0906a001
(推進回送で上野駅に進入する北陸号)

 北陸号には個室B寝台・ソロが連結されていて、けっこう人気があるようだった。
 確かにオープン寝台と比べ、一定のプライベート空間が確保され、料金が同じ
ならば、個室(ソロ)から売れていくのは当然のことかもしれない。

 そして、けん引機は長岡のEF64 1053。

C0906a002 (ヘッドマークが取り付けられた1053号機)

 北陸号を撮影したところで、能登号に乗車するため、特急ホームへ移動する。
 特急ホームでは勝田行の最終、フレッシュひたち75号が停車していた。

C0906a003
(最終のフレッシュひたち75号)

 この列車はフレッシュを名乗りながら651系で運転される列車。
 おそらく勝田への入出庫を兼ねているのだろう。

 それから15分程して、能登号になる編成が、古河からの回送列車として到着。
 当然ながらヘッドマークは「ホームライナー」。

C0906a004
(上野駅に到着する回送列車)

 なお、ホームライナーのヘッドマークは、電照式のものではなく金属板に文字が
書かれたものだった。

 到着後、速やかにヘッドマークが外される。

C0906a005
(ヘッドーマークが外される)

 外された所には、電照式の「能登」のヘッドマークが取り付けられていた。

C0906a006
(準備完了)

 このあと、発車時刻寸前まで、車両を観察し、一路越後の国を目指すことに。

 
(つづく)

急行能登を目指して上京

  6月17日(水)

 出張で東京に出掛けたこの日、一旦帰宅して再び上京することに。

 このところ、国盗り合戦というと日帰りで関東近郊を回ることが多かった。
 しかし今回、「天地人 直江兼続紀行」の舞台は新潟県。
 しかも、すべてのポイントを回るには普段は乗らない交通機関を使わないと、
どうやら回りきれないとのこと。本来であれば一つずつ問いを解いて回らなくては
ならないのはわかっているのだが。
 ただ、そのためだけに新潟県内に2日も滞在するのは、少しもったいない気が。
 ということで、事前にネットで学習し行程を組むことにした。

 ここでまた壁にぶつかる。
 車で回れば、なんとか一日で回れるが、公共交通機関だけだとかなり難しい。
 色々と悩み抜いた結果、まず、急行能登号を利用することで決着。
 そして乗車駅についたは、当初は高崎駅からの乗車を検討したが、高崎発は午前様。
下車するまでの時間を考えるとあまり休めない。ただ、せっかくの旅行なので、仕事が
終わってから上京して、始発駅・上野から乗車すればいいかという結論に。

 結果的に、お昼過ぎの中央線で、オレンジ色の201系だけでなく、京葉線の201系の
出場電車とまですれ違っておきながら、再び上京することになった。
 ホントに電車が好きなんだなと...
 
(つづく)

大宮のイベントへ

  5月23日(土)

 戸塚から乗車した湘南新宿ラインで大宮へ。
 この日は大宮総合車両センターで、JRおおみや鉄道ふれあいフェア2009が
開催されていて、15時30分までとのこと。閉場までまだ1時間程あったので、
訪れてみることにした。
 ただ、やはり閉場の1時間前ということで、向かう人より引き上げる人の方が
多いようにも感じた。

 正門に到着すると、ゲートが設置されており、昨年と同様にクリアファイルを
配布していて、今年のものは日光線の107系が印刷されたものだった。

C0905a145
(入り口に設置されていた黄色いゲート)

 さっそく中に入り、駆け足で展示車両を撮影する。
 まず、展示されていた日光線カラーの107系。

C0905a146
(日光線カラーの107系)

 先日、日光線に乗車した際には全く出会えなかったので、ようやく...
 それにしても車体標記は、かなり小さく書かれていた。
 模型でこれを表現するとなると、一苦労しそうな気が。

 続いて、機関車を。
 まず、保存されているEF58 93。
 この機関車は、毎年恒例の展示。
 訪れたときには、「つばめ」のヘッドマークが取り付けられていた。

C0905a147
(つばめのヘッドマークが取り付けられていたEF58 93)

 
 続いて、高崎機関区のEF65 535。
 既に、運用から離脱されているが、普段は高崎機関区でカバーを掛けられ、
保存されている。昨年は501号機だったが、来年も535号機がこのイベントに
来るのだろうか?

C0905a148
(出雲のヘッドマークが取り付けられたEF65 535)


 そして、JR貨物の検修庫内の展示へ。
 まず、EF64 1002。
 寝台特急「あけぼの」のヘッドマークが取り付けられていた。
 遊び心で取り付けたのだろうけど、上越国境を走る機関車としては、意外と
ありそうな気もするし、実際に見てみたい気もするが...
 もっとも、今から10年ほど前、「カシオペア」が上越線内を迂回運転した際に、
水上駅からEF81の補機として上越国境で先頭に立ったのは、JR貨物の
EF64 1000だった。ただ、その時は、貨物列車用の機関車を急遽充当したため、
ヘッドマークは取り付けられなかったようだが...

C0905a149
(あけぼののヘッドマークが取り付けられていたEF64 1002)

 
 続いて、台車や主要な部品が外された状態のEH500 21。
 2両構成の機関車が1両ずつに分けられていること自体、工場内でもなければ
見ることは滅多にないだろう。それにしても、JR貨物になってから新製された
EH500が検査を受けているのを見ると、時代が変わったんだなぁと実感する。

C0905a150
(台車が外されたEH500 21)

 同じく台車が外されたDD51 1805。

C0905a151
(台車が外されたDD51 1805)

 この他にも、衣浦臨海鉄道のDLが入場していた。
 (写真は省略...)

 そして最後は、検修この外にいたED62 17とEF65 1116。
 このED62 17号機の展示も例年通りということに。

C0905a152
(ED62とEF65)

 ここまで撮影したところで、来た道を戻ると、何人か知っている人に会う。
 茨城県在住ながら、只見線沿線で2回も偶然遭遇したYさん。今回も...
 そして、模型運転会などでいつもお世話になっているM先生と偶然合流し、
大宮駅で遅い昼食を摂り、この日の行動は終了。
 
 何ともまとまりのない記事になった気が...

 そういえば、昨年は市川に向かい、NEXを撮影してから大宮入りしているので、
2年連続で、違う形式ではあるが、訪れる前にNEXを撮影していたんだなと...
 そして、その時に隣で撮影されていたのが、四季彩さんだったようで...
 あれから1年。「あっという間だったなぁ」なんて思ったりする。
 
 
◆関連記事
 2008年の大宮総合車両センターでのイベント
  
※加筆修正
→09/06/23 アップ後に加筆修正。
 

最後の花探し(2)

  5月23日(土)

 国盗り合戦「不思議な花探し」の最終回。
 「横須賀・逗子」を摘み終え、「藤沢・茅ヶ崎」を摘みに向かう。

 大船で折り返し、東海道線で一駅目の藤沢を目指す。
 途中、鎌倉総合車両センターの電留線には、E259系が留置されていた。
 今はまだ珍しいこの車両ももう少しすれば、都心を駆け抜ける姿を見かけるのが
当たり前になっているのだろう。

 そんなことを考えているうちに、「藤沢」を摘むことが出来た。
 予定通り藤沢で下車し、再度都心に折り返すことに。
 帰りの車中、電留線のE259系を撮影しようとしたのだが...
 車内が混み合っていたため、コンデジで撮影しようとしたところ...

C0905a143
(コンデジで撮影したE259系。なんとか側面は撮影できたが...)

 営業運転を開始したら、撮影に行こうと思った。

 なお、藤沢から乗車したのは東京行。
 この日は大宮総合車両センターでイベントが開催されていて、15時までとのこと。
 国盗り合戦のついでで立ち寄れればと思っていた。
 「さて、どうやって大宮を目指そうかな?」と思っていた矢先、到着した大船駅を
小金井行の湘南新宿ラインが先行して発車していく。
 「もしや」と思っていると、案の定次の戸塚で横並びになり、容易く乗り換えられた。
 このまま東京行で横浜まで先回りという手もあったのだが、階段の昇り降りを考えると...
 ということで、小金井行で大宮を目指すことに。
 それにしても1時間半。先が長かった。
 

最後の花探し(1)

 4月に続き、5月の残りも。
~~~~~~~~~~~~~~
  5月23日(土)

 国盗り合戦「不思議な花探し」最後の土日となったこの日。
 都心にマスク姿の人が増えたが、チャンスは1日だけだったので上京することにした。

 上京して最初に中央線を目指す。
 今回は「中野」「高円寺・荻窪」「吉祥寺・三鷹」。
 ここは快速電車に乗っていけば、自然に摘んでいける区間。
 しかも、訪れたこの日は土曜日ということで、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪を通過する。
 そのことで、いつも以上に速く感じられた。
 西荻窪を通過したところで3つ目の「吉祥寺・三鷹」を摘めたので、吉祥寺で下車し、
都心に折り返すにとにした。

C0905a141
(吉祥寺駅。手抜きな写真だ...)


 一旦新宿まで戻り、今度は南へ。乗車したのは湘南新宿ラインの逗子行。
 この週の花摘みは都心だけではなかった。
 神奈川県内にも「鎌倉」「逗子・横須賀」「藤沢・茅ヶ崎」と設定されていた。

 少し前に、桜木町に来たばかりだと言うのに...
 そんなことを考えつつ、逗子駅を目指した。

 途中、多摩川を渡ると、来年開業予定の武蔵小杉駅のホーム設置工事が行われていた。
 元々上り線側(東京方面)には、東海道新幹線の線路が隣接しているためスペースが
無いなと思っていたが、今回現場付近を通過したところ、下り線側(逗子方面)の外側に
新たに島式のホームを設置し、下り線自体を移設する準備がなされていた。
 このところ、新駅開業と言うと、線路の移設が不要な対向式のホームを設置するところが
多いが、今回は新駅とはいえ、南武線や東横線との接続駅ということや用地に制限が
あるため、しっかり作り込むのだろう。

 横浜で大半の人が下車し車内は空いてくる。
 そして、鎌倉観光に出掛けるのか、北鎌倉、鎌倉で下車していく人が多かった。

 鎌倉を発車し、終点の逗子に到着。
 「鎌倉」「逗子・横須賀」と摘んできたが、「藤沢・茅ヶ崎」だけは藤沢以西でなければ
摘めないので、引き返すことにした。

C0905a142
(逗子から乗車した東京行)

 
(つづく)

五日市線を1往復

  4月18日(土)

 拝島まで戻り、今度は五日市線へ。
 すでに国盗りで盗るべき「あきる野・福生」は八高線内で盗っていたため、
特に今回は乗車しなくてもよかったのだが...

 当日。
 拝島では乗り換えが2分と少し忙しかったが、なんとか間に合った。
 そして車両は、ここもE233系。ホームの長さいっぱいの6両編成だった。
 青梅・五日市線の6両編成というと、立川に住んでいた12~3年前は、武蔵野線と
共通運用されていて、103系の低運転台車や201系がやって来たのを覚えている。

 なお、五日市線の終点・武蔵五日市駅は19年に高架化されている。
 実は先日、手持ちのオレンジカードを整理していたところ、この駅の高架化記念の
カードが出てきた。この駅が高架化した頃、何度か訪れたことはあったが、それ以来、
前記事の青梅線と同様に久しく訪れていなかった。

 武蔵増戸では上り電車の待ち合わせ。
 やってきたのはE233系「青661」編成だった。

C0905a208
(武蔵増戸駅に進入する青661編成)

 この編成は、2008年10月、青梅線の東青梅~青梅間で発生した踏切事故の
影響で車両が破損した。一部部品を再生し、3月に更新した編成が新津から
出場したばかりだった。

 終点の武蔵五日市に到着。
 折り返しの時間を利用して、駅舎を撮影する。

C0905a209
(武蔵五日市駅駅舎)

 なお、高架化された頃は元の駅舎の奥に高架線を建設したため、駅前ロータリーの
整備が遅れていたが、さすがに10年以上経ち、立派に整備されていた。

 そして、武蔵五日市までの1往復でお世話になったE233系。

C0905a210
(武蔵五日市で折返しを待つE233系)

 もう一方の線には、ホリデー快速あきがわ号として武蔵五日市に来て、
日中はここで昼寝する4両編成が留置されていた。

 
 同じ電車で拝島へ。
 拝島から八高線に乗り継ぐ。
 乗車したのは205系3000番台4両編成。
 八高線が電化した際に先頭車改造し導入された編成だった。
 土曜日の昼下がりということで、車内は立ち客が多数いた。

C0905a211
(八王子まで乗車した205系3000番台)

 拝島を発車すると、先日廃止となった日本一長い踏切を通過する。
 車内から撮影してみた。

C0905a212
(元・日本一長い踏切)


 そして八王子。今度は中央線へ。
 乗り継いで、運転会の会場である高尾に向かった。
 

新緑の奥多摩駅へ

 4月18日(日)

 拝島から2本の電車を乗り継いで、1時間ほどで奥多摩に到着する。
 駅周辺は新緑で爽やかだった。

 そして、帰りも「四季彩」を利用して青梅に戻るため、折り返しの時間を利用して
奥多摩駅を少しだけ観察することにした。

 まず構内。
 以前は、構内の側線に浜川崎からの貨物列車が着発していたが、その側線も
すでに撤去されており、駐車場になっていた。
 名残といえば、現在も操業を続ける奥多摩工業の工場ぐらいか?

C0904a205
(側線が撤去されていた構内)

 続いて、改札を出て駅前へ。
 山小屋風の駅舎を撮影する。

C0904a206
(奥多摩駅駅舎)

 奥多摩駅の駅舎といえば、奥多摩観光の玄関口としても有名な立派なもの。
 これは15年前と変わらず、立派な佇まいだった。
 ここは海芝浦長瀞などと同様に、関東の駅百選に選ばれていた。

 そして「四季彩」。
 帰りも青梅までお世話になる。

C0904a207
(201系四季彩。奥多摩駅にて)

 それにしても、この「四季彩」が引退するとなると、代わりが居なくなってしまうが、
今後青梅線にはこのような車両は入ってこないのだろうか?気になるところだ。

 この後、青梅で乗り継ぎ、拝島まで向かった。

 
(つづく)
 
◆関連記事
(関東の駅百選関係)
 海芝浦(2008年7月)
 長瀞(2009年4月)
 

四季彩で奥多摩へ

  4月18日(土)

 青梅駅からさらに奥へ。
 今度は奥多摩行き乗車する。

 以前、奥多摩まで行ったことはあったが、その頃はまだEF64けん引の貨物列車が
行き交っていた頃だから、訪れたのは10年以上前のようだ。それ以来ご無沙汰に
なっていたが、今回、国盗りに「奥多摩」があり、川井から奥に行かないと盗れないと
わかり、乗車することにした。
 こんなことでもなければ、訪れる機会は巡ってこなかっただろう。


 乗車したのは、201系4両編成「四季彩」。
 今回、せっかく乗車できるのならと、この「四季彩」に乗車できるようにと行程を組んだ。
 と、2ヶ月暖めておいたら、実車がいよいよ7月にさよなら運転と廃車が間近に...
 そんな「四季彩」に乗車して奥多摩を目指した。

C0904a201
(青梅駅から乗車した「四季彩」)

 土曜日と言うこともあり、都心からのハイキング客がそれなりに乗車していた。
 青梅駅を発車すると、進行右側は木々が生い茂る。
 そして、難読とまではいかないが少し読みづらい駅、日向和田(ひなたわだ)や
軍畑(いくさばた)を通リ、沢井駅へ。

 この沢井はホーム長の都合でホリデー快速は停車しないが、駅周辺には
日本酒「澤乃井」の小澤酒造とその直営の食事処「澤乃井まゝごと屋」があり、
乗客の3~4割が下車する。
 そしてお隣の御嶽も駅の周辺には、玉堂美術館や食事処「玉川屋」があり、
ここでも乗客の3~4割程が下車していった。
 
 ということで、御嶽を出る頃には車内はかなり空いていた。
 そして、それまでよりもさらに山深くなっていく。
 谷に沿って走るため、カーブを描いて徐々に標高を上げていく。

C0904a202
(御嶽~川井間。線路がカーブするため、車窓にこれから向かう線路が...)

 この御嶽~川井間は、青梅線では駅間の時分がもっとも長い区間。
 以前、この駅の間には東川井信号場が設けられていたが貨物列車の廃止後、
お役ごめんと言うことなのだろう、この信号場も廃止された。

C0904a203
(東川井信号場跡)

 
 東川井信号場の跡を過ぎると川井駅。
 ホームがカーブの外側にあるため、ホームと電車が間に広い隙間があり、
ホームにも注意喚起のステッカーが貼られていた。

C0904a204
(注意喚起のステッカーが貼られた川井駅のホーム)

 そんな川井駅から西は奥多摩町。
 ここで、国盗りの「奥多摩」を盗ることが出来た。このまま拝島に引き返しても
よかったのだが、待ち合わせ時間までまだ余裕があったので、このまま奥多摩まで
乗り通すことにした。

 古里、鳩ノ巣と停車し、白丸を出れば、長いトンネルへ吸い込まれる。
 このトンネルを抜ければ、終点の奥多摩だ...


(つづく)

バカボンパパが待つ青梅駅へ

  4月18日(土)

 拝島から青梅行きに乗車し、終点の青梅駅で一旦下車する。
 以前は、奥多摩までスルー運転していて、乗り継ぐことなく向かうことが出来たが、
青梅以東が10両編成で運転するようになり、系統分離されてしまっていた。
 そのため、乗り継ぎ待ち時間で少し観察することにした。

 まず、青梅といえば「赤塚不二夫」。
 駅近くに赤塚不二夫会館があることもあり、改札前では「バカボンのパパ」が。

C0904a197
(改札前にはバカボンのパパ)

 亀有の両さんと似たようなものか...
 そういえば、ホームでは発車ベルが「ひみつのアッコちゃん」だったりする。
 どうせやるならば、ここまで徹底すべきなのだろう。

 そして、この青梅駅の駅舎は、青梅線を開通させた青梅電気鉄道の本社として
建設された建物をそのまま利用している。この建物は1924年に建築されたとのこと。
 最近は橋上化など駅舎のリニューアルを行うところが多くなってきているが、
ここは、しばらくこのまま保存しながら利用していくのだろう。

C0904a198
(青梅電気鉄道の本社を流用した駅舎)


 再びホームに戻る。
 ホーム上には、レトロな雰囲気の立ち食いそば屋が。
 以前訪れた際には無かったのだが...

C0904a199
(ホーム上にはそば屋も)

 最近は撤退する方が多いように思われる。
 そんな時期に、東京近郊の駅のホームに店が出来るのも珍しいように感じた。
 最近の鉄道の旅はどうしても、コンビニ系の食事に頼るところが多くなっているので、
末永く繁盛して欲しいと思った。
 
 また、ホーム上には、同じくレトロな佇まいの待合室も設置されていた。
 
C0904a200
(待合室も)

 青梅駅は先述のそば店を含め、数年前に「レトロステーション」として整備され、
その一環として待合室も整備されたようだ。
 そして、そんなレトロステーション・青梅から西へ。奥多摩を目指すことに...

(つづく)

 
◆関連記事
 2006年夏の亀有の両さん(銅像)
 

拝島から青梅へ

  4月18日(土)

 拝島で八高線から降り立ち、その代わり映えに驚く。
 以前は南口に本屋を持つ駅だったのが、橋上駅舎化され改札内にはミスドや
吉野家といった飲食店も入り、以前と比べ様変わりしていた。

C0904a195
(様変わりした拝島駅改札内)

C0904a194
(ミスドと吉野家が仲よく?並んでいる)


 そして今度は、青梅線に乗り継ぎ奥多摩へ。
 乗車したのはE233系青梅線内運用車の10両編成だった。

C0904a196
(拝島駅に進入するE233系青梅行)

 進入してきた電車の運行番号と編成番号で青梅線の線内運用車とわかった。
 というのも、まず青梅線と言えば、同じグループになる五日市線とともに、
運行番号の末尾にアルファベットがつかない電車が運行している線区だ。

 それにしても12~3年前、立川に住んでいた頃、何度となく青梅線に乗車した。
 その頃はデータイムといえば、4両編成や6両編成の103系が行き交っていて、
その合間に中央線と直通運転を行っていた201系が来るというイメージだった。
 当時の中央線の快速電車や青梅線の電車は、銀色の電車とは縁遠かったが...
 今は行き交う電車といえばE233系。時代は変わったんだなと。

 そんなことに浸っているうちに青梅へ。
 
 
(つづく)

八高線を南下。拝島へ

 またまた4月のネタを。
~~~~~~~~~~~~~~~
  4月18日(土)

 高尾での運転会が行われたこの日。
 14時開始と少し遅めの開始時間だったため、少し寄り道をすることにした。
 今回は国盗り合戦で、まだ出掛けていなかった、青梅線・五日市線訪ねることにした。

 当日。
 最初に乗車したのは、八高線の高麗川行。
 数日前、長瀞に向かうため、寄居まで乗車したばかりだった。

 乗車したのはキハ110を3両つなげた編成。
 土曜日の上りということで、高崎を出るときから空いていた。
 今回乗車した高麗川行は、このあと5月18日の秩父鉄道でのイベントに向かう際にも
利用していて、このときも途中の児玉駅は交換待ちの7分停車の停車時間を利用して、
下りホームから編成写真を撮影した。

C0904a191
(児玉駅に停車中のキハ110)

 7分停車の後は、交換のための停車もなく、淡々と南下していく。
 ウトウトしているうちに高麗川に着いてしまい、向かい側に停車している八王子行へ。
 向かい側だったが、乗り換え時分は1分と、さすがに撮影している間はなかった。

 乗り継いだのは元・東京臨海70系から転じた209系3100番台だった。
 転じた際に車号もJR式の車号へと変更していたが、車内の車号が表記された
ステッカーは車号の部分だけ後貼りした簡易なものだった。

C0904a193
(車内に貼られた車号のステッカー)

 高麗川では座席が埋まる程度の乗車だったが、拝島に向かうにつれて、徐々に
立ち客も増えていった。おそらく立川や八王子に買い物に出掛けるのだろう。

 そして拝島。
 ここから、青梅線に乗り継いだ。

C0904a192
(拝島に到着した八王子行)
 
(例によってつづく)

千葉県南部で国盗りを

  4月12日(日)

 東京湾フェリーから下船し、金谷港から徒歩5分の浜金谷駅へ急ぐ。
 船が到着してから、千葉行が浜金谷駅を発車するまで15分ほどだった。
 この電車を逃せば1時間待ち。せっかく、京急を利用したり、久里浜港で慌てたことが
水の泡になりかねないので先を急いだ。
 金谷港の物産店で干物ぐらい買いたかったのだが...

 なんとか浜金谷駅に到着する。
 
C0904a179
(浜金谷駅舎)

 ちなみに先日放映されていたTBS系列の某ドラマでは、この駅を岡山県内にある
JR西日本の寄見駅(架空の駅)として登場していた。ドラマを見たとき「???」と。
 確か、千葉県内で見た駅だなと。ドラマを見終え、上の写真を見て「やっぱり」と...


 再び当日の話。
 入場すると既に10分切っているので、早速ホームへ向かった。
 今回乗車した千葉行は、浜金谷で下り・安房鴨川行と行き違いを行う。
 安房鴨川行が先着だったのでめ、 まずこちらを撮影する。
 やって来たのは113系2000番台の4両編成だった。

C0904a180
(安房鴨川行)

 そして、乗車した千葉行も113系4両編成だった。
 ただ、あまり新しくない車両だった。

C0904a181
(千葉行)

 乗車したところで、国盗り合戦の「もっと花探しコース」の「マザー牧場」を拾うため、
何度も携帯を操作してみたが、うまく拾えず苦戦した。しばらく操作していたところ、
上総湊駅の手前でようやく拾うことができた。
 これでホッとし、木更津のキハ38や五井の上総鉄道にはなんとなく気づいたもの、
車内も混雑しだしたこともあり、蘇我までウトウトしたままだった。

 当初はここまでで都心に戻る予定だったのだが、外房線で容易に盗ることが可能な
「九十九里」と「茂原」もあわせて盗りにいくことにした。蘇我での乗り換えは5分待ちと、
なかなか効率がよかった。
 乗り換えの合間に千葉支社版の時刻表を購入して、上総一ノ宮行へ。
 乗車したのは113系10両編成。
 正直なところ、10両編成と聞いて耳を疑ったが、やって来たのは確かに10両だった。
 恐らく平休で運用が変わらず、上総一ノ宮を往復すれば夕方の通勤時間帯になり、
増結作業をしている暇がないのだろう。
 ただ、訪れたこの日はさすがにガラガラだった。

 当初は「茂原」が盗れる本納で下車し都心に戻る予定だったが、うっかりしていて、
気づけば本納を発車するところだった。
 もっとも、あとは都心に戻るだけと慌てる理由もないので、このまま茂原まで乗り通す。

 茂原で下車し、駅舎などを撮影する。

C0904a182
(茂原駅駅舎)

 帰りの列車を購入した時刻表で確認すると、あまり待つことなく特急わかしお20号が
来るとのことだったので、早速特急券を購入し改札へ。
 と、ここまではよかったのだが、改札内の電光掲示を見ると「5両」の表示が。
 さすがに日曜日の昼下がりで混むのでは?と少し不安になった。
 というのも、せっかく特急に乗車して東京まで行くのに座れないとなぁと思っていた。

 ホームに上がり数分後。
 2分遅れて特急わかしお20号が到着する。

C0904a183
(茂原駅に進入する特急わかしお20号)

 席は半分以上埋まっていたが、茂原で乗車した人は座ることが出来たようだった。
 ということで、帰りは都心までゆったり帰ることにした。

 なお、新習志野の手前にある京葉車両センターにはE331系が留置されていた。
 この車両も一度は乗車してみたいと思っているのだが...
 と思い、先に記事にしている5月5日、リベンジを果たせず見事に外したりしている。

 そして、ディズニーランドの脇を抜け旧江戸川を渡り東京都内へ。
 さらに汐見を出て、越中島貨物駅を右に眺め、いよいよ地下区間に入り東京駅へ。
 1都2県、船つき東京湾1周の旅は無事に終了した。
 
 それにしても、このたびから1ヶ月経たないうちに、国盗り合戦の不思議な花探しで
京葉線を訪れるハメになろうとは、この時はまだ知るよしもなかった...

 

花を探して東京湾を横断

  4月12日(日)

 京急久里浜に到着し、JR駅とは反対側の出口へ。
 まずはいつも通り、駅舎の撮影から。

C0904a173
(京急久里浜駅駅舎)

 京急久里浜駅前からバスで久里浜港まで行き、さらに東京湾フェリーに乗船して、
対岸の千葉県富津市の金谷港を目指すことにした。
 バスに乗車する前に、京急久里浜駅に併設されている京急バスの案内所で
確認したところ、野比海岸行が停車していたが、JR久里浜駅を経由するため、
後続の東京湾フェリー行の方が直行便となるため、少し早く着くとのことだった。
 ということで、後続の直行便のバスへ。
 そのバスの行き先はズバリ「東京湾フェリー」だった...

C0904a174
(わかりやすい表示の直行便バス)

 なお、所要時間を考えれば、野比海岸行よりも先に到着するだろうと思っていた...
 そして、バスが到着したのはフェリー乗り場の前。到着すると、既に野比海岸行が
フェリー乗り場に先着していた。もっとも、野比海岸行のバスは立ち客もいたが、
乗車した後続の直行便は最大でも5人だったので、それはそれでよかったのかも。

 ただ、バスから降車すると出港まであと 6分しかなかった。
 なお、この東京湾フェリーは窓口購入だと、PASMOが使えるとのことだったが、
さすがにそんなことをしている余裕など無く、券売機で乗船券を購入しフェリーへ。
 もっとも、この忙しい乗り換えがあったので、後の行程を変えることが出来た...

 
 久里浜港から乗船したのは「しらはま丸」。
 高速料金が安くなったせいなのか、比較的空いていた。
 乗船した4月12日は、高速道路の1000円政策が始まってすぐの頃だったため、
たまたまなのだろうかとも思っていた。しかし、この記事を書いている6月になると、
既に4月末を持って中四国フェリー(竹原港~波方港)が廃止となっているし、
6月末には、国鉄時代の仁堀連絡船(仁方港~堀江港間)と競合関係にあった
呉・松山フェリーが廃止になると報道されている。
 そして、この東京湾フェリーについても、千葉県に森田知事が誕生したことにより、
8月からアクアラインが800円と、公的資金投入による大幅な値下げの影響で、
期間限定とはいえ例外ではないようだ。
                   (※アクアライン>通常平日の通行料金は2320円)
 さらには、JRにも影響が出始めているようだ。確かにゴールデンウィーク後の報道で、
あまり利用状況が芳しくなかったと報道されていたと憶えている。
 なお、JR東日本の清野社長が先日の記者会見で述べているとおりだが、
少し前に『二酸化炭素の削減』が声高に叫ばれていたはずなのだが、いったい何処に
行ってしまったのだろう?と。
 そんなJR東日本が、東京湾フェリーにも乗船できるというツーデーパスという
切符を夏休み期間を中心に9月まで発売するとのこと。
 東京湾フェリーの他にも、上記の久里浜~久里浜港の間を結ぶ京急バスや、
鹿島臨海、北越急行、会津鉄道といった第三セクター線、富士急、上田交通にも
乗車することが出来るとのこと。
 って、最近花摘みで出掛けたところばかりだったりするが...
 なんとか、こういった相乗効果でこの影響を乗り切ってもらいたいと思った。

 
 再び当日の話へ。
 乗船して程なく、久里浜を出港。東京湾を横断していく。

C0904a175
(久里浜港を出港)

 乗船したこの日は、快晴で風もなく波も穏やかだった。
 そのせいか、太公望をたくさん載せた釣り船が、群をなしていた。

C0904a176
(東京湾には釣り船も)

 東京湾といえば昨年7月、上海から乗ったふじ丸が横浜を目指して以来だった。

 なお、東京湾フェリーは平日は2便体制で運行しているが、土休日などについては、
船を増やして3便体制で運航している。
 乗船したこの日は日曜日だったので、途中で2隻(くりはま丸、かなや丸)とすれ違う。

C0904a177
(すれ違った「かなや丸」)

 波が穏やかなのと、あくまでも湾内ということが重なり、あっという間の40分だった。
 そして金谷港に到着直前、千葉県側の電波を拾おうと携帯電話を操作すると、
「神奈川県横須賀市」などと表示される。これこそが対岸盗りが出来る理由では
あるが、何処の基地局の電波を拾っているのか微妙なんだなと実感した。
 さらに携帯を操作し続け、「木更津」「南房総」と2つをほぼ同時に盗ることが出来た。
 ただ、国盗り合戦の不思議な花探し「もっと花探しコース」のポイントの一つとなる
「マザー牧場」を摘むことは出来なかった。

 金谷港で下船。

C0904a178
(金谷港ターミナル)

 フェリー乗り場の土産物店を見たかったが、まだ行程は続くので浜金谷駅へ向かった。
 

(もう少し続く)

新宿から南へ

  4月12日(日)

 新宿から乗車した湘南新宿ラインは宇都宮線からやって来た逗子行。
 新宿まで国盗りがスムーズだったため、予定より1本早い列車に乗車できた。
 ただ、本来乗車予定だった後続列車は特別快速ということで、新宿時点では
15分先発するものの、途中5駅(恵比寿、西大井、新川崎、保土ヶ谷、東戸塚)に
停車していくため、大船では10分差に。さらに、逗子から先に行くとなると、
同じ電車になってしまう。
 早い電車に乗車できたため、少しは楽になるかと思ったのだが...

 久里浜行の車中、時刻表でそんな事実を知ったところで、なにも久里浜へは
横須賀線でなく京急でも行けたなぁと思い出す。
 ということで、携帯の時刻検索を掛けてみると、横浜から京急に乗り継ぐと、
京急久里浜には20分も早く到着出来るとわかった。
 それならばと、横浜で乗り継ぐことに。

 
 横浜。
 乗り継ぎ時間は定刻で8分しかない。
 しかもこの日は、東海道線の線路点検の影響で、湘南新宿ラインも若干ながら
遅れを持っていたため、結局乗り換えは5分ほどだった。
 横浜から時刻検索の通り、快速特急京急久里浜行に乗車する。

C0904a172
(横浜駅に進入する快速特急京急久里浜行)

 2100形12両編成。
 後ろ4両は金沢文庫で切り離し、浦賀行各駅停車になるとのことだった。
 モーターはシーメンス社製のものを架装しているため、駅を発車する度に
独特のメロディを奏でていた。

 そして、逸見を出た辺りで「横須賀・逗子」を盗ることができた。
 ここは、対岸盗りに失敗したり根岸線だけ盗ってここを回避したりとと、
2回続けて盗りこぼしていたが、ようやく「横須賀・逗子」を盗ることができた。
 そして、「横須賀・逗子」を盗った勢いで、そのまま終点の京急久里浜へ。
 
(つづく)

花を探して新宿へ

 青春18の話が終わったところで、もう少し4月の話を。
~~~~~~~~~~~~~~~
  4月12日(日)

 4月に入り、2度の国盗り旅行を終え、ホッとしていた。
 そんな矢先、国盗り合戦で「不思議な花探し」なるキャンペーンが行われると
告知があり、毎週場所が変わるという、少し忙しそうな内容だった。
 正直なところ、前週までの疲れを引きずっていたため、今回は見送ろうかとも
思ったが、あとになってから「行けばよかった...」となるのは目に見えていた。

 そして当日。
 重い腰をあげて、まず上京することから。
 今回は「丸の内・日比谷」「新宿・早稲田」「四谷・市ヶ谷」の3箇所を巡れば
OKとのことだった。ただ、それだけのために巡るのは勿体ないので、ついでを
少し考えつつ上京することにした。
 なお、今回は「丸の内・日比谷」(東京駅周辺)、「新宿・早稲田」(新宿駅周辺)と、
大宮方面から向かう場合、2通りの入り方があり、当初は新宿から入るコースで
計画した。
 しかし、トータルで検討すると、東京回りの方がいくぶん効率よく回れると判り、
東京回りで出掛けることにした。

 
 東京駅。
 神田を通過したあたりから携帯を操作するも、盗れるのは八重洲側ばかりだった。
 「日比谷」ということで有楽町まで一旦行かなくてはかなと思っていたところ、
運よく東京駅の直前で無事、電波を拾うことができた。

 そして東京から中央線へ。乗車したのは快速豊田行。

C0904a171
(東京駅から乗車した快速豊田行)

 市ヶ谷手前でなんとか「四谷・市ヶ谷」も拾うことができた。
 そして、四ッ谷駅に到着する際、すれちがった上りの快速は201系。
 三鷹以西の高架工事完成とともに引退してしまうようで残念だが、経年劣化や
車両の整備の手間を考えると致し方ないのかもしれない。

 
 新宿。
 代々木付近から携帯を操作するも渋谷区。
 確かに新宿駅も新南口側ならば、渋谷区の電波を拾ってしまうのかもしれない。
 ドコモのデカいビルもあることだし。
 結局、新宿で下車し、ホームを中野方面に歩き、南口の階段を通り越したところで
新宿区を拾う。これで「新宿・早稲田」もクリアできた。

 
 3箇所を無事巡ったところで、「もっと花探しコース」が表示される。
 一番近いのは「浅草花やしき」だった...
 そのまま浅草に行ってもつまらないので、湘南新宿ラインで南下することにした。
 
(つづく)

高山線を北上し終え、富山へ

  4月 6日(月)

 猪谷から乗車したキハ120は、富山駅を目指しひたすら下っていく。
 先日、今回の旅行で使う18きっぷを購入したついでで訪れた際に
下車をした、速星婦中鵜坂にも停車していく。

 猪谷から50分ほど走り、神通川の橋りょうを渡りきり富山駅へ。
 途中、名古屋で1泊したが、約24時間かけて、太平洋側の新宮から
日本海側の富山まで無事乗り通した。
 なお、このまま車両基地に引き上げるのか、到着したのは改良工事で
移設された5番線だった。行先表示も回送になっていた。

C0904a161
(富山駅に到着したキハ120) 

 
 一旦改札を出て、家への土産を購入してから再びホームへ。
 富山から乗車したのは、1ヶ月ほど前に乗車したのと同じ直江津行
 ここからは、1ヶ月前と同じ行程に。
 ホームで直江津行の入線を待っていると、下り本線(6番線)を速星からの
貨物列車(1093レ)が通過していく。けん引機はDE10 1728号機。東新潟
機関区の所属で、TOMIXが製品化したDE10のナンバープレートに含まれて
いるそうだ。

C0904a162
(富山駅を通過する1093レ)

 また、貨物時刻表の運用を見る限り、このDE10は富山貨物に常駐し、
構内の入換に従事しつつ、速星までの1往復も併せてもっているようだ。 

 
 そして直江津行が入線。前回同様、乗車したのは419系3両編成。
 ダイヤ改正前後での利用となったが、充当される車両に変更は無いようだ。
 早速、発車前に隣のホームから撮影する。

C0904a163
(今回も419系)

 そして、戻る際にパンタ周りを撮影する。

C0904a164
(跨線橋の階段付近から)

 「ガイシはエメグリかぁ」なんて、思いつつ撮影した。
 もっとも419系の模型など所有していないし、購入予定すらない。
 とりあえずKATOの475系をいじる時の参考にでもしようかと...

 富山駅を発車し、日本海沿いを走行し新潟県を目指す。
 途中、日本海沿いを走る区間ではすきま風吹き込む。
 
 そして直江津からはくたかに乗り継ぎ、帰途についた。

C0904a165
(越後湯沢駅に到着したはくたか号)

 
 4回目の青春18きっぷの旅が無事終了。
 今回のシーズンは、全て国盗り合戦を念頭に置いた行程となり、比較的
タイトなところがあったりした。しかも、普通列車で博多まで向かったり、
京都駅でK先輩と合流したり、初めて長野からの夜行バスを利用して
紀勢本線を全線踏破など、いつもの少し異なる旅行となった。
 そのせいか、その後は近場へ出掛けることに。


◆関連記事
 前回(2009年3月)の直江津行
 2006年10月に富山駅で撮影した貨物列車
 

さらに北上し、猪谷へ

  4月 6日(月)

 高山から再び各駅停車で北上することに。
 到着したのがお昼時ということもあり、昼食を調達することに。
 前回逆コースで富山から南下した時は、富山で購入したおにぎりで腹を
満たしていたが、さすがに今回はと考え、駅舎内の売店で駅弁を購入した。

 購入したのは「飛騨牛しぐれ寿し」。
 牛肉のたたきが乗ったちょっと贅沢なお弁当だった。
 なんとなく身の丈に合っていないような気もしたが、せっかくの遠出なので、
たまにはいいものを食べてもいいかと奮発した。
 
 既に入線していた猪谷行に乗車し、早速駅弁を紐解く。

C0904a158
(車内で紐解いた飛騨牛しぐれ寿し)

 確かに美味しかったが、もう少し安ければもっと手が出しやすいのかなと。
 もっとも、一日に裁ける数からしたら、この値段でもギリギリかもしれない。
 ということで、味わいつつもあっと言う間に平らげてしまった。

 やがて、列車は山間部へ。
 車窓の少し遠くにあった山々も、気づけば蛇行する川沿いにまで迫っていた。
 そして、高山から1時間ほどで終点の猪谷に到着する。

 猪谷に到着直前、ゆっくり走行したことで、神岡鉄道の跡を見ることも出来た。
 ところで、何故ゆっくり走るのだろうと思って、猪谷駅のホームに降り立った
ところで謎が解けた。同じ線路の富山方にキハ120が停車していた。
 おそらく、既に富山からの列車が到着していたところに進入していくため、
こちらの列車が速度を落として進入したのだろう。

 ということで、呉越同舟というわけではないが、同じ線路に2社の車両が
縦並びで停車する。こんなことなら高山方の列車は、神岡鉄道が発着していた
ホームを活用すればいいのになぁなんて思ったりもした。

C0904a160
(同じホームに2社の列車が並ぶ)

 なぜ、このようなダイヤになっているのだろうと思っていたところに、
上りのひだ14号が到着する。この列車を運転するためには、どうしても1線
開けておかなければならなかった。しかし神岡鉄道の着発線が使用できない
以上、こういうやり繰りをしないと、ひだ14号が運転できないのだろう。

C0904a159
(猪谷駅に進入するひだ14号)

 ここからさらに北上を続けるため、キハ120単行の富山行に乗り継いだ。
 あと少しでようやく日本海側だ。
 

(あと少しつづく)

特急ひだでショートカット

  4月 6日(月)

 春の青春18きっぷの旅・最終日となったこの日。
 今回の高山線を全線乗車する行程を組むことにしたが、普通列車で日中に
走破しようとすると、上下ともに下呂~高山間で列車がなく、なかなか難しいと
考えていた。
 ちなみに前回(2007年)、富山から岐阜に向かった際は、列車の接続が
うまくいき、全線を普通列車+臨時快速(さわやかウォーキング)で、
高山本線を全線乗り通すことが出来た。
 
 そして今回は、高山線沿線の国盗りを完了させるため、どうしても全線を
乗車する必要があった。出来れば、青春18きっぷで乗り通したかったが、
今回は最小限度の下呂~高山間をひだ5号に乗車してショートカットすることに。
 なお、ひだ5号は岐阜駅で名古屋からの編成に、大阪から来るひだ25号を
連結して高山まで運転する。そして今度は高山で大阪編成を切り離し、
名古屋編成のみで飛騨古川まで運転する。

 
 当日。
 美濃太田からの列車は本屋から離れた3番線に到着する。
 しかも停止位置の関係で、階段から少し離れたところだった。
 ここから特急ひだ5号に乗り継ぐため、一旦改札を通り、外に出ることにする。

C0904a155
(下呂駅駅舎)


 そして、ホームに戻りひだ5号に乗車する。
 
C0904a156
(下呂駅に進入するひだ5号)

 下呂から乗車したのは6号車。名古屋から来た編成だった。
 グリーン車はガラガラだったが、指定席はほどよく埋まっていた。
 デビューした頃と変わらぬ加速のよさで高山を目指していく。

 それにしても、このような普通列車の接続が悪い路線に乗車する度に思うのが、
もう少し接続を考えたダイヤを組めないものかということ。
 もっとも時代が変わり、一つの路線を長い区間乗り通す乗客が減ったということ
なのだろう。そうでなくとも、最近は列車の運行管理がしやすいよう、区間ごとに
列車を設定しているところが多いため、乗客が少ない区間については、徐々に
列車の本数が減ってしまったのだろう。
 それはここだけではなく、上越線水上~越後中里間なども同じかもしれない。
 大抵の場合は分水嶺や生活圏の境などが影響していることが多いようだ。
 そんなことを考えているうちに、高山駅のホームに滑り込む。

 高山駅に到着すると、ほとんどの乗客が下車する。まだ春休み期間ということで
観光客が多いようだった。そしてこの高山駅で、名古屋編成と大阪編成を手早く
分割し、名古屋編成のみで終点の飛騨古川を目指して発車していった。

C0904a157
(分割し終えた名古屋編成)
 
 こちらは、再び普通列車に乗り継ぎ、さらに北を目指すことに。
 まだ長い。

(つづく)

◆関連記事
 2007年秋の高山線(高山→美濃太田)
 2007年秋の高山線(美濃太田→岐阜)
  

高山線を北上。下油井にて

  4月 6日(月)

 美濃太田からさらに北を目指すため、下呂行の普通列車に乗り継ぐ。
 ここから乗車した下呂行は、キハ48の2両編成だった。

 
 下油井。
 ここで美濃太田行とひだ6号の待ち合わせ。15分停車する。
 さすがに15分もあると、のんびりと駅の観察などをすることが出来た。
 まず、上りホームから自分が乗車している列車を撮影。

C0904a150
(乗車していた下呂行普通列車。下油井駅にて)

 撮影していると、美濃太田行普通列車が到着する。

C0904a151
(美濃太田行普通列車。下油井駅にて)

 そして、後続のひだ6号が通過するまで少し時間があったので、
駅舎や駅前などを観察することに。

C0904a152
(下油井駅駅舎)

 この下油井駅は委託駅ということで、委託先のJAが併設されていた。
 出札窓口があり乗車券の発売も行われていたが、昔ながらの硬券や
補充券タイプではなく、マルスから出力された120ミリ券と言う少し長めの
乗車券だった。しかも、事前に美濃太田駅で発券しておいたものに
日付をゴム印で入れたものだった。
 そのため発売できる区間が限られているとのこと。
 せっかくなので一つ手前の白川口までの乗車券(200円)を購入した。

C0904a153
(購入した乗車券)

 こんなことでもなければ、駅舎を撮影したり乗車券を購入したりすることは
なかったかもしれない。なんてことを考えながら下りホームへ。

 そして、少し遅れてやってきたひだ6号を撮影。

C0904a154
(下油井駅に進入するひだ6号)

 通過していくと、まもなく信号が変わり、下油井を発車した。
 お隣の飛騨金山駅で「下呂・高山」を盗り、このまま終点の下呂へ。
 

岐阜から高山線へ、北上開始

  4月 6日(月)

 穂積から岐阜に戻り、高山本線に乗り継ぐ。
 ホームでのんびり美濃太田行の入線を待っていると、神戸方に引き上げていた
車両が相次いでホームまできて併結させていた。
 そしてその後、この列車は回送列車として発車していった。
 おそらく美濃太田に向かったものと思われる。

C0904a145
(併結を終え発車を待つ回送列車)

 なお、美濃太田行が発車するまでの間、東海道線も大垣に入庫するのか、
117系など通勤輸送を終えた編成が相次いで岐阜駅を通過していった。
 それにしても、117系の回送は営業運転以上にいい走りっぷりを見せていた。

 
 岐阜から乗車した美濃太田行は、多治見から太多線経由で来た列車の折り返し。
 キハ40とキハ48とで組成された2両編成だった。

C0904a146
(岐阜から乗車した美濃太田行)

 岐阜を発車すると、沿線の桜は満開だった。
 前日の大泊や新鹿といい、今回の旅では乗りつぶしや国盗りだけでなく、
車窓から花見を楽しめた。
 また、鵜沼までは名鉄各務原線の線路と付かず離れずの並走区間となるが、
名鉄電車との並走は見られなかった。

 鵜沼を出ると、木曽川沿いを走る。
 ここがこの日の2つ目の目的地。国盗りの「犬山」を対岸盗りするためだった。
 また、坂祝に到着する直前には、「可児・加茂」も盗ることができた。

 そして終点、美濃太田に到着。
 さらに北を目指す。
 
 
(まだつづく)

名古屋で117系新快速を撮影

  4月 6日(月)

 前日の疲れも抜けきらないまま、2日目がスタート。
 まず、駅前を撮影。

C0904a141
(名古屋駅新幹線口)

 名古屋からスタートとなるこの日、最初の目的地である穂積に向かう前に、
名古屋駅を発着する列車を少しだけ撮影することにした。

 まず、岐阜行。
 313系4両編成。

C0904a142
(岐阜行)

 朝の通勤時間帯とはいえ、各駅停車となると4両でも裁けるのだろう。
 
 そして、117系4両編成×2本で組成された新快速・岡崎行。
 117系というと、熱田でお昼寝しているところなどしか撮影できなかった。
 今回、タイミングよくやって来たので、しっかりカメラに収めた。

C0904a143
(新快速岡崎行)

 なお、このあと穂積に向かう間にも、117系4両編成×2本の快速や新快速と
相次いですれ違う。朝の通勤時間帯というと、どの鉄道会社でも持てる力を
フルに発揮して運行するため、ここでは新快速として活躍しているのだろう。
 しかしながら、2ドアということを考えると、運用できる列車は限られる。
 こうやって活躍しているところを見られただけでラッキーなのかもしれないが、
次回はもう少し調べておいて、117系が活躍しているところを記録したいと思った。

 
 この2本を撮影したところで、この日の最初の目的地である穂積へ。
 もちろん国盗り合戦のため。盗りこぼしている「本巣・山県」を盗るためだけ
だったのですぐに折返し、岐阜駅に向かった。

(つづく)

新宮から北へ(4):亀山にて

  4月 5日(日)

 新宮から乗車した亀山行も終盤戦。
 参宮線との分岐駅、多気。既に辺りは薄暗くなっていた。
 終点の亀山まではあと1時間。終点までもう少しというところまでこぎ着けた。

 
 三重県に入ってから4時間弱で県庁所在地がある津駅。19時05分着。
 三重県がいかに縦に長いかをあらためて感じさせてくれた。
 そして、途中の有井からしばらく一緒だった18きっぷユーザーのご一行は
ここで下車してから帰るとのこと。
 それに対して、こちらの夕飯は名古屋着後。もうしばらくお預けだ。


 伊勢鉄道と別れ、北西に進み、終点の亀山。
 新宮から4時間以上の長旅は無事に到着した。

C0904a135
(無事に亀山に到着)

 そういえば、この辺りは数日前に、奈良からの高速バスで通過していたが、
今度は紀勢本線経由で来てしまった。続くときは続くもんだなと思った。

 なお、今回踏破した紀勢本線は、今年7月15日に全線が開通してから、
ちょうど50年とのこと。そんなことを全く意識しないで乗車し、紀勢本線の
起点駅である亀山駅に降りたって、駅内に貼られたポスターで初めて知った。

C0904a136
(駅内に掲出されていた、開通50周年を知らせるポスター)

 そんな節目を迎えた紀勢本線の旅を終え、名古屋行きの各駅停車に乗り継いだ。
 このあと、桑名で後続の快速みえに乗り継ぎ名古屋へ。長い一日が無事終了した。
 

新宮から北へ(3):紀伊長島

  4月 5日(日)

 亀山行きでまだまだ三重県内を北上する。

 尾鷲。
 2分弱の停車。停車時間を利用して、有井から乗車した青春18きっぷの
グループは、この区間を何度か乗車し慣れているのか、駅本屋側にある
KIOSKへ駆け足でビールを買いに行っていた。
 新宮から乗車して1時間20分。終点の亀山まであと3時間。今回は新宮で
事前にめはり寿しを調達してあったからいいものの...
 この辺りの鉄旅の食事情はなんとも気になるところ。


 4駅進んで紀伊長島。11分停車。
 列車の交換は前後の三野瀬と伊勢柏崎であったため、ここでは運転士の
交代のみ。停車時間を利用して、駅内の観察と駅舎の撮影することに。

C0904a133
(紀伊長島駅駅舎)

 
 駅には、駅係員はいたが、駅舎内にキオスクは既に営業を終えたのか、
シャッターが降りていた。
 先述したとおり、尾鷲での停車時間は2分。このあとも売店がありそうな
主要駅では停車時間が短いため、乗り通す場合の車内食については、
少し気をつけた方がいいように感じた。そう考えると、列車が細切れでも、
乗り継ぎに少し時間がある方がいいようにも感じた。

 まだ時間があったので、乗車した列車を最後部から撮影する。

C0904a134
(乗車した亀山行。紀伊長島駅にて)

 2両ともキハ11 300番台で、乗車した方がトップナンバーの301で、
後ろの車両は305だった。

 そして、紀伊長島を定刻通り発車。
 ここまで、進行右側に広がっていた熊野灘と別れ、進路を北に変えて
一気に勾配をかけ上がっていく。トンネルを抜けると、今度は進行左側が
開けてくる。このまま内陸部を進み、参宮線との分岐駅である多気駅を
目指し、進路を北に北東に山の合間を抜けながら、さらに駆けていく。


(つづく)

新宮から北へ(2):新鹿にて

  4月 5日(日)

 新宮から乗車した亀山行に揺られ、三重県内をのんびりと北上していく。
 有井から乗車してきた青春18きっぷユーザーのグループで車内は賑やかに。

 
 大泊。
 駅前には桜の木があり、もう満開に近かった。
 そんな木の下では、地元の方が花見をしていた。

C0904a125
(車内から大泊駅前を)

 
 新鹿。
 駅の東側には新鹿湾が広がる。
 その新鹿湾を眺めながら、新鹿駅へ。

C0904a126
(車窓から新鹿湾)

 
 なお、駅構内に進入する直前、車窓からは桜の木も。

C0904a127
(新鹿駅の手前で桜の木が)

 今回の旅は、特に桜を見たいと思って旅に出たわけではなかった。
 しかし、こうやって綺麗なものを続けて見られると、日常を忘れさせてくれる。
 そう考えると、旅に出るのはいい気分転換になるんだなと、あらためて感じた。

 新鹿駅では、南紀5号の待ち合わせのため5分停車。
 停車時間があったので、まず駅舎の撮影から。


C0904a129
(新鹿駅駅舎)

 進入する際だけでなく、駅周辺に桜の木が花を咲かせていた。
 無人で平屋のあまり大きくない駅舎だった。
 もっとも、交換設備を有する駅ゆえ、以前は駅係員が在駐していたのだろう。

 駅舎を撮影後、乗車していた亀山行を撮影する。
 新宮駅では日射しが雲に隠れ、あまりいい状態で撮影できなかったが、
新鹿あたりでは、あまり日射しが強くなかったが、太陽が顔を出したので
撮影しやすかった。また、列車を構内踏切から撮影することが出来たことにより、
理想的な構図で撮影できた。

C0904a128
(新鹿駅に停車中の亀山行キハ11×2)

 そして、こちらがまもなく発車時刻を迎える頃、名古屋からやって来た特急
南紀5号が独特のエンジン音を轟かせて通過していく。

C0904a130
(新鹿駅に進入する南紀5号)

 ただ、キハ85については、最新の「鉄道ダイヤ情報」誌でも取り上げられて
いるが、初期車のデビューは1989年にひだ号に投入されてから、既に20年。
 また、南紀号に投入されたのは1992年ということで、間もなく20年を迎える。
 今のところは、新型特急気動車車両の投入について、特にプレスされては
いないようだが、在来線の一般型気動車(キハ25)の投入が終われば、同社の
車両更新は一巡するため、その頃には、新型特急気動車車両の導入について
話が浮上してくるのかもしれない。


 新鹿を発車し、2駅進んで賀田駅。
 ここで新宮行とすれ違う。向こうはキハ48。

C0904a131
(賀田駅で交換した新宮行はキハ48)

 実は今回、亀山行に乗車するまで、キハ40系列の気動車が来るものだと
思っていた。そう考えると、キハ11は乗り得なのだろうか...

 
(まだ、もう少しつづく)

新宮から北へ(1):鵜殿にて

  4月 5日(日)

 新宮から乗車したのは亀山行。
 新宮城跡の下をトンネルで抜け、熊野川を渡ると三重県に入る。
 長かった和歌山県を抜けきる。

 なお、今回の目的である国盗りの方は、これから先で盗れる数はあまり無い。
 もっとも、多紀以北は3月中旬に快速みえ51号に乗車して、既に国盗りしており、
これから乗車して盗れるのは、「熊野」「尾鷲」の2つのみ。ただ、この2つは、
今回乗車した紀勢本線の東側を乗車しないと盗ることはほぼ不可能なため、
数より質?と認識して、国盗りしていくことにした。
 

 新宮を出て最初の停車駅は鵜殿。三重県に入って最初の駅。
 この鵜殿駅には、紀州製紙紀州工場が隣接しており、ここの製品を出荷するための
貨物列車が名古屋方面(稲沢)まで運転されており、そのコンテナ列車のコキ車と、
そのコキ車をけん引してきたDD51が留め置かれていた。

C0904a121
(鵜殿駅構内に留め置かれたコキ車とDD51。車内から)

 留め置かれていた、DD51は1803号機。
 所属は愛知機関区とのこと。

C0904a122
(留め置かれていたDD51 1803。車内から)

 
 なお、駅舎は海側にあったが、ホームとは構内踏切でつながっており、構内踏切が
コキ車が留置されている側線の中間あたりにあるせいか、5両と2両に分割してあった。
 
C0904a123
(構内踏切付近で分割しておかれていたコキ車。車内から)


 そして、鵜殿からしばらく、海に近いところを走る。
 もっとも、建造物や立ち木がありなかなか海は見えなかった。

 有井。
 ここで熊野古道に出掛けた青春18きっぷユーザーのグループが乗車してくる。
 すでにシルバー層とおぼしきこのグループの方々は、20年近く愛用しているそうだ。
 最近、鉄旅がブームになっているが、それより以前から長らく愛用している根強い
ユーザーもこうやっているんだなと。

 
(さらにつづく)

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